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第一章 ユウとソラナ

天啓の路を

ともに歩みましょう

 

 第一章 ユウとソラナ 


 午後三時の昼下がり。

 宿屋で働く少年ユウ・ナギノは客にランチをふるまったあと、コーヒーを淹れてひと息つこうとしたところ、ひとりの少女が食堂に駆け込んできた。

 彼女は藍色のシスター服を身にまとい、まっすぐな藤色の長い髪をしている。


 昼食の時間には遅すぎる。

 すこしは忙しいこっちの都合を考えてほしいと思いながら、とりあえず水のグラスを盆にのせた。すると少女は、はあはあと上がった息がユウの顔に吐きかかるくらいの近くに寄ってきた。


 少女のまつ毛は長く、瞳の色は神秘的な藤色だった。

 じっとユウに向ける彼女の視線は、小さい頃いっしょに遊んだ幼なじみを思い出そうとするかのようだ。

「ええと、宿泊の方?」 

 シスター服の少女は、何も答えないまま、ユウの顔を見つめ続ける。

 彼女の服はサイズが合わないのか、大きい胸がおさまりきらずにぴちぴちしていて、体の艶めかしいラインがそのままくっきり浮き上がっている。

 少女は口を開いた。

「あの? あなたは神を信じますか?」

 藤の花に似た繊細で、か弱い声だ。

(先に質問をしたのは俺だよ。どこぞの宗派の勧誘か?)

 ユウは少女の藍色の服を一瞥いちべつして答えた。

「もちろん、俺は神を信じているよ」

 彼女の瞳が大きくなった。

「あの? あなたは勇者の存在を信じますか?」

 まだ息を切らしながら、質問が続く。

「もちろん。あたりまえだろ。勇者はいるよ。どこかに隠れているかもしれないけどね」

 彼女は藤色の瞳をきらめかせて、晴れやかな表情になった。

「意外ですっ。こんなに信心深い人がいらっしゃるなんて」

(勧誘は面倒なので時間がないんで話は結構ですと、邪険に扱うところだが、俺は違う。信じる理由があるからだ)


 ユウは水の入ったグラスをテーブルに置いた。

「で、あんたは宿泊の方? 食事の方? いまはお菓子くらいしか用意できないが」

「あの、私、お金がないんですけど」

(それは困る。面倒な客が入った)

