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第三十七章 天啓の門

 デロス神殿


 天啓の神器から放たれた青い光のむこうに、【天啓の門】が出現した。

 

 もともと、デロス神殿の最上フロアには、巫女がいる四本の柱に囲まれたあずまやのほかに、天啓の門の出現を想定した広場がある。

 

 勇者が三つ神器を集めた時点で、天啓の門は始めから存在していたかのように自然に現れた。

 

 天啓の門は、石造りのちっぽけなアーチ状のものだった。

 中央に二枚の古ぼけた石扉がある。全体は灰色にくすみ、構造物はところどころ欠けていた。

 

 ユウ・ナギノは驚いた。

 

 天啓の門は、もっと絢爛豪華で、トライアード教圏の建築家が手がける壮大な創作物のイデア的なものだろうと思い込んでいたからだ。


 天啓の門は、数千年、数万年、それ以上のはるか昔から、形が変わっていないのかもしれない。それならば、昨今の建築家の意匠などまったく反映されていないのはうなずける。

 

 門の上部には、十数の人間、鬼、竜の顔らしき造形の装飾が施されていた。顔は風化によって潰れているが、喜怒哀楽の表情で織りなされている。

 

『我、精霊なり。勇者、ユウ・ナギノ、ソラナ・シエナステラ。我の媒体(ばいたい)として、ダル・メイサ・ボルトキエルを門の先に招く』

 

 ユウは息を飲んだ。

 声が頭のなかに直接入ってきた。

 初めての感覚だった。

「これが、精霊の声……」


 キンスロット騎士団長や、教団の人間たちが、頻繁ひんぱんにこの声をひろえるなら、精霊の狂信者になるのもわかる気がする。


「この門をくぐれば、人は救済されるんだな」

「トライアードの教義ではそう」

 ソラナも石のアーチを眺めていた。

 あそこへ向かう一歩をなかなか踏み出せないでいる。


「精霊はメイサを必要としているよ」

 幼いダル・メイサの声調は普通だった。怖気おじけを見せない彼女は精霊の声に慣れていた。

 

「では、ゆきましょう。ここまで来られたのは、本当にみなさんのおかげです」

 ソラナはその場の人間に頭を下げた。


「ソラナさん。気をつけてくださいね。また素敵な笑顔を見せてくださいね。そのときは、きっと、世界は浄化されていると信じています」

 アルト・プレヴィンが前に出た。ふつうの人間はもうここから先に足を運べないだろうとアルトは思った。

「ええ、また会いましょう」

 ソラナは微笑みを返した。

 初めて広場で出会ったときの、慈しみといたずらっぽさをそなえた笑顔。

 アルトはソラナのその笑顔に惹かれたのだ。


「ゆ、勇者……、妹のメイサを守ってくれよ」

 顔を伏せながら眼鏡のミリィがユウに頼んだ。

 彼女の顔は赤く染まっていた。

 年頃の男に耐性がないのがまるわかりだ。

「天啓の門の先にいる精霊と一番仲良しなのは、ダル・メイサさ。こっちがメイサに守って欲しいくらいだよ」

「勇者を守るよー」

 ダル・メイサが細い腕で力こぶをつくる。

 はりつめた緊張が程よくほぐれて、一同は笑った。

 

「戦って間もないのに、天啓の門へ向かうのか。お前は体力があるな」

 黒いマントをまとい、小さな赤ん坊を抱くチズル・グラシエンラがユウに声をかけた。

 ユウは左手の薬指にはめた天啓の指輪をチズルに向ける。

「天啓の指輪をもっていくぞ」

「ああ、いいぞ。いっときだけ貸してやる」

 チズルは不敵な笑みをこぼした。


「しっかり、精霊と話をつけてきてね」

 エリオ・ソフィーがユウに手を差しのべた。

「ああ、行ってくる」

 ユウは握手を返さないで、エリオを抱きしめた。

 腕に胸に、静かに伝わってくるこの温もりは、勇者を守ってきた聖なるほむらだったのだ。

 門の先にゆこうとも、必ず戻ってこようとユウは思った。

 

 三人は石造りの門に向かった。


「さあ、扉を開けよう」

 ユウたちは天啓の門の扉を押した。


 扉の先に青い海が広がっていた。


 ・・・・・


「青、青、青。綺麗な場所だな」

 先頭のユウは恐る恐る門の先から一歩を踏み出した。


 まだ太陽は、デロスよりも高い位置にある。

 海と空を分けるみずみずしい水平線、岬を見上げると修道院の鐘が鳴っている。

 

