第三十四章 巫女の姉でございます
デロスの国近辺
ブリジット・アンリ・パティは、十数騎と三台の荷馬車からなる教皇騎士団を先導する。
教皇騎士団は、砂漠の街ハーシュラームからデロスの国を目指して一目散に馬を駆けた。騎士団長のレーゲン・キンスロットが急がせた。
馬上のパティの身体に吹いてくる風が、デロス山嶺のなつかしい樹々の匂いを運んできた。
「キンスロットの旦那。もうすぐですよっ」
額に浮かぶ汗をぬぐい、パティはポニーテールを揺らして、背後のキンスロットのほうを向いた。
「パティ。ごくろうだった」
レーゲン・キンスロットは、ねぎらいの言葉をかける。
銀髪の彼はソードスワード市国で美男子として人気がある。
「勇者より先に騎士団がデロスに着いちまうっすね」
「勇者一行にも案内役がついている。じきに勇者も到着する」
「そうっすか。あっしより、ずっとしっかりした人が勇者の案内をやってそうっすね」
キンスロットがついた嘘に、パティは簡単に納得してしまった。
「!?」
ふと林間に目をやったパティは、凍てつくような悪寒に襲われた。
黒いマントに身を包んだ何者かがこちらを伺っていた。そして、すぐに幹の陰に姿をくらませた。
「どうした。パティ」
「あわわわ、なんかやばいもんが目に入った気がするんすけど……」
恐怖でパティの瞳孔が開き、頬に脂汗が滴っている。
「熊か?」
黒いマントの人間は、長い黒髪を持っていた。
「……人間っす。性別は女かと」
キンスロットも顔色を変えて、騎士団に緊急事態を告げた。
「山を探索し、怪しい者を見つけるぞ!」
荷馬車には五人の騎士が警備についた。
パティは、その荷馬車に赤ん坊がいるのを知っていた。
ときどき大きな泣き声をあげている。世話役の女も乗っている。
誰の子供かキンスロットに尋ねたが、彼は教えてくれなかった。
「どっちの方角だ?」
「あっちっす。疲れのために見えた気のせいかと思うんすけど」
「いや、探索をはじめる」
騎士十名が山の中に入った。
パティも複数の投擲用のナイフを指にはさめて、キンスロットと一緒に藪の地面を踏み歩く。
カジノ・ハーシュラームで、セルジュ・ジリカを相手に一緒にダーツで戦った感覚を思い出した。
「旦那。デロスの山嶺に魔女のうわさなんてないっすよ」
「いや、警戒しよう」
キンスロットは霊剣カリバーンを構えていた。
一時間ほど探索し、キンスロットは異常なしと判断した。
「すみません。見間違いでした。無駄な時間を取らせて、すみません」
パティはキンスロットに頭を下げる。
「いや、心当たりはあるんだ」
「えっ」
「いや、今のは聞かなかったことにしてくれ」
キンスロットはすべてのことを教えてくれない。
・・・・・
デロスの国
「パティー」
山道のはずれで、ミリィ・ボルトキエルは久しぶりに知った顔を見つけた。
ブリジット・アンリ・パティが先頭になって、十数の騎兵を従えている。
「ただいまっす! アネキ!」
パティが笑顔で返してくる。すこし肌が焼けている。
「大役をよくやったな。パティ。よくやったよ」
ハスキーな声でミリィは眼鏡の奥の涙をぬぐった。
デロスの守り人として、パティがそばにいないと不安だった。
気がつくと街はずれに来て、首を長くして彼女の帰りを待っいた。
「メイサちゃんは元気っすか?」
「ああ。神殿にいるぞ。でも、メイサに精霊が降りてこなくて、神託は休み中だ。パティ。カジノに誘惑されなかったよな?」
パティは頭を掻いた。
「へへ、いっちまったっす」
数年前もパティはカジノ・ハーシュラームで大借金をつくった。
「バカ、何やってんだよ!」
「結果オーライっす。あそこのお兄さんに助けてもらいやしたから」
「お兄さんだと!」
ミリィは血色を変えて、銀髪の男に視線を移した。
銀髪の目鼻筋が整った男が、大事そうに赤ん坊を抱えている。
(やだ、あんなかっこいい人みたことない。
教皇騎士団長?
かなり偉いじゃない?