 ランチの給仕のあと、部屋のベットメイクに回らなければならない。


 いまこの街は【天啓祭】の真っ最中で、よその国から多くの人がやってくる。

 すこしでも支度が遅れると宿のおかみさんに叱られる。

 ユウは分刻みのスケジュールで動いている。

「そうですよね。いいわけないですよね」

 少女はユウのおぼつかない表情をさとった。


「でも、私はどうしてもここ【ソードスワード】の国に来て、お祭りを見たかったのです」

「どこから来たの?」

「シエナステラ修道院」

 少女はすこし自慢げにその名を出した。

「えっ。隣国の【シエナ】、あの有名な修道院の尼さんか。この国のシスター服と藍色の濃さが違うから違う宗派だと思ったが、なんだ。同じじゃないか」

「はい。私はソラナと申します」


 この国から西方の山脈を超えた先にある海洋に面したシエナ王国。その国の都にある【シエナステラ修道院】は由緒正しい歴史と伝統があり、世界的に有名だ。


「俺の名前はユウ・ナギノだ。シエナからどうやって山を越えて、この国に来られたの? まさか、一人っていうわけでもいかなかったでしょ」

 ソラナは表面が水滴で濡れたグラスの水を口にしようとして、その手をとめる。

「聞きたいですか?  でも、私にはお金がないので、ここでお暇しなくてはなりませんね……」

 もったいぶった仕草と、長いまつ毛の瞳に、散りかけた花のような儚さを残して、彼女はその場を去ろうとした。

 藍色のシスター服に身を包む、少女の美しさにユウはもっと触れていたいと感じた。彼女をこのまま帰すわけにはいかない。

「待ってくれ、泊まるところは決めたのか?」

 後ろ姿のソラナは振り返って、横顔だけを見せた。

「あいにく決めていません」

「じ、じゃあ、う、うちに泊まっていけよ。いま時期は宿がどこも満室だぞ」

 ユウの頬は照れで自然に赤く染まる。

 由緒正しき若い修道女に向かって発した声には、若干の興奮が混じっていた。


「いけねえ、今日は満室だ……」

 カウンターの宿帳を開いてユウは頭をかきむしった。

「雨風をしのげるところならどこでもかまわないですけど」

「じ、じゃあ……俺の部屋を使っていいよ……」

 ユウは気恥かしさで声をうわずらせながら、さりげなく提案した。

「感謝します! 馬小屋よりずっといいです」

 ソラナは振り返り、ユウに向かって満面の笑みをつくる。

(おい、でもちょっとまってくれ……、俺は部屋にいていいのか……)

 ユウは彼女の警戒の無さに驚いた。

 はじめから彼女の思惑通りに事が進んでいるようにも思えてきた。

 それはそれとして、なんの不服もない。

 すべては神の思し召しだ。


「えーと、俺の部屋は……二階の隅っこの部屋だ」

「わかりました」

 彼女はカバンを両手に持ち、すたすたと軽い足取りで宿の階段をのぼる。

 彼女の後ろにユウは続く。

 何気なく視線が向かった彼女の尻に砂埃の跡がある。

 あのシエナステラのシスター服が、世俗の塵に冒されているようで、やりきれない思いがした。

 二階へ上がったとたんにソラナは彼にたずねた。

「ほかにここで働いている人はいますか?」

「小さな宿屋だからさ。ほとんど俺一人でやっているよ。おかみさんは夕食の買い出し中。宿屋のマスターは働かないで日中はどっかほっつき歩いている。朝は手伝い人が来るけれど」

「あなたは住み込みなのですね……、おかみさんとかマスターと呼んでいるのは、あなたの実の親でないからですか?」

 彼女の質問に彼はうなずいた。

「ごめんなさい。いろいろと聞いてしまって」

 ソラナは口を抑えたが、ユウは何も気にならなかった。


 宿の名前はホテル・ナギノ。彼の名前はユウ・ナギノ。

「俺には親がいない。でも、俺はここで生まれたんだよ」

「そうですか……」

 ソラナは静かに目をつむった。

(さて、タダで人を泊めるのにおかみさんはなんて顔するだろうな。おまけに年頃の女の子ときている……。シエナの国からわざわざ来ているんだ。祭りが終わるまで俺の部屋にかくまうしかないよな)


 ・・・・・


 ユウの宿屋がある ソードスワード市国


 この国のはずれのとある洞窟に、伝説の勇者が使ったとされる剣が垂直に突き刺さっている。

 その岩場に刺さる剣には不思議な性質がある。

 普通の人間は岩から剣を引き抜くことができないのだ。


 人が歴史を記すようになってから、ごくわずかな者しか、その剣を手にしていない。

 伝説では、剣を引き抜いた者は、みな【勇者】として、魔物や他国との戦争でめざましい活躍をした。戦いが終わったあと、勇者は剣を洞窟のもとにあった場所に戻す。

 剣は永い時のなかで鋭利な輝きを保ちながら、次に現れる国難を救う勇者を静かに待ち続ける。

 この伝説の剣にちなんで、【ソードスワード】という名前の国ができた。


 毎年、初夏に国をあげて【天啓祭】がおこなわれる。

 天啓祭では、同時に剣術大会が催され、優勝者にこの伝説の剣を抜く試みが許される。だが、剣を引き抜いた者はいない。

 

