第二十二章 カサデアの妊婦
ハーシュラーム
女剣士チズル・グラシエンラは、黒いマントで目から下をすっぽり覆い、おおぜいの人間でごった返す市場の道を歩いていた。
砂漠の国、ハーシュラームは、東方と西方の交易の中継地として栄える華やかで開放的な街だ。
からっとした空気で気温が高く、男女ともに肌が露出した格好をしている。
マントを羽織るチズルの姿に、行き交う人々はなんら怪しむ視線を向けてこない。
ここはさまざまな人種が集まる場所だからだ。
チズルは、ねぐらにしている歓楽街の宿に入った。
宿は二階建てで白塗りの壁にヒビがあった。
「あんた、きょうも暇そうだな」
カウンターの男が、チズルを見て文句を言った。
チズルはいつも顔のほとんどを隠しているが、男は、彼女が相当の美貌をもっていると感じた。
「ここは、あんたら娼婦の貸し宿なんだからな。ちゃんと客をとって……、分け前を払ってもらわないと。だから安く泊まれるってことなんだよ。きまりなんだから。言葉わかる?」
「宿代ならいくらでも払う。干渉するな」
チズルはカウンターの上に数枚の銀貨をばらまいた。
「こんなに金があるんなら、まともなところに泊まればいいのに」
カウンターの男は、にやけながら懐に銀貨をかき集めた。
チズルは部屋に入り、マントを脱いだ。
淫猥さを醸し出す桃色の壁、いびつな紋様の装飾が施されたベッドが置いてある。
「客をとれか……」
チズルはふっと笑った。
連れ込み宿、娼婦のねぐら、身分を明かさなくていいから選んだ宿だ。
「この国は人が多いし、出入りがはげしい。ここしばらく歩き通して街にも詳しくなった。やっと、トライアードのやつを見つけた。デロスに行く前に息子を取り返すぞ」
チズルはこの国に滞在して、教団関係者を待ち構えていた。
自分の赤ん坊を連れ去った可能性の高い連中だ。
彼女はそれに叶う人物を見つけた。
チズルは体の前と背中が空いたパール色のドレスに着替え、新品のハイヒールを履いた。
彼女は首に下げている指輪をはめようとした。
それでも、輪に指が入らない。
高い天の空のような青い輝きをたたえる菱形の宝石の指輪。
どうして、はめられないのだろう。
チズルはもどかしくてたまらなかった。
・・・・・
その夜、ハーシュラームにある酒場で、アルベルト・ドニーニ監察官は、アルコール度数の高い酒をちびちびと舐めながら、店にいる女を物色していた。
今夜は自由行動だと部下に告げた。泊まる部屋も決めていない。
ドニーニは、藍色の法衣を着ているが、それはまわりの人間に、出張でこの国に来て遊び回る堕落した聖職者の一人だろうと、わざと思わせる計略だ。
「素晴らしい。この雰囲気。この開放感!」
お堅い監察官としての自分と、人格がまったく変わっていた。
ドニーニのソファの隣に、大きな胸を強調するパール色のドレスの女が腰をかけた。
首に青い宝石の指輪のネックレスをかけている。
「だんな、今日はお一人?」
女はドニーニに声をかけた。
店にいる男たちはドニーニを羨ましそうに見た。
すでに何人かの男がその女に言い寄ったが、彼女は誰も相手にしなかった。
ふだんはめったにお目にかかれないとびきりの美人が、よりによって異国の聖職者の隣に座っている。
「ほお」
ドニーニは尖った耳をぴくぴく動かしながら、まじまじと女の身体を眺める。
野性的に黒光りする髪、腰はくびれ、尻と肢も引き締まった体つき。
「だんな、今晩はあてがあるの?」
「ないんだな。これが」
ドニーニは、久しぶりに味わう酒と、女の色香に酔いしれていた。
彼は女に勧められる強い酒を何杯もあおりながら、彼女にトライアード教の監察官としての武勇伝を語った。
そのエピソードの中に、とりわけ女が詳しく尋ねてくるものがあった。
「さて」
いろいろと満足したドニーニは、手を伸ばし、女の引き締まった腹筋と脚を撫でた。女の体に細やかな古傷があった。
「さあ、こんな酒場、出ていきましょ。案内するわ」
