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第三十六章 天啓の剣が輝くとき

 女剣士チズル・グラシエンラは、デロス神殿へ続く長い階段を登っていた。

 

 一歩一歩に、力を込めて前をゆく。

 勇者ユウの一行は遥か後方だ。

 神殿には息子がいる。

 ようやく、息子を取り戻せる。

 

(息子を連れ去った教団が憎い。

 夫の勇者イグニスを葬った教団が憎い。

 決して許せない)

 

(教団は【精霊】の御名ぎょめいを使っている。

 この神殿には、精霊の巫女と呼ばれる少女がいる。

 まず、何よりも息子を取り返す。

 そのために、精霊の巫女を傷つけることもいとわない)

 

 上階に近づくと、煙が漂い始め、何とも言えない芳香が鼻をついた。


 チズルの頬に投擲とうてき用のナイフが飛んできた。

 その軌道は、攻撃ではなく威嚇だった。かなりの腕前だとチズルは感じた。


「まだ、私の歩みをさまたげる奴がいるのか」

 チズルは黒マントからムチを取り出した。


素性すじょうがわからない人間は、神殿にはあがらせないっすよ」

 階上には、ダークブラウンの髪をポニーテールでアップした少女が立っていた。

 あごがすっきりした整った顔立ち。

 オレンジ色のジャケットをまとい、タイトなパンツの機動的なルックスだ。


 この少女が教皇騎士団をデロスまで案内したのをチズルは知っている。

 チズルがデロス近郊の森に潜伏して、騎士団の動きを監視しているのを、この少女は気づいた。

「巫女に御用がおアリっすかね? お名前をどうぞ」

 ポニーテールの少女は、ジャケットからブーメランを取り出した。

「……」

 チズルは何も答えなかった。


(精霊は、私を神殿へ導いているのに、どうしてこんな少女を送り込んでくるのだろうか!

 すでに少女の顔はひきつり始め、ブーメランを持つ手が震えているではないか。

 この少女は武人として勘がいい。だから自分よりも強い人間を相手にしていると察知している。

 ただ、神殿を守る義務感のために、立ちはだかっているのだ。不憫に思えてくるな。私は怒るぞ。精霊よ)


 少女はブーメランを投げてきた。

 このまま突っ立っているとぶつかるのでチズルは避けた。


「通さないっすよ! 神殿を守るのはあっししかいないっすから」

 少女は仁王立ちになった。


「!?」

 チズルの背後から飛翔物が迫ってくる。

 あの少女が投げたブーメランだ。

 

(ありえない)


 水平の場ならともかく、階下に放ったものが、重力に打ち勝って戻ってくる。

(霊験がある武器か?)

 今度はチズルがムチをしならせて、ブーメランを巻き取った。

 

「あわわ、はううう」

 圧倒的な力の差を見せつけられ、万策ばんさく尽きたとばかりに、少女は両手で顔を覆いながらその場にへたり込んだ。


 チズルは歩みはじめた。


「お前」

 横を過ぎるときにチズルは少女を一瞥いちべつした。

「ひっひい」

 ブリジット・アンリ・パティは、猛獣に睨まれたきつねのように小さく丸まって震えている。

「神殿に赤ん坊はいるか」

「い、いるっす。巫女ダル・メイサと一緒にいるっす。元気っすよ。ど、どうか、メイサを傷つけないでください。精霊とダル・メイサは別モノですから。お、お母さん……」


(私が赤子の母だとこの少女は見抜いた。本当に勘が鋭い女だ)


 チズルは前を向いた。

 

 ・・・・・


 神殿には、敷かれたゴザの上に、赤ん坊を抱きかかえる幼女がいた。


「イー!」

 チズルが呼ぶと、幼女は力ない腕を伸ばして赤ん坊を差し出した。

 