 ソードスワード市国の真ん中に【トライアード教皇庁】がある。

 この界隈の人々が信仰する【トライアード教】。

 その教義のなかに、三つの神器、【天啓の剣】、【天啓の指輪】、つづいて、【天啓のサークレット(輪の形の冠)】を装備する者が、【天啓の門】を開くと、神が人々に永遠の安息と救済をもたらすというものがある。


 ソードスワードにある剣は、トライアード教によって、三つの神器のうちの天啓の剣に列せられている。


 天啓のサークレットは、シエナ王国のシエナステラ修道院が保管しており、天啓の門は、はるか東方の【デロス神殿】にある。なお、【天啓の指輪】のありかはわかっていない。

 したがって、トライアードの教理としては、天啓の門はいまだ開かれず、人々は神によって救済されていない。

 天啓の門を開く勇者の降臨を待つのがトライアード教なのだ。


「手伝ってもらって悪いな。もう終わったの?」

 客室のベットメイクを終えたユウとソラナは二階の廊下で見合わせた。

「たぶん泊る人に失礼にならないと思いますよ」

 彼女の髪の分け目の額にうっすらと汗が光った。

 念のためソラナが清掃した部屋を覗くと申分なく綺麗に整えられていた。

 ユウは自分の部屋に案内した。

 ベッドと小窓とドレッサーと、軽く書き物ができる机があるだけで、客室より狭い。

「あまり飾り気ないだろ?」

 男の部屋に女を入れて、ユウは恐る恐る彼女の顔を伺う。

「いいじゃないですか。私の部屋よりずっと広い。それに、私たち修道女には化粧台なんて与えられません」

 ソラナは部屋の真ん中で踊るように一回転した。

 長い髪がなびく姿は美しかった。

「へえ、修道院の部屋はここよりも狭いんだ」

「ええ。このドレッサーいいですね」

 彼女は鏡ごしにユウの姿を見た。


 ユウ・ナギノはプラチナ色の髪と、南国の海を思わせる淡い青色の目をしている。この鏡の前で、作業着やウエイターの服に着替えるので、男としては身だしなみに気をつかうほうだ。

 彼女はじっとユウの姿を眺めている……。

 それに気がついたユウは顔を赤くした。

「シスター服が汚れているから洗ってやろうか?」

 のぼせたユウは頭に浮かんだことをそのまま口走った。

 それを聞いて彼女は目を丸くする。

「あっ、なんか、洗ってあげなきゃなと思って、別に変な意味はないから」

「ユウさん。あなたは……、綺麗好きですね」

 ソラナは感心して微笑む。

「そう見えるか?」

「この部屋にチリひとつ落ちていないし、ユウさんの身なりもこざっぱりしていますよ」

 彼はいま、白シャツとズボンに前掛けのエプロン姿だ。

「だって、ホテルの仕事をしているからな」

「私も服の汚れが気になっていました。さっそくお言葉に甘えさせていただきます」

 突然ソラナはその場で藤色の長い髪を乱して修道服を脱いだ。

 ソラナの胸は豊かで、尻の大きさに対しても、ワンピースのシスター服は窮屈そうだ。

「ちょっと、タオルで体は隠してくれ!」

(修道院で生活していると世間ズレするのだろうか? 男の前で服を脱ぐなんて……、無防備すぎるぞ!)

