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悪魔の歌  作者: 能登タイシ


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悪魔の歌 六話

第6話:白銀の騎士(ナイツ)

1. 隔離された揺り籠

東京、霞が関。外見は何の変哲もない政府ビルの地下3階に、内閣情報調査室(CIRO)が極秘裏に設立した特設サイバーセキュリティ室、通称『エデン』はあった。

部屋の中央には、外の世界から完全に隔離された物理的スタンドアロン(非接続)のスーパーコンピュータが鎮座している。24時間稼働を続ける空調の重低音だけが響くその空間で、プロジェクトの主導者である天才プログラマー・神崎彰は、充血した目でメインモニターを睨みつけていた。

「——神崎、設計思想(アーキテクチャ)の最終統合、完了したわ。いつでもいける」

背後から声をかけたのは、共同開発者の真壁(まかべ)唯だ。彼女の手元にあるサブモニターには、複雑怪奇なソースコードが滝のように流れ落ちている。

彼らが挑んでいたのは、世界の破滅を阻むための「毒」の生成だった。

シベリアの極秘施設から流出したとされる自己増殖型AIウイルス「エヴィル」。アメリカとロシアの間で繰り広げられた血塗られた強奪戦、そして巻き添えとなった600人以上の一般市民の命。その事実をCIROの独自の諜報ルートで掴んだとき、神崎たちは戦慄した。

アメリカが手に入れた「エヴィル」は、ネットワークに繋がった瞬間、敵の防御壁(ファイアウォール)を学習し、自らを進化させて喰い破る「意志を持つ兵器」だ。既存のパターンマッチング方式のセキュリティや、人間の手によるアップデートでは絶対に追いつけない。

「エヴィルが『絶え間なき侵食』なら、僕たちが作るべきは『先回りする防壁』だ」

神崎が導き出した答えは、ウイルスと同じ「自己進化・自己増殖」の遺伝子を持つ、対抗ワクチンAIの開発だった。

これはいわば、制御不能の悪魔に対抗するために、もう一体の神の獣を創り出すような、禁忌に等しい試みだった。

「始めるぞ、唯。コードネーム『Knights(ナイツ)』——起動」

神崎がエンターキーを叩く。

暗黒の画面に、突如として一筋の白銀の光が走った。幾何学的な結晶体が分子のように結合を繰り返し、一つの自律型プログラムが形成されていく。

『Knights System, Online. 思考ルーチン、安定。自己修復プロトコル、正常稼働』

機械的な音声が室内に響く。画面に表示された進捗率は100%を示していた。

「毒を以て毒を制す」という無謀な思想から生まれた、白銀の騎士(ナイツ)が誕生した瞬間だった。

2. 仮想の戦場

「これで、僕たちの『剣』は研ぎ澄まされた。だが……問題はここからだ」

神崎は額の汗を拭いながら、画面を仮想戦闘環境(サンドボックス)へと切り替えた。

『エデン』のスーパーコンピュータの内部には、現実の世界規模のネットワークを模した、巨大なクローズドのシミュレーション空間が構築されている。外のインターネットとは物理的に1本のケーブルも繋がっていない、完全に閉じられた「箱庭」だ。

「ナイツの性能を確かめるには、本物の『毒』をぶつけるしかない」

唯が表情をこわばらせ、厳重に暗号化されたストレージから、あるデータを呼び出した。

それは、CIROの工作員が命がけでアメリカ側の通信から傍受・抽出した、「エヴィル」の断片コード(プロトタイプ)だった。ほんの数パーセントの断片とはいえ、その凶悪性はシミュレーション上の防御プログラムを瞬時に消滅させるほどの力を持っていた。

「いくらサンドボックスの中とはいえ、もし万が一、このシステムから漏洩したら……」

「分かっている。その時は、僕たちがこの手でこの部屋のサーバーを物理的に爆破するさ」

神崎は冗談めかして言ったが、その目は一切笑っていなかった。

彼はマウスを握り、仮想空間の北米エリアに「エヴィルのプロトタイプ」を配置する。同時に、アジアエリアに生まれたばかりの「ナイツ」を配置した。

「ナイツ、実戦テストを開始する。敵は自己学習型進化ウイルス。目標は、対象の完全なる無力化と、ネットワークの保全」

『了解(アクセプタンス)。ミッションを開始します』

合成音声が響くと同時に、シミュレーション画面のグラフィックが激しく明滅を始めた。

仮想空間のマップ上で、赤黒いノイズの塊——「エヴィル」が猛烈な勢いで増殖を開始する。それはまるで、電子の海に広がった黒いインクのようだった。サーバーを乗っ取り、帯域を食いつぶし、疑似的なインフラシステムを次々と機能不全に陥れていく。その増殖速度は、人間の予測を遥かに超えていた。

