4.揺れる心
「昨日も助けてもらっちゃった」
朝の教室で隣の席の椿がこっそり打ち明ける。
椿は化け物に狙われている。それなのに傷一つ負っていないのは、襲われるたびにどこからともなくヒーローが現れて、化け物を退治しているから。
だから彼女は「襲われた」とは言わず「助けてもらった」と言う。
報告するのは秘密を共有する瀬戸にだけ。
必然的に椿と瀬戸の会話も増えた。
かといって瀬戸の挙動不審と転びまくる台詞が劇的に改善されたわけではなく、椿が話しかけてくる回数が増え、それに伴って瀬戸が返事をする回数も増えただけのことだった。
「一緒に帰ろう」とは未だに言えないでいる。
断られたらどうしよう、と腰が引けているのは今までと変わりなく、付け加えて、椿のすぐ側にいては咄嗟に変身できないためだ。
変身には慣れた。
詰め襟の胸ポケットに挿してある、万年筆に擬態化した変身アイテムを空に掲げて「変身」と叫ぶ。そうすれば一秒もかからずに瀬戸は銀色のヒーローに、万年筆は化け物にトドメを刺す武器、剣に変わる。剣を収める鞘が左腰にあることも知った。
人間離れした圧倒的なパワーにも慣れた。走り出す速度、方向を定めて殴り飛ばす力の加減も覚えた。
初めて変身したときから難なく戦ったつもりだったが、戦いを重ねた今と比べると随分ぎこちなかったと思える。
みるみる洗練されていく戦いの身のこなしに、椿も気づいているようだった。
「今までで一番大きくて強そうだったのに、あっという間に倒しちゃったのよ」
「へ、へえ」
戦闘に長々と時間をかけていれば人目につきやすくなる。瀬戸は化け物と対峙した瞬間に急所に狙いを定められる眼も養っていた。
必要最小限の動作でトドメを刺す。瀬戸の戦闘能力の上昇には九官鳥も舌を巻くほどだった。
最近では九官鳥も安心して、他の地域に遠征してヒーロー探しをしているらしい。
「化け物は怖いけど、絶対助けてくれるから怖くないの。怖いのに怖くないって変だね」
「変……じゃないよ」
その安心感を与えているのは自分なのだ。こんなに嬉しいことはない。
俺は島田さんを守っている。
だが、島田椿の認識は違う。
「名前あるのかな。いつも何も喋ってくれないの」
(喋ったら声でバレちゃうから)
「化け物が出てきたら、すぐにきてくれるの。なんでかな」
(いつも島田さんの側にいるからだよ)
瀬戸の心の中の返事は饒舌だった。
それは俺だと言いたい。化け物を退治しているのも島田さんを守るのも、島田さんが誰よりも大事だからだと言いたい。
しかし言った瞬間、椿がヒーローが瀬戸であることを知った瞬間に、椿は瀬戸に関する記憶を全て無くす。
瀬戸は忘れられてしまう。そんなことに耐えられるわけがない。
言いたい気持ちと言えない気持ちでせめぎ合いながら、口に出せる言葉は「へ、へえ」がやっとで。
通り一辺倒な返事に椿が眉をひそめた。
「こんな話、信じてくれないよね」
椿の話が荒唐無稽すぎて、瀬戸の返事もおざなりになっていると感じたようだ。
「信じてるよ! だって……」
「だって?」
だってそれは俺だから、とは言えなくて、代わりの言葉を探す。
「大丈夫。どんな化け物が出ても、その、ヒヒヒ」
自分で自分をヒーローと呼ぶのに躊躇するが振り切った。
「ヒーローが絶対助ける」
助けてくれる、ではなく助けると言ったのが、せめてもの意思表示だった。
椿は答えた。
「不思議。瀬戸くんが言ってくれると、本当にそんな気がする」
「そそそそう?」
「うん。ありがとう」
それはヒーローに向けた言葉ではなく、瀬戸に向けられた言葉で、瀬戸の心は穏やかに揺れた。