「下着は身につけているけれど?」

「……。どういう感覚をしているんだ……。あんたはシスター服姿で街を歩いていても、たいていの男は振り返って、しばらく視線を釘づけにするよ」

「へえ、私にそんな魅力があるのですか? ユウさんだって、街を歩いていたら女性の視線を集めるんじゃないかなって思いますよ」

「さん付けで呼ばなくていい。もういい」

 ユウはシスター服を受け取り、素早く階段を下った。


 ・・・・・


 ソードスワード市国 ソードスワード市長邸


「あの剣がどうなるんだって? オヤジ!」

 肩までのライトブラウンにすこし癖毛のある髪の少女、エリオ・ソフィー・フォン・ソードスワードがものすごい剣幕でソードスワード市国長の執務室に立ち入った。

「なんて口の悪い娘だ。天啓の剣はトライアード教皇庁へ移送される」

 父親のヘクター・フォン・ソードスワードは、深く椅子に座り、葉巻を吸いながらぶっきらぼうに娘に告げた。

「天啓祭の剣術大会も今回で終わりするわけ?」

「剣がなくても毎年祭りはやるし剣術大会もできる」

「剣がなくなれば、この国はソードスワードじゃなくなるじゃない!」

 娘のキンキンする声に父はこめかみを抑え、葉巻の煙を娘に向かって吐いた。

 娘はむせて咳をした。

 娘エリオは、父親の机の上にバチンと音を立てて両手を置き、やりきれない思いをあらわにする。

「オヤジ! 天啓の剣がこの街にあって、代々わたしたちが剣を守ってきたからこそ、ソードスワードの姓を名乗れるんじゃないの? 違う?」

「こっちだって考えているんだ」

「そもそも、あの洞窟から剣をどうやって持ち運ぶの?」

「剣の周りの岩を切り崩して運ぶのだ。街に石工をたくさん呼んでいる」

「そんなバチあたりなことをして」

「教団幹部の決定事項だ。これには逆らえない」


 長いものには巻かれろ。

 いつもの父の小物染みた考え方にエリオはうんざりしていた。

 教団の権力は、トライアード市国を超え、シエナ王国やほかの国にも及んでいる。

「見返りはもちろんある。お前はわしの市国長という地盤を引き継いでもいいし、あるいは教団のいい地位に就かせてやる。そして、いいお見合い相手でも見つけてやろう」

「まったくもって、話になんない!」

 娘を想う親心を一蹴されたヘクターは、ついにいらいらし始め、まだ長い葉巻を灰皿に押し付けた。

「お前はな、俺のおかげでいい思いをしているのだぞ。お前は去年の剣術大会で優勝しただろ、あれはわしが根回しを……」

「嘘っ! あれはわたしの実力」

「お前はバカだ。教皇の騎士たちが参加しているのだ。十代の小娘のお前がまともにやったら勝てるはずがない」

「もういい! わたしはいつも本気だからね。今回もわたし大会に出るから。わたしが勝ったら、天啓の剣はよそにあーげない」

「教団との決定事項だからもう覆すことはできない。大会に参加していいが、下手なことをすると痛い目に合うぞ」

「天啓の剣がわたしたちの手から離れたら、国を出ていくから」

「お前は何もわかっていないんだ!」

「オヤジこそ何もわかってない!」

 エリオ・ソフィーは市長の父をきつくにらんだ。色白の気品ある顔が台無しだ。

 父はエリオのまなざしに死んだ妻の面影を見た。ただ妻の気性はこんなに荒くなかった。自分譲りの性格なのだろうと思った。


 エリオ・ソフィーは屋敷から飛び出した。

 初夏の夕刻。

 祭の催しで、街はあちこち賑わっている。

 全国各地から観光客、行商人、剣術大会に出場する騎士たちが見かけられた。

「わたしには味方がいるし」

 エリオは同じ年のユウ・ナギノの宿屋を目指した。

「おや、おや。エリオお嬢さま。ごきげんよろしゅうございます」

 フロントにいる風采の上がらない痩せた男が丁寧に頭を下げて挨拶した。

 ホテル・ナギノのマスターの男である。

 エリオは無視して階段を駆け上がった。