 チズルは、山々に響くほどの叫び声を上げて赤ん坊を抱きしめた。

「イー、イグニスー」

 赤ん坊も精一杯の声をあげて泣き始めた。

 母と子の温もりはお互いがよく知っている。


 チズルはめそめそと嗚咽おえつした。

 いったん精霊への怒りが飛んでゆき、ただ泣くしかできなかった。


「この子のお母さんだったんだね……」

 つぶらな瞳をうるませながら、精霊の巫女ダル・メイサは、二人を見つめていた。

 赤ん坊と離れ離れにされた母親の苦しみ、自分には母がいないこと、そして、次にこの強そうな女性は自分に対して怒りをぶつけてくるという恐怖、さまざまな感情がダル・メイサの胸にこみあがってくる。


 チズルは、黒マントのなかのビキニアーマーを脱ぎ、赤ん坊の求めに応じて乳を飲ませた。


「メイサ、こっちへ来て。逃げよう」

 柱の陰から、眼鏡をかけた姉のミリィが小声でダル・メイサを呼んでいる。

「メイサちゃーん、まじで神殿から離れてくださいっす。その女は危険です」

 ブリジット・アンリ・パティも神殿に登ってきた。


「ええと、ええと」

 ツインテールの小さな頭をかしげて、ダル・メイサは困惑する。


「答えろ」

 赤ん坊を抱きかかえるチズルは短く鋭い声を放った。


「……」

「手紙を書いたやつは誰だ」

「手紙?」

「息子を誘拐して、私をこの場所に来させたんだ」

 ダル・メイサは眉をしかめるだけだ。


「キンスロットがやったんだ。キンスロットは精霊から声を受けたと言って、こんなことをやったんだ。だから、精霊がやったんだ。妹は何もわからないんだ」

 ミリィがダル・メイサに駆け寄って守るように抱きしめた。


「ふざけるな。説明が必要だ。この娘が精霊の巫女なのか? ならば精霊を出せ。精霊になれ!」

 強い口調でチズル・グラシエンラは、ダル・メイサとミリィに向かって怒鳴る。

 姉妹もチズルが怒るだろうとわかっていた。


「精霊がダル・メイサに憑依しないと、精霊の声は聞けないんだ」

 ミリィはメイサの前に立って釈明する。


「落ち着いてくださいっす。本当に説明できる人がいねえんです。キンスロットは下にいるっす。あの人が一番わかっているっす」


「キンスロットは私が斬り捨てた」

 チズルはぼそっとつぶやいた。

「ええええ、マジっすかー」

 パティが目をひん剥いて驚きの形相を見せた。

 綺麗な顔が台無しだ。

 

「うそだ」

「マジっすかー」


「ともあれ、姉妹よ。お前たちは、この神殿を預かっていた責任者だ。巫女よ。いたいけで、可愛い外見など、私には通用しない。お前は【聖女】の認定を受けた教団側の人間だ。お前たちには、教団によって私が受けた苦しみについて想像もつくまい。精霊の巫女よ。精霊を呼び出せ!」

 チズルは赤ん坊を抱いたまま、腰の鞘からバスタードソードを抜いた。


「こわいよー」

 ダル・メイサとミリィは刃を目にして怯えきっている。


「答えろ。か弱いふりをするな。精霊は私の夫の命を奪ったのだ。勇者イグニスの命をな!」


「待て。チズル・グラシエンラ。勇者イグニスは俺の父でもある」

 ついに勇者ユウ・ナギノが神殿に登壇した。


 プラチナの髪の毛と淡い蒼い瞳、襟つきのシャツに茶色のチノパンの普段着姿だ。

 腰の鞘に天啓の剣を納めている。

 