「懐かしい音。私はシエナステラに戻ったの?」

「もしかして、シエナ王国に繋がっているのか?」

「初めて海を見たよ」

 メイサは門から一歩で立ち止まり、新鮮な驚きとともに風景を眺めている。


 ソラナは修道院を目指して丘を駆け出した。

 

 ユウは潮風に揺れるくすんだ緑の葉叢はむらを踏みしめた。


 潮の香りや、草の匂いが鼻をくすぐってこない。

 ユウは違和感を覚えた。

 ここは現実の世界をうつしているのだろうが、自分はそこにいる気がしない。


「ソラナを追いかけようぜ」

「わかった」

 ユウのあとにダル・メイサが小さな足取りで続く。


 おだやかに揺蕩たゆたう海面は、光を反射して、いくつもの小さな陽をつくっている。

 

 そのシエナの海の色は、彼の瞳のブルーと似通っていた。


 ・・・・・


「ネヴュエラ院長……」

 ソラナが懐かしい顔を思い出しながら、立ち入った修道院の中は、がらんと静まり返っていた。


 小さな窓から陽が、まばゆい光線となって差し込んでいる。

 照らされた埃がオーブのようにちらちらと舞っている。

 ソラナは宿舎に行き、自分の部屋の扉を開けた。

 飾り気のない質素な空間があった。


「私がここを出たときと同じ……」

 ソラナは隣のドアをそっと開けた。

「レマリィ?」

 また同じ空間があるだけだった。


「ソラナ! ここは天啓の門の先の世界だ。落ち着くんだ!」

 ユウが叫ぶもソラナは止まらない。


 ソラナは礼拝堂に出た。

「ああ」

 ソラナは思わず顔を両手で覆った。


 礼拝堂に並ぶ板の長椅子に、修道女たちが座り、院長のネヴュエラが講義を行っている。


『天啓の門の言い伝えについてのお話です。

 いま、我が修道院が生んだ勇者、ソラナ・シエナステラが向かっている天啓の門には、もともと火竜がいました。

 火竜は天啓の門の番をしていました。

 天啓の門番には、世界を見渡して、混乱や争いをなくす重要な役割があるのですが、火竜に知性はなく、世は荒れました。

 そこに、天啓の剣、天啓のサークレット、天啓の指輪を身につけた勇者が、火竜討伐の騎士団を結成し、デロスの地で天啓の門を出現させ、火竜を退治したのです。

 その勇者は女の剣士でした。

 ホールにある女神像は、その女剣士をかたどったものと言われています。

 これは、トライアード教の経典にはないお話です。

 天啓の門の先には、番人がいるのです。ソラナはどう対処するのでしょうか。

 みなさん。ソラナの無事を祈りましょう』


「ネヴュエラ! 私はここにいる!」

 ソラナは礼拝堂の真ん中で叫んだ。

 声は届いていない。

 

 ソラナは修道女たちを見渡した。

 その中にレマリィの顔があった。

「レマリィ!」

 ソラナは敬虔に祈る少女の肩に触れようとしたが、霞をつかむようだった。


「ソラナ! 俺たちはシエナにいるわけじゃない!」

 ユウはソラナの手をとり、引っぱった。


 彼らは、女神像があるホールに向かった。

「女神様……、これは、どういうことでしょう?」

 ソラナは女神像の前に膝を折ってひざまずいた。


「よくここまでたどり着いた」

 ホールに幼い少女の声が響いた。

 ツインテールのダル・メイサが、いままでと違う口調で、ユウとソラナのほうに向かってくる。


 髪の結び目に白い牡丹ぼたんの花かざりがあり、白い前合わせの振袖の着物の重さにつられて、両肩が露わになっている。

 それはいつもの格好だが、小窓から差す光に浮かび上がるメイサの瞳は赤みがかり、操られた人形のような身体の運び方をしている。

 あきらかに生きた人間と雰囲気が違った。


 ユウとソラナは、ダル・メイサに精霊が憑依しているとすぐに気づいた。


「精霊だな。お前は、一体、何者なんだ」

 ユウは敬語を使わない。

「我は、天啓の門の番人である。天啓の門から、一千年に渡って世界を見渡してきた」

「門番? お前が天啓じゃないのか?」

「違う。我は一千年前に、門番として天啓に選ばれた。

 天啓はすべてに先立つ。

 精霊と称される我も天啓を見たことがない。

 天啓は、もっともっと測り知れない上位の存在なのだ」

「ねえ、精霊様。神器を身に付けた勇者が門の扉を開くと……」

 ソラナの質問に、ユウが言葉を重ねた。


『人類に救済がもたらされる』


 幼い顔の精霊は、真紅の光彩を見開いた。

「救済なぞ、汝らが勝手につくった話だ」

「おいおいおい。救済詐欺だろよ」

 ユウの口調に力が入った。


 精霊はすたすたとユウの目の前まで歩みをすすめ、急に顔を突き出して、赤い瞳を凝らした。

「!?」

「汝らの考える救済とはなんぞ?」

 精霊の問いに、しばらくユウは考えを巡らせた。


(救済……、人々が幸せになることか)


