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第十八章 もう一回、冷水を浴びますか?

 その日の晩に、教皇庁主催の晩餐会が設けられた。

 

 立食のビュッフェ形式で、会場の大きなテーブルには、牛のフィレ肉、豚の網焼き、サラダ、エビ、カニ、ホタテの海産物、トマトとオリーブ、ハーブ類の良い香りを放つチーズがふんだんにのったピザ、数々の種類の酒、飲み物が並んでいる。


 市国長のヘクターや、教団の聖職者たちは、肉をみ、ワイングラスを酌み交わして打ちとけあっていた。エリオ・ソフィーは父にくっついて社交の挨拶に忙しい。


 彼らの姿を冷ややかにユウは見つめていた。

 彼は、薄手の黒いタートルネックの上に、藍色のジャケットを着ていた。いや、式のために着せられていた。

 旅の格好は、チノパンと白シャツの安い宿屋の給仕服にしようと思った。

 しかし、衣服の『藍色』は、ソラナと一緒だから、これはこれでいいのかもしれないと思った。


「肉がうまいな、肉が。聖職者もうまそうに食ってるぞ」

 ローストビーフを山盛りにして、もうひとつの手にワイングラスを持つシマデ・ミカが、ユウに声をかけてきた。

 ユウの顔が明るくなった。

「どうも、シマデさん。剣術大会のときは、いろいろアドバイスをいただきありがとうございました」

 ユウは礼をしたあと、ピザにかじりついた。

「にゃはは。勇者からお礼をもらうのも悪くないな」

 赤毛ショートのシマデ・ミカは、祝い酒をしこたま飲んで顔がすでに赤い。

「私も東方へ商売をしにいく。いちおう君たちとルートを同じくするつもりだ」

「シマデさん。俺たちと一緒に行く気はないんですか?」

「若き青少年の旅に私がいて、邪魔をしてはいけないからな」

「ありがたき、ご配慮」

 そう言うと、シマデは彼の頭をこつんと叩いた。

「ユウ、あの生まれのホテルから出ていくが、心境はどうだ?」

「不思議と寂しくないですね。エリオもついてくるし、それにソラナがなんだか姉みたいで頼れそうだし」

「ほお」

 