 続いて、額に知的な蒼い光を放つ、藤色の髪の少女が現れた。

 天啓のサークレットにはめられた蒼い宝石が輝いている。

 シエナステラの修道院服を身にまとい、その静謐せいひつな佇まいが、神秘的な印象を受けさせる。


「勇者ユウ・ナギノ。勇者ソラナ・シエナシテラか」

 女剣士チズル・グラシエンラは、剣先をユウに向け直した。

 お互いにソードスワードの剣術大会で顔を知っている。


「ユウ・ナギノだ。その赤ん坊は……、あんたの子供か」

「そうだ。勇者イグニスと私の子供だ」

 ユウとソラナ、そしてその場に、エリオ・ソフィーとアルト・プレヴィンも着いた。


 ・・・・・


 ユウ・ナギノは驚きで固まった。

 チズル・グラシエンラは、勇者イグニスの最後の妻だ。

「ごっくん」

 肉付きのいい、若い人妻の魅力にユウは唾をのむ。


「おいおい、まだ子供は赤ん坊だぜ。ついこの前まで、イグニスは生きていたんだな……。その赤ん坊は、俺の弟になるな」

「……お前たち、ユウ・ナギノとソラナ・シエナステラがイグニスの子であっても、天啓の神器をひとつずつしか装備できない半端な者は、勇者とは認めない。精霊の説明がなければここを去るのみだ」

「俺だって、精霊なんて知らない」


「この場に私たちが顔を合わせられたのは、【天啓】によるものです」

 ソラナ・シエナステラが口を開いた。


「お前たちは偽者の勇者だ。イグニスの血を分けたのは私の息子だけでいい。私の子だけが勇者だ」

「まだ、天啓の門を開くには幼すぎる気がしますけれど?」

 ソラナはチズルと対峙する。

「本気で天啓の門を開く気か?」

「はい。そのために参りましたから」

 藤色の瞳が、チズルの瞳をまっすぐに捉える。


(……こんな人間はいなかった。私の剣幕に、いっぱしの騎士、シエナの騎士団長ですら恐れをなすのに)


 いつのまにかソラナはじっと黒マントのすきまからこぼれるチズルの胸元を見つめていた。


「!?」

 チズルは、さっき乳を飲ませたので、ビキニアーマーがずれているのかと一瞬思ったが、ソラナが凝視しているのは、ネックレスにしている【天啓の指輪】だ。


「チズル・グラシエンラ様。ともに天啓の門を開けましょう。私たちみんなで開けましょう。天啓の神器が集まるところ、これすなわち天啓の門の入口となります」


 チズルは当惑した。

 天啓の門を開ける勇者の事業が、息子を誘拐してまで行われたならば、不当だ。協力する義などない。


「断る。お前たちが剣とサークレットを差し出せ。私の子が大きくなったら、天啓の門を開けてやる」

「俺たちには、いま天啓の指輪が必要なんだ。教団その他もろもろに対する怒りがあるだろうが、協力を願う」

 ユウ・ナギノは頭を下げた。

 

「私は子供を連れて帰る。さらばだ」

「待て。どうしても天啓の指輪が必要なんだ。お前の気分だけで世の中は回らないんだぜ」

 ユウは、ブルーの瞳をチズルに向けた。


「貴様も、私をそんな目で見られるのか? さすが、勇者だ」

 チズルは剣を抜いた。

「この剣は、両刃のバスタードソード。お前たちの父が残した剣だ。さしずめ、【勇者の剣】だな」

 子供を抱くチズルは、なるべく戦いにならないようにユウを牽制する。

「勇者の剣とはいいネーミングだ」


 ユウ・ナギノはついに天啓の剣を抜いた。

 両刃は鋼鉄や銀よりもまばゆい光沢を放ち、柄の部分にはサークレットと指輪のシンボルが刻まれている。

 

「勇者イグニスが残した剣と、息子のユウが剣を交わし合うことになるなんて!」

 アルト・プレヴィンが悲痛な表情で叫んだ。


「ユウ・ナギノよ! 子供を抱きかかえる私に剣を向ける気か?」


「チズル……、指輪を渡せ。お前は十分に強い。剣術大会でお前は強かった。この期に及んで、弱者ぶるなよ」


「弱者だと!」


 チズルはかつて宿として利用した慈善教会の神父の顔を思い出した。

『トライアード教は弱者の味方です』

 その神父は屈託のない笑顔で言っていた。


「ふざけるな!」


 ・・・・・


 エリオ・ソフィーはユウを見守っている。

(勇者のユウとソラナは強者も弱者も区別しない。だって、カジノ・ハーシュラームで、どう見ても悪党のオーナーと、捕らわれの王子がいて、勇者はオーナーのほうに肩を持ったし。結局、その選択は間違っていなかった。いちはやく民衆に富が分配されたわ)