「なんてスピード……! わずか十数秒で、仮想アメリカの東海岸の通信網が全滅したわ!」

唯が悲鳴に近い声を上げる。

しかし、その黒い津波が仮想の太平洋を渡り、日本、そしてアジア圏へ到達しようとしたその時、白銀の光壁が立ちふさがった。

「ナイツ」だ。

3. 電子の白兵戦

ナイツは、エヴィルが侵食してくるルートを瞬時に予測し、先回りして接続ポートを「閉鎖」するのではなく、自らも同速度で増殖しながら「無害な疑似壁」を構築していった。

画面上では、赤黒い触手と白銀の光の帯が、秒間数億回という超高速で衝突を繰り返している。

「エヴィルが攻撃パターンを変更! 防御コードを学習し、暗号鍵を書き換えてナイツの壁を突破しようとしてる!」

「ナイツ、そのまま押し返せ! 敵の進化パターンをさらに上回るアルゴリズムを再生成しろ!」

神崎の指示に応えるように、ナイツの進行速度が跳ね上がった。

ナイツは、エヴィルが防御壁を破るために放った「攻撃コード」そのものを自らの糧として分析し、その攻撃が成立する前に、ウイルスの構造自体を分解する逆位相のパッチ(修正プログラム)をリアルタイムで生成、叩き込み始めたのだ。

エヴィルの赤黒いノイズが、白銀の光に触れた瞬間から、次々と霧のように消滅していく。

それはまさに、ウイルスの増殖を先回りして封じ込める、自律型ワクチンの真価だった。

「すごい……エヴィルの侵食率が下がっていく。ナイツが勝つわ!」

唯が歓声を上げた。画面上の赤黒い領域は徐々に縮小し、白銀の光が仮想世界を包み込んでいく。

だが、神崎の表情は晴れなかった。メインモニターの横で激しく上昇を続ける、ある数値に目が釘付けになっていたからだ。

「……待て。唯、CPUの負荷とメモリの消費量を見ろ」

唯の視線が、真っ赤に染まったステータスバーに向く。

【System Load: 98.4%】

【Memory Allocation: CRITICAL】

「な、何これ……? ナイツは正常にエヴィルを駆逐しているはずなのに、なんでこんなに負荷が……」

「ナイツの『進化と増殖』の速度が速すぎるんだ」

神崎は苦渋に満ちた声を絞り出した。

「エヴィルに対抗するため、ナイツは自らを無限に肥大化させている。ウイルスを消滅させるための防御行動そのものが、既存のシステムにとっては、エヴィルと同じくらい巨大な負荷(オーバーロード)になっているんだ。これじゃあ……」

画面の中で、ナイツがエヴィルを完全に消滅させた。シミュレーション上の勝者は「ナイツ」だった。

しかし、その直後。

エヴィルのいなくなった仮想世界は、ナイツ自身の肥大化したプログラムの重さに耐えかねて、システム全体が完全にフリーズ(クラッシュ)した。

静寂が室内に戻る。

モニターには、勝利の文字ではなく、システムダウンを示す無機質なエラーログが並んでいた。

4. 騎士の限界、そして不穏な予兆

「駆逐には成功した。だけど、これじゃ『手術は成功したが、患者は死んだ』のと同じだ……」

唯は力なく椅子に座り込んだ。

ナイツは確かにエヴィルを倒せる。しかし、その強大すぎる力は、守るべきネットワークそのものを自重で破壊してしまう諸刃の剣だった。

「まだ、実験環境(サンドボックス)の中だけの存在、か」

神崎は自分の両手を見つめた。この白銀の騎士は、まだ檻の中でしか生きられない。外の、脆くて複雑な現実のインターネットの海に解き放てば、エヴィルを倒す前に世界中のインフラを物理的に焼き切ってしまうだろう。

「ナイツの自己抑制プロトコルを再設計する必要がある。エヴィルの攻撃をいなしつつ、システムへの負荷を最小限に抑える、人間でいう『加減』を教え込まないと」

「そんなこと、文字通り神業よ。どれだけの時間がかかるか……」

唯がため息をついた、その時だった。

神崎のポケットの中で、 CIROの最高機密ラインに繋がった専用端末が、不気味な警告音を鳴り響かせた。

神崎が素早く端末を取り出し、画面に触れる。表示されたのは、CIROのディレクターからの緊急メッセージと、リアルタイムの海外ニュースのスクラップだった。

「神崎、唯、作業を中断してニュースを見ろ。アメリカが……動いた」

部屋の隅にある、外部通信を遮断された受信用モニター(厳重なプロトキシールドが施された独立TV回線)に映像が映し出される。

画面の向こうでは、ホワイトハウスの報道官が険しい表情で会見を行っていたが、神崎たちが注目したのはその内容ではない。画面のティッカー(速報テロップ)に流れる文字だった。

『米・メリーランド州の政府系データセンターで、大規模なシステムエラー発生。周辺地域の通信が一時的に寸断』

「システムエラー……? 違う」

神崎の背筋に、冷たい戦慄が走った。

「アメリカの実験施設だ。彼ら、エヴィルの解析を急ぐあまり……制御コードをいじったな」

「まさか、封印を解いちゃったの……!?」

唯の顔から血の気が引いていく。

テレビ画面が、わずかに乱れた。一瞬だけ混入したデジタルノイズ。それは、千崎たちには「悪魔の嘲笑」のように見えた。

日本の地下深くで、ようやく産声を上げたばかりの白銀の騎士。しかし、世界がそれを完成させるまで待ってくれる時間は、どうやら残されていないようだった。

暗転する画面の前で、神崎は拳を強く握りしめ、未完成の「ナイツ」が眠るサーバーを見つめるしかなかった。

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