女はドニーニの手を引いて、例のねぐらの宿に向かった。
「ほう、面白い部屋だな」
「悪趣味でしょ」
「いや、異国の価値観というものを学べる。そういえば、君はどこの出身かね? ハーシュラームの女にしては肌が白いな」
「秘密」
女は腰をまげてベットメイクを始めた。
パール色のドレスの胸の谷間から乳首が見えそうになっている。
ドニーニは酔って、女の体の美しさにため息をつく。
青い指輪の輝きは、彼の目に入ってこなかった。
「奥の風呂場で体を洗ってきたら? お湯をはってあるから」
「そうだな。相当酔っているから、目を醒ますか」
ドニーニは奥のバスルームに行った。
「……見つけた。アルベルト・ドニーニ監察官。私の夫イグニスを殺した男」
女はバッグから短剣を取り出した。
・・・・・
過去
イグニスという男が、森に囲まれた北の国カサデアにやってきた。
彼はいろいろと疲れきっていた。
けれども彼の剣の腕は確かで、すぐに街の保安官に抜擢された。
街の護衛をやっていたチズル・グラシエンラと勇者イグニスは出会い、自然と惹かれあった。
やがて、ふたりは結婚した。
平穏かつ幸福に送っていたふたりの生活は、トライアード教団によって奪われることとなった。
『カサデアの司祭がトライアード教に属しながらも、異端の教えを広めている』
それを弾圧するという名目で、アルベルト・ドニーニ監察官が率いる兵団が現れた。
実のところ、ドニーニは勇者討伐にやって来たのだった。
甲冑と天を突くような長槍を装備した兵団が整列し、街の広場にたどり着くと、ドニーニ監察官は、司祭とイグニスの名を声高く呼び上げた。
「出頭に応じない場合は、街を焼き払うぞ!」
イグニスは、この小さな国、小さな街を巻き込んだ戦いを望まなかった。
彼は、妊娠中のチズルに、自宅の地下室の樽の中にずっと隠れているよう強く言った。
『ここから絶対に出てはいけない。俺は勇者だ。天啓の護りがある。必ず、戻ってくるからね』
と、約束をして、彼は地上に出ていった。
『万が一のため、キミにこの指輪を預けるよ。この指輪はどんなものか知っているよね?』
勇者イグニスと司祭は教皇庁へと連れられ、結果、処刑されたと通達が回った。
『勇者は死んでしまった……。私はイグニスを助けることが出来なかった』
チズルは地面に突っ伏して泣いた。
のちに彼女は男の赤ん坊を生んだ。
彼女は子供にイグニスと名付けた。
・・・・・
現在
チズル・グラシエンラは裸になって、バスルームに向かった。
「おや、来たか」
「ちょっと、聞きたいのだけれど、ソードスワードの教会から赤ん坊が連れ出された話を知っている?」
「赤ん坊? 教会? どうした、いきなり」
ドニーニには一体何の話かつかめない。
「何も知らないのか?」
チズルは念を押した。
「私はシエナ王国に出張に向かったあと、すぐにこっちに向かった。剣術大会で勇者が誕生したと聞いたが」
「勇者?」
「勇者だ。天啓の剣と輪冠を身につけられる者が現れた。私には信じられない」
チズルにも信じられない。
天啓の神器を身につけられる者は、イグニスの血を引いた自分の息子しかありえない。
天啓の指輪は、息子の小さな指を通すのだ。
不届き者がまた現れたものだなと、チズルは思った。
「ドニーニ。いくらお前でも、赤ん坊の誘拐までは関与していなかったか」
いきなり、呼び捨てにされ、ドニーニはけげんな顔をする。
「赤ん坊と言われてもさっぱりわからん」
「わかった。なら、もうひとつ尋ねたい。お前が酒場で話した武勇伝の中にカサデアの話があった」
「ああ」
「異端の司祭と、勇者を僭称する男を連行したと……」
「したがね」
カサデアに現れた監察官は、耳が尖って、目の下にくまがあったという。
その特徴を持った男が目の前で酔って湯船につかっている。
「私はイグニスの妻だ!」
「何!」
ドニーニがバスタブから、水しぶきをあげて振り返ると、チズルの手に短剣が握られていた。