 男はふっと息を吐いた。位の高いものが低いものを見下しても気にしてはいけない。

「ユウはエリオと結婚してくれないかな。そうすりゃいい逆玉の輿だ。俺も働かなくてすむわな」

 マスターの男は卑屈な笑い顔を浮かべて、暇そうに宿泊者名簿をペラペラめくった。


「ユウはいる? 入るわよ」

 二階の奥の部屋のドアをエリオはノックなしで開けた。

 そこには、桶に汲んだ湯で体を清める藤色の髪の乙女がいた。

 二人とも、息を飲んで見つめ合う。

 驚きでより大きく見開いた瞳、均整のとれた鼻立ちと唇、露わになった形の良い乳房。

 エリオ・ソフィーは、美しい女神を目の前にしたような錯覚に陥った。

「客室? ゴメン!」

 エリオは急いで部屋を出た。

「あれ、ここがユウの部屋のはず……」

 部屋から幸い悲鳴はあがってこない。

 エリオは一階へ降りた。彼女はこのホテルの構造を熟知している。


「何余計なことしてんの?」

 ホテル・ナギノのおかみさんの野太い声が部屋に響く。

 ユウは夏にわざわざ暖炉を焼べて、洗濯したシスター服を乾かしていた。

「早く乾かしてあとはアイロンをかけるだけ」

「夏場に無駄なことをしているんじゃないよ。尼さんなんて泊まっていたかね? ちゃんとチップは貰ったのかい?」

 太ったおかみさんはユウを叱る。

「お願いだから。ほっといてくれ」

「ユウー、ここにいた?」

「エリオ?」

 彼女が姿をあらわすと、おかみさんは即座に機嫌を直して猫撫で声を出す。

「まあまあ、これはどうも。ごきげんいかがですか。エリオお嬢さま。まだこんな子の相手をしてくれるなんてねえ」

「ええ、市国長の娘であるわたしが来たのよ。感謝しなさいよ。おばさん」

「ははあ、剣術大会は応援します。連覇がかかっていらっしゃいますものね」

 おかみさんは、女剣士であるエリオ・ソフィーのファンだ。

「ええ。またいいところを見せてあげるから。首を長くしてまっていらっしゃい。あら、おかみさん。また太って首が短くなってるよ。ユウの手が空いたら、ちょっと借るからね」

 体型を指摘され、額に血管が浮かびながらもおかみさんはにこやかな表情を崩さない。

「どうぞ、どうぞ。どうせならこの子をお屋敷に連れて行ってもかまいませんわ」

「おかみさん……」

 ユウはあきれた。


 ユウ・ナギノとエリオ・ソフィーは幼馴染で気心がしれた仲だ。


 日が暮れてから、ユウはエリオに連れ出された。

「まったく、なんなのアンタの格好は。わたしと釣り合ってない!」

 ユウは白シャツにサスペンダー付きのズボンの作業姿、しかし、プラチナの無造作ヘアのユウは何を着てもよく似合う。

 いっぽうのエリオ・ソフィーはキャミソールと短めのプリーツスカート姿だ。

(エリオのやつ気合入っているな)

 祭の最中なので、夜でも街の通りは大勢の人でガヤガヤしている。

 天空にいくつかの花火があがった。

「まあ、綺麗……」

 ユウは出店で焼リンゴの串を二本買い、一つを彼女に渡した。

「珍しー。パイに包まれていないリンゴのお菓子だって」

「庶民の味を知っとけ」

 熱っ、と彼女は触れた唇から焼リンゴを離した。

「はは、できたてだ。ところで……、二人で出かけるのは、久しぶりだな……」

 エリオ・ソフィーは、茶色の瞳を見開いて、ユウと視線を合わせる。

「別に、アンタをデートに誘ったわけじゃない」

「……、なんだよ。その態度。こっちは忙しいんだぞ……」

 ユウの淡いブルーの瞳がすこし曇る。

「お願いがあって、それを言いに来たのよ」

「命令の間違いだろ」

「意味は同じでしょ」

「ちげーって」

 エリオの体から発した甘い香水の匂いがユウの鼻腔をくすぐった。

(俺、いまエリオに女らしさを感じた……。ガキのころから一緒にいるってのに。こりゃソラナと出会って触発されちゃったな)

