3.二人だけの秘密
翌朝、瀬戸は椿が登校してくるか心配だった。
昨日あんなに怖い目にあったのである。自宅から出られなくなっても不思議ではない。
島田さんの家まで迎えに行けば良かったかな。
無論、そんなことができるわけがない。「一緒に帰ろう」とすら言えない意気地なし男の戯言だ。
ただ瀬戸がその気にさえなれば可能ではあった。瀬戸は椿の自宅の場所も知っているのだから。
もちろん誕生日も血液型も知っている。好きな科目も好きな食べ物も。
そこまで調べ上げているくせに何もできないのが瀬戸なのである。
瀬戸にとっては、椿を化け物から救うよりも「一緒に帰ろう」と誘う方が、はるかにハードルが高い。
瀬戸は椿のことばかりを考えていたものだから
「おはよう」
と椿に挨拶されて、尻が椅子から離れるほど飛び上がって驚いた。
椿は隣の席に座った。
瀬戸と椿は隣同士の席である。クラスも同じ、席も直近。それなのにこの、ていたらくといったら。
全く、この男はどこまで腑抜けているのか。
しかし瀬戸は腑抜けを返上しなければならない。
「ししししまださささん、きききききききの……」
しどろもどろになり、台詞は、こけつまろびつ転びまくっている。
椿は瀬戸の挙動不審に慣れているのか驚きもせずに意味を汲み取った。
「昨日?」
「そそそう」
落ち着け、俺。
瀬戸は深呼吸した。
「大丈夫……?」
「何が?」
「化け物が……」
続けようとしたが言葉が出てこなかった。椿は気絶していてあの場に瀬戸がいたことを知らない。それなのに瀬戸が化け物を知っているということは、瀬戸は気絶している椿を見捨ててその場から逃げたと思われても仕方がない。
しかし椿との日常会話にも苦労する有様の瀬戸が、都合の悪いことを上手く隠しながらたずねるなんて芸当をできるはずがなかった。
自然と話題は放りっぱなしになる。
意気地なしの瀬戸に代わって椿が小声でたずねてくれた。
「瀬戸くんも見たの?」
返事のかわりに何度も首を縦に振った。
「わたし助けてもらったみたい。気がついたらすぐにいなくなっちゃって、お礼も言えなかった」
「へ、へえ」
「信じてもらえないかもしれないけど、小っちゃい頃にテレビで見た正義の味方のヒーローみたいだった。銀色でキラキラしてて」
瀬戸は変身後の自分の姿を見ていない。どうやら椿の目には特撮ヒーローのように写っていたらしい。
冷静に考え直すと、かなりこっ恥ずかしくないか? あのときは、ただ力が欲しかっただけだが、そんな姿を人目に晒すのは羞恥心を刺激される。
やっぱり隠すべきだな、これは。
そう思った矢先、椿は頬を赤らめて言った。
「かっこよかった。わたしを守ってくれる騎士みたいで」
それ俺! それ俺だよ! 俺俺!
瀬戸の脳内では盛大に俺俺コールが始まった。君を助けたのは俺なんだ。かっこよかった? かっこよかったって言ったよね?
「へ、へえ」
しかしさっきと全く同じ返事をするだけだった。
正体は明かせない。しつこく鳴り止まない俺俺コールに耳を塞いだ。
「本当は、今日家を出るのも怖かったんだけど。
警察に行こうかと思ったけど、信じてもらえないと思うし。
でもきっとまた助けてくれると思ったから」
椿は一言々々を噛みしめるようだった。瀬戸に聞かせるというよりも、椿自身に言い聞かせているように。
「こんな話、瀬戸くんも信じないよね」
「信じるよ」
言葉はなめらかに発せられた。
いつも椿の前では挙動不審の瀬戸が淀みなく喋る様子に、椿は驚いた。
「信じてくれるの?」
「もちろん」
だって俺は絶対に島田さんを助けるから。
どんな化け物だって絶対に倒すから。
瀬戸の決意とは裏腹に椿が瀬戸に期待することといえば。
「じゃあ、これは瀬戸くんとわたしだけの秘密ね」
「秘密」
二人は秘密の共有者になった。
化け物と銀色のヒーローのことは椿と瀬戸だけの秘密。
そしてヒーローが瀬戸であることは、瀬戸だけの秘密だった。