 ユウはしばらく考えた。

「俺が思うには……、人は人をさげすまず、蔑まず、欲望を抑え、お互いに信じあって、助け合って生きていけるようになること」

「人間には出来ないことだ」

 幼い精霊は冷たく言い切った。

「……」

 ユウは人間側の代表として、すこし屈辱を覚えた。


「わかっているさ。ソードスワード、ハーシュラームを回ったが、どこの国にもそんなやつはいなかった。みんな欲望まみれさ。でも、それなりに頑張っているやつもいた」


 

「汝らは人間がそうなるようにしてくださいと、精霊である我に願うのか?」

「できるのなら、私もユウと同じ思いです。精霊様、人類の救済のために、天啓の力をお貸しください」

「天啓か。我は、天啓の力を利用しているにすぎない」

 

「大昔に天啓の門を守っていたのは、火竜だってな」

 ユウは、礼拝堂のネヴュエラの話を聴いていた。

「そうだ。ここデロスの地に勇者が来て、火竜を退治した。その火竜の体の一部は、ドラゴンランスとドラゴンスレイヤーになっている」

「ほう、ドラゴンシリーズの由来は火竜ってのは本当だったか。火竜退治の伝説は一千年くらい前の話だからな」

 ユウは腕を組んで、ひとつ頷いた。


「そうだ。火竜を退治した勇者は女剣士であり、天啓に魅せられ、天啓の門番は火竜と交代した」

「すると、修道院長の話の人物がお前か。騎士団を率いたなんて勇ましいな。女神像がモデルなら、お前は美人だったんだな。一千年の間、天啓の門の番人をやっているわけか……」

「そうである。我の肉体はすでに滅び、精神体として、ダル・メイサに憑依している」

「天啓の神器の歴史はもっと古いです。天啓の門の番人は何回も交代していることになりますね」

 ソラナの言葉に、精霊は顔を歪ませた。

 

 親の愛を失った子供の、寄る辺のない悲しみに満ちた表情だった。

 

「勇者が現れるということは、いずれ、彼らが天啓の門を開き、我を討伐する。

 そして、新しい天啓の門番となって世界を見渡すのだ。

 ああ、天啓よ。

 どうして、我をお見捨てになるのですか。

 我は穏やかに世界を治めてきたのに」

 

 精霊は女神像のまえに向かってひざまずき、天を仰いだ。

 

 精霊が天啓に救いを求めようとしている。


 ただ、ユウは固唾をのんで見守るしかなかった。


「精霊よ。お前は声を操り、お前の声を拾う者を集め、つまり、言うことを聞くいい子ちゃんを集めて、トライアード教団をつくった」

「そうだ。トライアード教団は、我の傑作だ。北西の国々は、ほぼトライアード教で統一した」

「トライアード教団は、よその国に戦争を仕掛けたことがありますね? あなたが扇動したのですか?」

 トライアード教団や、ハーシュラーム、海をまたいだ南方の大陸の国々どうしで、いくたびも戦争が起きている。


「人間が勝手にやったことだ。我のあずかり知らぬところだ。いくさは汝らのさがなのだからな」

 

 精霊を通じたダル・メイサの表情に陰りが見えてきた。

「世界の各地に、天啓の神器を身につけられる資格者が生まれてきた……。彼らの中で、天啓の門を知り、番人となって世界を支配しようと考え、野望をもつ者を、我は教団を導いて排除した……」

「それは、天啓の意思であるはずがありません。あやまちです」

 ソラナの叱責に、精霊はさらに顔色を変えた。


「勇者たちよ。

 我は勇者を恐れていた。勇者は我を脅かす。

 我はずっと天啓の門の番人として居続けたかった。

 汝らの父、勇者イグニスは、傭兵としてあちこち駆け回っていたが、冒険のなかで、偶然に天啓の指輪を手に入れ、それをはめた。

 やつは自分が勇者だと自覚した。

 我はやつが怖かった。天啓の神器を集めて我を倒しに来るかもしれない。我は一生懸命じゃまをしてやった。

 あいつは女性に愛された。我は女の命を奪った。

 我が動かした教団によってイグニスは捕らわれ、処刑された」

 精霊は残酷な事実を次々とまくし立てる。


「イグニスは絶命する最期に愛する者の名前を叫んだ。誰だと思うか?」

 

