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第十章 シエナステラに吹く夜風

 

 天啓祭の二十四日前

 

 シエナ王国 シエナステラ修道院

 

 海に囲まれたシエナの街の、海岸沿いの岬の上に建つシエナステラ修道院。

 午後十一時、静まりかえる修道院のテラス。

 

 そとの闇から、岸壁に寄せる波の音が聴こえる。

 いくたびも押し寄せる波が、世間に漂う邪念を呑みこみ、小高い岬のまわりは清められている。

 

 シスター・ソラナと、修道院長のネヴュエラは、ロウソクのつたない明りのもとで、紅茶をすすりながら向かい合っていた。

「静かな夜ね」

「そうですね」


「早朝のお祈りはお休みにしちゃいまーす」

 ネヴュエラは、いたずらっ子ぽく片目をつむってソラナの賛成を得ようとした。

 藍色の修道服に身を包み、タレ目気味で、ゆったりとした口調で話すネヴュエラ。

 彼女は、シエナステラの修道院長であるとともに、【天啓のサークレット】の管理者だ。


「釣られませんよ。ずいぶんとたるんでいませんか、院長……」

 ソラナは半目になってネヴュエラを見つめる。

 ネヴュエラは小さく舌を出す。

「こんな夜更かししているもん。お肌にわるいわ。睡眠時間は大切だしー」

「でも規則です。早朝の祈りはみんなにも不評です。いつからかシエナステラは、腰かけのお嬢様ばかりになっていますね」

 やれやれとソラナはあきれ顔になる。


「はーい、私の方針です」

 ネヴュエラはにんまりと手をあげた。

 ソラナは生まれたころからシエナステラ修道院にいる。


 ネヴュエラが院長になってから、修道院は変わってしまった。

 それはソラナが十歳くらいの頃だ。

 

「……」

「あ、ソラナ。いま私の歳を数えようとしているでしょう」

「あっ、わかりました? でも院長は私が知る限り、修道女のころから全然変わっていないですよ?」

「褒め言葉と受けとめておくわね。あんな小さな子だったのに、あなたはどんどん大きくなっている。とくに、こことか」

 ネヴュエラはテーブルから身をのりだして、ソラナの胸を指でパチンを弾いた。

「あっ」

「こっほん」

 ネヴュエラは場の空気を切り替えるために咳をした。

 

「さてさて、ソラナや。どうしても修道院を出ていきたいと申すか」

「はい。ソードスワードにある【天啓の剣】を探しにいきます」

 ふうーと、息を吐きながら、ネヴュエラは空になったカップに熱いお茶とミルクをたっぷり注いだ。

「ソラナ、あなたは【天啓のサークレット】を身に着けることができる」

「はい。私は【勇者イグニス】の娘ですから」

「そう。私はあなたのことを赤ん坊のころから知っている」

 独身の彼女はソラナを自分の娘、いや妹のように接してきた。

 

 ・・・・・・・・・・・

 

 その昔、南方の別大陸にある異教徒の国との戦いに傭兵として赴き傷ついた勇者イグニスは、船でシエナの街にたどり着いた。

 そのとき、街に買い出しにでていたシエナステラの修道女、ソラナの母と出会った。

 イグニスは街の病院でしばらく傷を治すことになった。

 

 ソラナの母は、修道院を離れ、街でイグニスの看病をした。

 やがて、二人は愛し合うようになった。

 誰も知らないが、イグニスは左手薬指に、【天啓の指輪】をはめていた。

 

 怪我が回復したイグニスは、シエナステラの修道院へ【天啓のサークレット】を身につけられるかどうか試すために訪れた。

 イグニスに勇者の素質があると思わなかった当時の修道院長は、修道女をたぶらかした不遜な男だとして、頑なに立ち入りを拒んだ。

 シエナの街でソラナの母は子を身ごもり、女の子を生んだとき、命を落とした。


 その赤ん坊をシエナステラ修道院が引き取った。

 イグニスは、銀の剣を子に残し、悲観にくれながらシエナを去っていった。

 ソラナは、母の名前を引き継いで、ソラナ・シエナステラと名付けられた。

 

 修道院の広間にある女神像に、天啓のサークレットは被せられていた。

 修道女たちは、いつもそれを目にしてすごし、誰もが美しい像(天啓のサークレットを含めて)と認識するが、あまりにも身近な場所にあるので、その崇高さは、生活のなかに溶け込んでいた。

 

 ソラナが幼いころ、女神像が被るサークレットを取りはずして、頭にすっぽりとかぶせたとき、一緒に遊びの相手をしていたネヴュエラは大変驚いた。

 

 天啓の子……。

 

 ネヴュエラは、ソラナにサークレットを身に着けられることを誰にも言ってはいけないと約束させた。


 ・・・・・・・・・・・


「けれども、あなたに天啓の剣が扱えるのかしら」

「たぶん私は装備できないと思います。でも私に歳が近い男の子が扱える」

「なぜ、わかるの?」

「サークレットを被ったとき、男の子の姿が頭に浮かんだので……」

「天啓……」


 天啓は教義に先立つ。


 トライアード教が誕生するずっと昔から、天啓の神器の伝説と物語があったのだ。


「ソラナ。剣術大会で優勝しなきゃ剣を手にするチャンスはないのよ」

「剣術大会とか関係なく、その男の子に剣を抜かせようかなーとか考えちゃったりしています」

 ソラナの発言に対して、ネヴュエラは渋い顔をした。

 どこまで計画か妄想なのか区別がつかない。

 

 本当にソラナは世間知らずだ。

 もちろん修道院長のネヴュエラも似たようなものだ。

 

「院長。そんな目で見ないでくださいよ。私が言う男の子を見つけられなかったら、大人しく修道院に戻りますから。でも、天啓のサークレットは持っていきます」

「戻ったとき、何事もなかったように振舞える?」

「はい」

 

「心配しなくていいです院長。私はサークレットのレプリカを金細工師に注文しています。かわりに女神像にそれを被せるの。誰も気づかないでしょ」

「大胆な作戦ね」

「勝手でした?」

「いや、勇者のあなたの行動を私がとめる権利はないと思う。でも教団には秘密にしておきます。気をつけて。これくらいしか私は言うことができないわ。あなたは修道院にずっといて、外の世界は下町界隈しか知らないでしょ。本当に気をつけてね」

「私、ネヴュエラが修道院長で良かったと思います」

「これも天啓のうちなのでーす。ソラナ」


 潮と花の匂いをたっぷり含んだ初夏の夜風が、開けたテラスの窓から入りこみ、やさしくレースを揺らしていた。




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