「私たちは天啓の門を開ける。そのために私たちはデロスまでやって来ました。それは、教皇や教団の命令でも、精霊の指図でもありません。【天啓】を信じての行いなのです」

 ソラナは一同を見回して告げた。


「天啓……」

 いままで持ち合わせていなかった概念に、ミリィ・ボルトキエルはその言葉を小さく口にした。

(誰の命令でもない。この人たちは、自分のやるべきことを信じて行動してきたんだ。この人たちからは……、本当の強さを感じる……。これが勇者なんだ)

 ミリィは思った。


 戦いが始まった。


 ユウは、チズルの左脇腹を狙い、左手に子供を抱えるチズルは体勢を崩して剣を払った。

「子供を抱えて戦えるのか?」

 ユウの目は熱く燃え上がっていた。

 瞳の色が違うが、チズルはそのまなざしに覚えがあった。

 夫イグニスの面影がある。


「左を狙うとは卑怯な!」

「ちゃんと剣を両手で持って戦え!」

 ユウは天啓の剣を構え直す。

 

 チズルは赤ん坊を、なんとソラナ・シエナステラに預けてユウと向かい合った。


「少年! 私に本気で挑む気か?」

「あたりまえだ。剣で決着をつけよう。お前の最も得意とするところだろ」


 チズルは右から斬りかかるフェイントをかけて、左を狙った。

 ユウは見切り、チズルを跳ね返した。

「親父の剣と戦えるなんて、願ってもないことだね」

「貴様!」

「俺もソラナも、天啓の神器を身につけられる。それはどういうことかわかるか!」

「くっ」

 チズルはユウの足、腰、胸を狙う三段突きをかける。

 そのどの突きも、天啓の剣は跳ね返し、逆に重い衝撃をチズルに加えた。

 まるで、一千人の戦士に囲まれているかのようなプレッシャーがチズルにかかる。


 ユウは上から剣を振りかぶり、すぐに胴を狙う。

 上からの衝撃波を受け止めるのに精一杯で、チズルの身体は無防備になった。

 剣先から繰り出される波動に揉まれ、チズルの黒マントは吹き飛ばされた。


(ありえない。この私が押されるなんて……、天啓の剣のなせる技か。いや、ユウ・ナギノは天啓の剣なしで剣術大会を制覇した。強さは本物なのか?)


「俺たちは、勇者イグニスに愛された人の子供だ。あんたの息子もな」

「イグニス……」

 チズルの腕が止った。

 そのとき、ユウの下から上へ突き上げる素早いひと振りがチズルを襲った。


「あっ」

 チズルはその剣をかわしたが、胸元のネックレスが切られ、天啓の指輪が宙に舞った。

 ユウは天啓の指輪を手に取った。


 白銀の輪に菱形の青い宝石がはめ込まれている。

 それは、ソラナのサークレットに施された宝石の色と同じものだ。

 

「指輪が……、勇者の手に……」

 チズルは戦意を喪失した。

 ユウもその場に膝をついてへたりこむ。チズルから相当のプレッシャーを受けていたのだ。

「どう見てもユウの勝ちでしょ」

 エリオ・ソフィーはユウに拍手を送る。


「天啓の門はお前たちで開けばいい」

 チズルは、ソラナから赤ん坊を受け取った。子を抱きかかえるチズルの表情は優しい母そのものに戻っていた。


 ユウは天啓の指輪を左手の薬指の先に当てた。指輪は難なく指を通った。

 

 天啓のサークレットと天啓の指輪の宝石から、シエナの深い海原を連想させる青い光が放たれ、あたりを覆う香炉の煙がはらわれた。

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