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趙思浚、いっぱい喰らう

「ここは唐の都、長安の大蓉橋……もとい、大蓉橋であった物の近くだ。それと、申し訳ないが姑娘(お嬢さん)の仰る人物の方には心当たりがない」


 幻晶侠(げんしょうきょう)が答える側で、橋の大部分が自重を支えられなくなり運河へ落水し、大きな飛沫を上げた。その言葉と責めるような眼差しを受けて、これまた別の船の屋根に飛び退いていた孫悟空がキキキと頭を掻く。


「謝る必要はない!」

思浚(すしゅん)、おぬしの知り合いではないのか?」


 金の獣を叱り飛ばす青衣の学士へ、銀の貴公子は呼び捨てで問うた。


「巫医閣下と呼べ! ……だが僕の知己(しりあい)にはおらん。お前の知り合いの奇人ではないのか?」


 趙思浚(ちょうすしゅん)は右手で幻晶侠を指さし、左手で結ぶ印を変えた。彼の周囲の炎が消え、代わりに藍色の糸が伸びて水に落ちていた遺体を包み、岸へ運ぶ。


「江湖でも聞かぬ名だ。響きから胡人の様にも思えるが……すまぬ、この場に知る人間はいない」

「キキー!」

「失礼した、知る猿もおらぬ」


 孫悟空の抗議を受け幻晶侠は訂正して回答を終える。


「唐? 唐って大昔の中国の名前ですね……。でも実際の中国に魔法使いと大きな猿はいたはずないから、どこか別の世界?」


 聞いた少女は首もとに巻いた布を手慰みにしながら自問する。よく見ればその黒い布に白い染料で描かれているのは、人間の髑髏だ。


「今更になったが、幻晶侠が恩人へご挨拶を申し上げる。姑娘、お名前を聞いてもよろしいか?」


 少女の衣装に疑問を覚えつつも幻晶侠は屋根から一跳び、運河の岸へ降りて彼女を地に降ろしてから抱拳した。


「あ、なんか見たことあるやつ! えっと、あっしは小森光(こもりひかる)。ダンサーネームはそのままアルファベットでHIKARUでやんす!」


 幻晶侠と同じく抱拳した少女、光はそう言って礼を返す。


「うむ? 失礼、何とお呼びすれば?」

「あいや失敬、昔の中国には通じないでやんすね。あっしの事は普通に光で!」


 光は大げさに自分の額を叩いて舌を出す。その頭部を包む帽子はやけに弾力がある橙色の糸で編まれた丸帽子の様だが、胡人(西方人)が使うような文字が緑で書かれ、しかもきらきらと光っていた。


「では光姫……」

「ひかるひめ!? いやいや、あっしはただの三下だしたぶん年下だし、タメ口でどっすか?」

「タメ口とは?」

「あー友達同士で喋るみたいな?」

「ふむ。では光、少し河岸を変えて話そう。君には謎が多い。色々と聞きたい事がある」


 幻晶侠はそう言って路地の方へ光を誘う。否、誘おうとした。


「待て!」


 しかしそこへ制止の声がかかる。その主はもちろん趙思浚だ。


「彼女には僕も聞きたい事が山ほどある。それに幻晶侠、お前を見過ごす事もできない!」

「キキキ!」


 空中の道士はそう叫んで両手を広げた。再び炎の方陣が左右に描かれる。併せて配下の金毛猿も歯を剥き出しにして唸る。


「これから暗がりへ消えようとする若い男女を呼び止めるとは、気の利かぬ堅物と猿だ。光、少し抱くぞ?」

「いぃ!?」


 彼の言葉に光が驚き身を堅くする。しかしその顔が赤く染まるのよりも早く、幻晶侠は彼女の腰の経穴を突き脱力した女体を抱えて飛んだ。


「逃がすか!」


 幻晶侠は運河の本流へ戻り、峨眉派(がびは)の軽功『上水禅如(じょうすいぜんじょ)』の技で船の上を飛び石の様に跳ねて進む。思浚と孫悟空もそれを空から追った。


「くそ、すばしっこい奴め!」


 方陣から火の矢が放たれ大猿の拳が何度も振り下ろされる。しかしその全てを幻晶侠は巧みに避けた。水面に刺さった炎が激しい飛沫を上げ、打突が砕いた船の木片が周囲へ舞う中を踊るように進み続ける。

 小柄な少女とは言え人一人を運び、背後からの攻撃を回避しながら不安定な船の上を次々と渡っていく軽功の技は、入神の域に達したと言えよう。やがて銀の長衣が進むその先に内裏(だいり)が見え始めた。


「(む! 貴様の思惑、読めたぞ!)」


 思浚は幻晶侠の行動を先読みしつつ、何も分からないフリをして彼を追い続けた。案の定、内裏の壁に近づいた所で一度、東へ行くと見えた銀の光が、外れた方術が建てた水柱の中を突っ切って西へ向かった。


(みかど)のお住まいなら手加減せぬと思ったか! 光輪同陣(こうりんどうじん)!」


 そう叫んだ神医が両手で印を結ぶ。すると銀の影へ向かった火矢が空中で藍色の投げ網へ変化し、藍が銀を包んだ。


「ウキッキー!」


 孫悟空が勝利の雄叫びを上げ、投げ網を更に大きな手で包む。術そのもので言えば先ほど犠牲者の遺体を運んだものと同じである。だが既に放った炎を直前で網へ変化させる技は、並の術士ではとうてい及ばぬ境地だ。


「そうだそうだ、そんなに抱き合いたいならそういう宿へ行け」


 大猿の言葉に呼応して思浚もほくそ笑んだ。だがその微笑みは瞬時に驚愕へ変わる。


「違う! 悟空、それを捨てろ!」


 神医は孫悟空の手の中にあるのが幻晶侠と少女ではなく、彼が脱ぎ捨てた衣である事に気づいたのだ。しかもその衣には、静かに煙を上げる爆竹がついている!


「キキーー!」


 大猿の手の中で火薬が破裂し、赤い煙の様なものが付近に充満した。強い刺激臭に包まれ、孫悟空は悶絶しながら運河へ落水する。


「この匂い……唐辛子か!?」

「うむ! 巫医閣下の分もあるぞ」


 驚きながらも分析する趙思浚の東から、そんな声が聞こえた。見やった夜空には、『千枝紅雨(せんしこうう)』の技で大量の火箭を放つ黒衣の幻晶侠の姿が浮かび上がる!


「馬鹿な……!」


 趙思浚は後方へ飛びながら方術で防御陣を形成する。火箭(かせん)は悉くその壁に防がれ彼には届かない……が、術の表面で爆発した際にばら撒かれた赤い煙は違った。


「辛……うがぁ!」


 唐辛子と火薬の混ざった粉塵が神医の目を、鼻と口を刺激する。たまらず彼は飛行術の集中を失い、(しもべ)の猿を追う様に水面へ落ちた。


「おっと、四川では並の辛さなのだが……長安の小僧には厳しかったか?」 


 幻晶侠は己のしでかした事の結果に満足して口元を緩めると、脱力した光を抱き上げ暗渠の方へ消えて行った……。

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