 エリオはユウに向かって指をさした。

「ユウ、天啓の剣を抜きなさい!」


 ユウ・ナギノは、【天啓の剣】を引き抜くことができる。


 ・・・・・


 過去


 ユウたちが幼いころ、天啓の剣の洞窟の探検中に、子供たちで剣を引き抜く遊びをやったとき、偶然にもユウだけが剣を引き抜くことができた。

 それでも、幼い彼にはまだ力がなかったから、柄をすこしひっぱれただけだった。

 ことの重大性を知っていたエリオ・ソフィーは、剣を引き抜けるのを誰にも漏らすなとユウに約束させた。その時遊んでいた子供たちのなかで、この秘密を知っているのは、ユウとエリオのふたりだけだ。


『ユウ、剣を抜きなさい!』

 ユウはいままで何どもエリオからこの命令を受けてきた。

 すこし大きくなってから二人は、洞窟にこっそり出向き、ユウが天啓の剣を抜いて、エリオに手渡す。

『ああ、ソードスワードの宝。天啓の剣。なんて美しい』

 ふつうの人間は、天啓の剣の柄のグリップを掴もうとしても手が弾かれて装備できない。だからエリオ・ソフィーはそのブレードを全身で包み込む。

『なんて美しい。わたしの剣……』

 エリオは洞窟のわずかな光を反射して輝くブレードを撫で、口づけをする。

『剣フェチを超えて本物の変態だ。お前は』

『うるさいわね。だまっていなさい』

(俺は天啓の剣の付属物でしかないのか……)

 同い年の少女が興奮する姿を見せつけられて、ユウも自分自身を剣に見立てて、エリオと絡むシーンの想像をした。

 誰にも知られてはいけない儀式、二人だけの秘密だ。

 

 ・・・・・


「いまは洞窟にも観光客がいるから諦めろ。大会が終わったら抜いてやる」

「バカ、今日はそういう意味じゃない。ユウ。剣術大会に出て優勝しなさい」

「えー、俺、今回、出る気なかったし」

 剣を嗜むエリオ・ソフィーに、ユウ・ナギノも昔から稽古にたびたび付き合ってきたので確かな腕がある。

 女のエリオは力のいらない刺突剣のレイピアが専門で、ユウは大きく振りかぶるロングソードの扱いが得意だ。

「ホンモノの騎士が相手だからな。怪我したら、俺仕事できなくなるもん」

 ユウは、前回の剣術大会に出場し、準決勝で教皇騎士団長に敗れた。エリオ・ソフィーは決勝でその騎士団長に勝って優勝した。

「対戦相手なら、わたしが全部いいように組めるから」

「八百長か?」

「違うー。わたしは実力で優勝したの! オヤジが裏で根回したかもしれないけど、わたしが知るところじゃないわ」

「八百長だって、薄々感じているんじゃないか?」

 ユウは半目になって疑惑を向けると、バチンと頬に平手が入った。

「痛え」

「バカね。せっかくのチャンスなのに」

「何焦っているんだよ!」

 ユウは涙目になって赤くなった頬を押さえた。

「わかったわ。全部話してあげる。トライアードの教団が天啓の剣をあの洞窟から持ち去ろうとしてる。そもそもの話のはじまりは、シエナステラの修道院から天啓のサークレットが持ち出されて、その探索が始まっているわけ。教団は剣を教皇庁の手元に置こうとしているわけ」

「そんなことが起こっていたのか」

(俺はトライアード教を信仰しているし、勇者を信じている。なぜなら天啓の剣を扱える俺が存在しているからだ。けれども、俺が勇者になるなんて考えたこともなかった。ただ、剣術大会の優勝者が洞窟の剣を引き抜けるとも思っていない。やっぱり俺しかいないのかなー)

「主催者はトーナメント表をいじれるから。あなたはまたシードから出なさい。いきなりベスト8の準々決勝よ。だから三試合だけでいいの。楽勝でしょ。決勝戦はわたしとあんたが戦うようにするわ」