若いし。
結婚しているの? つーか、子供を抱いているじゃんか。
デロスの出会いパーティじゃ絶対にお目にかかれないよー)
「アネキ、ぼやっとしてませんか」
「はっ」
ミリィは丸眼鏡をかけ直した。
「こんにちは。デロスを守るお嬢さん。私はソードスワード市国トライアード教皇騎士団長のレーゲン・キンスロットだ」
彼は握手を求めてきた。
「せ、精霊の巫女、ダル・メイサの姉のミリィ・ボルトキエルでございまーす」
ミリィはおそるおそる、キンスロットのたくましい手に触れる。
「あなたは私が会いたい人物の姉でいらっしゃいます」
「はい。姉でございまーす」
相手が放つ、女殺しの笑顔にやすやすと引っかかっている自分に気づく。
「アネキ、いつもと声のトーンが違うっすよ」
パティは笑っている。
ミリィは目の下の筋肉をぴくぴくさせた。
あとでパティにこの銀髪の男性と、どんな仲になっているのかじっくり尋問してやろうと強く思った。
・・・・・
キンスロットは赤ん坊を抱えて、ミリィ、パティとともにデロス神殿に向かった。
地上から神殿へと繋がる階段は想像以上に長かった。
抱きかかえる赤ん坊が鉄の塊よりも重く感じてきた。
(チズル・グラシエンラはおそらくデロスの国に入ったな。
あの女は俺を狙ってくる。
天啓の指輪を持っているのはあの女だ。指輪を得るために、剣を交えることになりそうか)
「まだ着かないかな。君はいつもこの階段を上り下りしているんだね」
途中で息をついてキンスロットはミリィに声をかけた。
「はじめは誰もがそう感じると思いますよ。慣れますよ。腰の剣が重たそうですね?」
ミリィは丁寧な口調で答える。
「この剣はカリバーンといってね、北方の王国からトライアード教皇へ献上され、いま騎士団長の俺の手にあるのだ。俺は教皇と幼馴染みでね」
「どうか、その剣で勇者をお守りください。ダル・メイサをお守りください」
「ははは、勇者は勇者自身で守らなければならないさ。俺が守るべきは精霊にまつわる人たちさ。もちろん、守るべき対象に君も含まれているよ」
眼鏡の女は感激して、階段を登る足をふらつかせた。
キンスロットは、この女はパティとのやりとりで見せた荒っぽい仕草のわりには、男にはウブだと感じた。
・・・・・
デロス神殿の頂上にある、四本の柱で囲まれたあずまやに、ミリィと同じえんじ色の髪のいたいけな幼女が鎮座していた。
あたり一帯は、快でも不快でもない、絶妙な芳香の煙に包まれている。
「あー、パティ。お帰り」
ツインテールの幼女はひょいと立ち上がった。
「元気でしたか、メイサちゃん」
「あれ、勇者を連れてきたの?」
ダル・メイサはキンスロットを指差した。
(こんな小さな子が精霊の巫女か……。
残念ながら俺は勇者ではない。
俺は勇者の子をここに連れてきた。
それは天啓の指輪を持つチズル・グラシエンラを誘き寄せるためではないのだろう?
精霊よ!)
「ダル・メイサさま。私はキンスロットと申します。この子をここで預かっていただきたいのです」
キンスロットがうやうやしく赤ん坊をゴザの上に寝かせると、ダル・メイサはさっそく小さな体で抱きかかえた。
「この赤ちゃん、男の子? へえ、さらさらの黒い髪が生えていてかわいいね」
「旦那、この子はいったい誰なんです?」
アンリ・パティはもどかしそうに聞いてくる。
キンスロットは、ダル・メイサに向かって口を開いた。
「ダル・メイサさま。この赤ん坊について、説明してください」
「いきなりー。うーん、わからないなあ」
ダル・メイサは赤ん坊をあやしながら、困った顔をして首をかしげる。
「キンスロットさま」
ミリィはキンスロットの肩に手を置いた。
「この行動は、精霊の言葉によるものでしたか? あいにくメイサには、しばらく精霊が憑依していないのです」
「ダル・メイサさまを驚かせて申し訳ない。この赤ん坊は、ここに来るべくしてきたのだ。この赤ん坊は、勇者イグニスの息子なのだ」
「イグニスはたしか死んだっすよね」
パティが言った。
「死んだ」
「母親は?」
「いる」
「赤ん坊を母親から取り上げたんすか?」
「違う」
キンスロットは下を向いた。
「俺は、精霊の声に従っただけだ!」
あずまやの柱の四隅にある香炉の火がいちだんと強く灯り、あたり全体が煙に覆われた。
「キンスロットよ。我が命ずれば、いまここで赤ん坊の首を切り落とすことができるか?」
ダル・メイサの声だった。
「精霊さまですか! あなたがおっしゃることを拒めません」
キンスロットはダル・メイサにひれ伏した。
「メイサに精霊がのったときの声だ」
ミリィが叫んだ。
「我は精霊。我の声に従う者を飼い慣らしすぎたわ。もうじき、天啓の勇者がやってくる。だが、それがどういう事態を招くのか、我にはわからない。精霊である我を含め、すべての存在が、【天啓】による審判を受けることになるのだ」