 ソラナの藤色の瞳にじわりと涙が浮かんだ。

 自分が生まれて間もなく母親は亡くなった。

 ユウもそうだ。

  

 イグニスが最期に口にした、愛する人の名前とは、チズル・グラシエンラなのか。

 

「知りたくありません! 精霊様は私たちの母を死なせた……」

 ソラナは、わなわなと声帯を震わせる。

「こいつ、やっぱりトライアード教団や、騎士団を操っていたんだな……」

 ユウは無意識に天啓の剣に手をかけた。

「ほら、我が嫌いな勇者の眼だ。我は勇者を排除しようとしたぞ。しかし、お前たちはここまで来てしまった。この時点で我の負けだ。我を斬れ」


「その価値もない!」

 ユウは鋭く言い放った。


 一千年のときを経て、精霊は滅びるままに向かっていた。


 すでに精霊には、世界を見渡すことも、人間に声を届けることも困難になっていた。

 

 ・・・・・


 あたらしい千年紀を迎えるために、天啓は勇者を生み出した。


「精霊よ。お前は赤ん坊を誘拐してチズルをおびき寄せ、監察官や罪人を勇者の俺たちに遣わせたが、お前は、天啓のてのひらの上で踊っていたにすぎない」

「むむ」

 

「世界を見渡せるのは確かね。ここは確かにシエナステラ修道院よ。でも、違う。第一、シエナステラの岬に吹く風の潮の匂いがしないもの」

 ソラナの指摘してきに、精霊は赤い眼を見開いた。


「ふふ。嗅覚きゅうかくか……。我にはもうない感覚だ。天啓の門の番人になれば、世界の人々を見渡すことができる。声を届けることができる。

 シエナの光景を見せてやったのが最後の力だ。

 お前たちがここに来たから、我の精霊としての力は失われた。

 さあ、汝が天啓の門番になるがいい。

 ここには、いくら食べても尽きることのない果樹園と、溢れる泉がある。百年は肉体を保持できる。

 実際は天啓の門にずっといるだけだ。世界旅行など叶わぬよ」

 精霊の笑いは乾いていた。


「私は、ただ広い世界に出たかった。

 父に関する伝え話と、天啓の神器の伝説、そしてサークレットを被ったときに観たビジョンだけを頼りにしてね。

 本当にそれだけだった。

 神器を集めて、天啓の門を開き、こうして精霊様に出会えた。

 けれども……、世界を見渡すことになんの価値があるのでしょうか。

 勇者は、天啓の門番の候補者なのね。

 声を届けることができるとしても、実際に会ってネヴュエラと談笑もできないのなら、一千年の世界統治権なんて、いらない!」

 ソラナの額の菱形の宝石から青白い光線が放たれ、精霊を照らした。


 ダル・メイサの姿の精霊はホールの床に倒れ込んだ。

 精霊にはメイサを通して立っている力も残っていなかった。


 ソラナは、精霊のもとに寄り添い、膝枕をして抱いた。


「精霊様……」

 精霊の赤い瞳から、涙のしずくが零れていた。


「ソラナよ……、どうして、お前はそこまで人に愛を注ぐことができるのだ? 

 そして、お前の愛はなんの犠牲も払わない。

 よどみなく溢れてくる愛。

 天啓は、お前とユウを見初めた。

 汝らは真の勇者だ。

 イグニスと母の命を奪ったことを謝罪する。

 我は消える。

 我の千年紀は終わる。

 ソラナ・シエナステラの愛に包まれて、我は永遠の眠りにつく……。

 天啓に愛されたお前たちに祝福を!」


 精霊はかっと赤い瞳を見開いたあと、全身から青い炎を発し、ダル・メイサの肉体を残して消滅した。

 しかし、ソラナもまた全身が青い炎に包まれていた。

「ソラナ!」

 ユウがソラナのそばに寄ると、彼女の身体から光が発せられ、ユウの目をくらませた。

 

 ユウは一瞬、ソラナの表情を読みとった。

 彼女は強い悲しみの意思を示していた。

 

 天啓の門の先の空間は、ソラナとともに静かに消滅した。

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