「エリオ~、お前も勝ち進められんのか?」

 ユウはあきれて眉間にしわを寄せる。

「あ、まあ、教団は今回、味方にならないかな……? でも、大丈夫。実力上がるから」

 エリオはライトブラウンの髪の毛をはらって虚勢をはる。

「あのさあ、まずはな。天啓の神器を扱えるやつは勇者とみなされるんだ。俺が勝っちゃったら勇者になってしまうじゃないか。いろいろ注目を浴びるのはいやだなー。教団と面倒なこと起こすのもいやだなー」

 ユウは風に冷えた焼リンゴを小さく齧る。

 エリオ・ソフィーは、小さくまとまろうとするユウ・ナギノにイラっと来た。

「あんたはいまの生活に満足しているわけ? 人生を変えたいと思わないわけ?」

 ユウは一瞬、口の中のリンゴの咀嚼を止めた。

 確かにユウはナギノ夫妻の実の子ではないし、大きくなってからは使用人みたいな扱いを受けている。

「エリオ、俺が惨めに見えるか」

「あっ……」

 エリオもさすがにバツが悪い表情をした。

「俺はいまの生活に満足してる」

 ユウはそうつぶやいてリンゴを飲み込んだ。

「ごめん」

「気にするな。お前の性格は俺も昔からわかっている。だがな、お嬢さまのお前にはわからんかもしれないが宿屋の仕事は面白い。いろいろな人に出会えるし」

「出会える。出会えるって?」

 エリオは意味深長にユウの言葉を繰り返す。気まずい空気は一瞬にして去っていった。

「うん?」

「あなた宿屋の自分の部屋を変えた?」

「いや、別に。あの狭い部屋のままだが」

「わたし見たんだけど。裸の女神がいた。あんたの部屋に……」

 ユウはかじりついたリンゴの塊を飲み込んだ。

「ゲホッ、ゲホッ」

「怪しい。あなた女の客を自分の部屋に連れ込んで……」

「いやー、いまは客のかきいれ時だろ、客室が足りないから俺の部屋も客に泊まらせているの」

「じゃあ、ユウはどこで寝ているの」

 エリオ・ソフィーは自分の癖毛を撫でながら、目を細めてにらむ。

「う、馬小屋」

「まー、なんて、境遇なんでしょ。かわいそすぎて、涙がでてくる」

「そうなんだよっ、かわいそうな境遇なの。俺は」

「もうね、ユウの剣の腕は確かなんだから、剣の道を目指しなさいよ。天啓の剣を抜いて【勇者】になるべきよ」

(こいつ、俺より剣が大切だろ。まあ俺も小さくまとまり過ぎているかもな。どんなみじめな境遇になっても、天啓の剣があれば一発逆転できるって考えが心の奥にあるのかもしれない)

「わかった、わかった。考えておく。それじゃ、そろそろお客さんの世話をしなくちゃならん。エリオも大会に備えておけよ」

 自分の部屋にいる少女について、エリオからの追及を絶たねばならない。

「美人な客にデレデレするんじゃないよ」


 宿に戻ったユウは季節外れの暖炉で乾かしたシスター服を手に取った。

「よし、すっかり綺麗になってる」

 シエナステラ修道院のシスター服……、乾き具合をためすついでに抱きしめた。

「あの人が身に包んでいる服なんだな……、おっとシワをつくっちゃいけない。シエナステラの修道院から天啓のサークレットが持ち出されたと聞いたけど、彼女はサークレットを探しまわっているのかな」

 部屋に戻るとシスター・ソラナはユウのベッドで裸になって眠っていた。

(俺の男物の服でも身につけようと考えないのか?)

 ユウも自分の気持ちがおかしくならないように視線を逸らしてドレッサーに向かうと、輪の冠が置かれているのに気づいた。


 シエナ王国が面する深い、青い海原を連想させる菱形の宝石がはめられ、輪の部分がプラチナでできたサークレット。

 それが、【天啓のサークレット】であることに彼はまだ気づかなかった。

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