 晩餐会場でソードスワード少年合唱団が賛美歌を歌っている。

 社交に勤しむ大人たちの耳には届いていない。


「あなたたち、歌をありがとう。さあ、ぜひ、ビュッフェを食べていってね」

 ソラナが少年たちにねぎらいの声をかけると、腹を空かせた少年たちは一斉に皿に料理を盛りはじめた。


「食欲が優先かよ。花より団子なガキたちだ」

 ユウは少年たちのがっつきぶりに微笑む。


 ソラナは、合唱団の子どもたちの中から、肩まで髪を伸ばした少年を連れてきた。

 金色の髪には艶があり、藍色のローブから三角形に首から胸へかけて露出する肌が、きめ細やかで健康的な赤みを帯びている。


「ユウ・ナギノさん。アルト・プレヴィンと申します。旅に同行させていただきます。どうぞよろしくお願いします」

 アルトは深く頭を下げた。

「よろしく」

 ユウはすこし戸惑いながら、ぶどうジュースが入ったグラスを二つ、ウエイターから受け取りアルトに渡した。

「乾杯だ」

「乾杯です」

「私がアルトを旅に連れて行くことにしたの」

 ソラナは藤色の瞳をまっすぐにユウに向けてくる。

 ソラナの希望なら断る理由がない。


「別に、かまわないよ。雑用係? どこで知り合ったのかい。トライアード教団つながりか。おい、アルト・プレヴィン。俺たちの行動をスパイするなよ」

「ぼ、ぼくにそんな器用なことはできませんよ」

 アルトは額に汗をうかべて、手を横に振る。

「なんだ、お前は男女比率を均等にするための要員か」

「ぼくが女だったら良かったですか?」

「ああ、そうだそうだ。勇者ハーレム御一行ってところだな。というかお前は声が高いし、本当に男なんだよな?」

「合唱団にいましたから……」

 視線をそらし、黙ってアルトはジュースのおかわりを頼む。


「アルト君の歌声はいいわ。旅のさびしい夜に歌ってね」

 ソラナは静かにお茶を飲んでいる。

「こいつが歌うのは、辛気臭そうな曲ばかりだろ」

「ユウさんには聴かせてあげない」

「ちょっと、仲良く。仲良くね」

 ソラナが間に入った。


「私、そろそろヴァルダスティ三世のところへいってくるからね」

「そうだな。教皇に呼ばれていたな。会場に教皇は姿を現さなかったな」

「シスター・ソラナ。気をつけな。教皇とはいえ、ピアスのちゃらちゃらした兄ちゃんだから」

 グラスにワインをなみなみと注ぎながら、シマデ・ミカが忠告する。

「しー、教団の人に聴こえちゃいますよ」

 アルトがシマデを注意した。

「それじゃ、気を付けて」


 ・・・・・


 ソラナは暗い教皇庁舎の廊下を歩いた。

 ところどころにいる鉄仮面の警備兵が、ソラナの姿を見ると槍の矛先を変えて脇に整列した。

 広間の扉をあけると誰もいない。


 奥から一人の女官が陛下は浴室にいます。いつ入ってもいいとおっしゃいましたとソラナに告げた。

 ソラナは、ヴァルダスティ三世を広間で待ち続けた。

 しかし、彼はやってこない。

 彼女はしびれを切らして浴室へ出向いた。


「やあ、遅かったね。ふやけてしまいそうだよ」

 大きな浴室で、ヴァルダスティ三世は、白くつやつやした裸体を晒し、ぬるくなった湯につかっていた。

「どうして、ここに呼ぶの? 何が目的?」

 ソラナはさすがに不審の目を向ける。

「君の赤らむ顔が見たかっただけだ。君も裸になって湯につかれというわけではない」

 ヴァルダスティは茶髪に香油を塗り、オールバックにしていた。

 ソラナは浴室に足を踏み入れなかった。

「……」

「はあー。どうして、勇者が現れたのだろう。むなしい。すべてがむなしい」

 ソラナは耳を疑った。

「いま……むなしいとおっしゃいませんでした?」

 ソラナはけげんな顔をして、裸の茶髪の男を見た。


「天啓が教義に先立つとは、こういうことか。我々の教義はあとづけなのだ。だから、意味なんてない。だからむなしいのだ。しかし、天啓の神器は本物だね。天啓の剣を借りてわかった。余は身につけることができなかった。だが、天啓の門なんて本当にあるのだろうか。【神器が集結した場所で、天啓の門が現れる】、天啓の門を開いて何が起こるのだろう。教会の秩序に影響が出ることは確かなのだよ」

「……」

 教皇の発言にソラナは沈黙しつづけた。


「トライアード教団はね。天啓の神器を扱える人間、つまり勇者を密かに始末して来たのだよ」


「……!」

 ソラナは絶句して、浴室の手前で座り込んでしまった。

「君は美しい。本当に美しい。女神だ。君を傷つけることなんかできない。君には、その美によって天啓の門を探求する権利をあげよう」

「……」

 ヴァルダスティは湯船から立ち上がり、洗い場で香油を全身に塗り始めた。


「余は歳若くして、この地位についてしまった。だから、禁欲を余儀なくされる。女召使いに体を洗わせることもできない。はあー、これはただの欲望である。ソラナ・シエナステラ。君ほど美しい女性を見たことがない。私の体を見ておくれ。どうだ。余と結婚してくれ。勇者としてつらい思いをしなくてもいいじゃないか。余は教皇の地位を降りて普通の人間になってもいい」

「……お断りいたします。いろいろとお聞き苦しい点があり、怒りがこみ上げてきます。勇者を亡き者にしてきたなどと。天はあなたをお許しになるでしょうか?」

「余の代だけの話ではない。これはトライアードのシステムだ。監察官などいろいろな者がいる。いろいろな派閥があり、余がいちいち命令をしているわけではない」


 ソラナは立ち上がり、桶に冷や水をすくって茶髪の男にぶっかけた。


 ヴァルダスティ三世は驚いて身をかがめた。


「もし勇者出現の府令が出ていなければ、私が修道院でお世話になった恩人が危ない目にあわされるところだった。ユウが天啓の剣を抜いて、すぐに府令を出していただいたのは感謝します。それはさておき、何が君は美しいですか? 自分の欲望に打ち勝てないだけじゃない。あなたは、教皇失格よ!」


 ヴァルダスティは裸のまま、ショックのあまりソラナの前でひざまずく格好になった。

「話があるというのは、これだけ?」

 藤色の鋭くなった瞳が、月の光を集めている。

「ああ、あなたは美しい」

 ヴァルダスティは屈んだままソラナを見上げた。彼の茶色の瞳には涙は浮かんでいた。


「もう一回、冷や水を浴びますか」

「いや、勘弁してくれ。デロス神殿への道中に気をつけてくれ。天啓の門を開き、ブレス(福音)をすべての人にもたらしてくれ。余、いや、わたしからのお願いだ。ソラナ・シエナステラ。わたしはあなたの味方だ」

 若くして、責任にある地位についた教皇は、精神が未熟だ。当然、組織の部下に舐められている。

 たとえば、アルベルト・ドニーニ監察官は自己の判断で行動している。

 

「教皇陛下。お願いがあります。監察官たちの勝手な暴走をやめさせてください」

「わかった。一部の監察官が勝手に、神器を集めようとしている動きを最近知らされた。すべての監察官を破門する」

(そんな問答無用なやり方で、教団の人間が従うわけがないじゃない!)


「ああ、そのような目で余を見ないでくれ」

 地獄へつき落とされたかのように、ヴァルダスティの顔から生気が抜けていく。


 ソラナは裸の男を残してその場を離れた。

 ユウたち仲間が頼りだ。

 あらためてソラナ・シエナステラは思った。

 彼女の天啓のサークレットの宝石が、庁舎の窓から差す月の光を反射して青く輝いていた。


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