孫悟空、犠牲者を拘束する
「お待たせしました。何名かの宮女に指導をお願いされまして」
帰って来た趙思浚は治療を行っていた時の様に腕まくりをし、額には汗もあった。
「いえいえ、お疲れさまでやんす! ところで指導って?」
「キキキ?」
「そうだな。調度良いし、実演しましょう」
鉢を手に持ち部屋に入ってきた孫悟空に促され、趙思浚は椅子や足置きを並べ出す。何事かと見守る光の横で大猿も鉢を傍らに置き、枕や座布団を上に広げた。
「い? ここに座るでやんすか?」
出来上がったのは座り心地の良さそうな長椅子だ。おっかなびっくり光がそれに座ると、孫悟空は恭しく彼女の靴を脱がせ裙を数センチほどまくり上げた。
「少し冷えましたね……。『春江潮水』!」
その間に神医は印を結び、両手を先ほどの鉢に浸す。中には粘りがある液体が半分ほど満たされていたが、その全体から白い湯気が立ち上った。
「おわ、良い香り!」
「それでは失礼して」
麝香の香りが部屋中に満ち光が目を輝かせた。そんな少女に優しく微笑みかけると、趙思浚は剥き出しになった彼女の足を両手で掴み油を絡ませながら揉み始めた。
「ああ、フットリフレでやんしたか!」
「光殿の世界ではそう呼ぶのですね? まあなんて事のない按摩ですが」
彼はそう謙遜したが油は様々な漢方を混ぜ合わせた高級品であり、揉み手は神医と称される趙思浚である。暖かさと心地よさの波が足から全身に伝わり光は一瞬で溶けた。
「ほわわわ~」
「宮女たちが、お仕えする妃の為にこの技術を学びたがってまして。『妃が如何にほぐれているか?』は帝をお喜びあそばす上で大事、だとか?」
巫医閣下と言えどまだ十代の少年であり処子の身である。語る表情は、内容について完全には理解していない様子だ。だがその手業はまさに神の域に達しており、光は桃源郷にいた。趙思浚の表情も説明も彼女にはまるで届いていなかった。
「キキキ」
「はい?」
光が我に返ったのは、孫悟空が背後に周り彼女の両肩を両手で掴んでからだ。
「キキーキ」
「どうしたでやんす?」
大猿の声の響きに、まるで泰山が肩に乗ったかの様な重さに、彼女は現世へ戻った。
「午前はよく働いて頂きましたから……」
だが気づくのは遅く逃げるには何もかも足りなかった。
「まさか? テレビの罰ゲームで芸能人が喰らう激痛足ツボマッ……」
「ここからは疲労の取れる按摩を行います。少し痛いですが」
「ぎいやぁぁぁぁぁっ!」
神医の指が的確に光の足の経穴を突き、彼女は魚の様に身体を跳ね上げた。否、跳ね上げようとしたが孫悟空がそれを押さえつけた。
「痛い痛い痛い! ギブギブ!」
「ほう? 目と首周りの疲労もありそうですね。ではそちらも……」
「ストレートネック!? 分かったごめん、もうスマホは見ない! てか見れない! ごめん、ごめんって!」
光の謎の弁明を気にも止めず、趙思浚は次から次へと経穴を試していく。その度に悲鳴が医局に木霊する。
「う……ぁ……」
「うむ、これでよし」
趙思浚の神医としての矜持が満たされる頃には、光は疲労と意識をほぼ失い屍の様になっていた。
「キキーキ?」
「そうだな。客間に寝かせて、夕餉の時に話の続きをしよう」
主がそう指示すると隷は雑巾の様に光を肩に担ぎ、医局を出て行った……。
「ぢっ、地獄をみだ~」
医局から少し離れた部屋の寝台に寝かされた光は、孫悟空の足音が遠ざかってから低く唸りつつ上半身を起こした。
「あんな温厚そうな少年が、あんな恐ろしいドSだったなんて……」
少女はそう言いながら、趙思浚に蹂躙された足先へそっと手を伸ばす。実は目や首の凝り、全身にあった疲れが嘘のように消えているのだが今はそれに気づかない。ただ足の裏の激しい感覚だけが残っていた。
「幻晶侠の秘密を仄めかすのは辞めにして正解だった! 取り引きどころか、拷問であっさりと口を割られたに決まってるでやんす!」
光は方針転向の正しさを確認しながら寝台からそっと下りた。どうにか普通に歩ける様だ
。
「だけどそもそもの話、趙君と協力体制をとるべきかどうか? も考えないとなあ。あっしの色気だけでひっぱるにも限界はあるし」
思考しながら客間の中を歩き回る。部屋はそれほど豪華ではないが、寝台の他に食事用の卓や書き物をする机も備えられ充分な広さがある。
「お医者さんの手伝いと、あと例の悪者を捕まえる為のアドバイスをすれば充分じゃねえですかいねえ? あ、それ以前に魔法であっしを元の世界へ戻せるかどうかも確認しないとでやんす! やることがいっぱい!」
異世界の踊り子は自分がすべきことを指折り数えて頭を掻き毟った。
「いやいや悩んだ時は時系列に沿って、と幻晶侠の旦那も言ってたでやんす。まず戻せるか聞く、引き続きお手伝いをする、犯罪捜査のアドバイザーになる、と」
そう口に出してみると意外と簡単そうだ。光は嬉しそうに首肯した。
「あの助平もたまには良い事を言うなあ。よし、これで行こう。あ、でもあっちも同じシリアルキラーを狙っているでやんす! 負けないようにしなきゃ!」
助言と共に思い出すのは幻晶侠の目的である。彼もまた閻禍王を追っている。しかも自分から有益な助言も受けている。これは一刻を争うかもしれない。
そう考えた光は焦りと共に廊下へ飛び出し、今まさに客間へ入ろうとした人物へ真正面から猪突する事となる。
果たしてその人物とは?




