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悪女、出し惜しみを決意する

 趙思浚(ちょうすしゅん)巫医(ふい)閣下と慕われる所以は、むしろ以後であった。快復した親子を送り出した後も、次から次へと患者を診続けたのだ。


 それも小さな傷から大きな病まで、身分の高い者から卑しい者まで。何故か自分を助手と自認し手伝いに回った光は、患者の数が二十名を越えた所で数を数えるのを辞めた。途中、丐幇(かいほう)の者らしき男が来た時に(トイレ)へ行くと言って席を外したのもあるから、いずれにせよ正確な数は分からなかったであろう。


 それでも正午の鐘が鳴って、流石に医局は門を閉じた。何時の間に伝えられたか光の分もある昼餉(ひるげ)が届けられ、少年と少女と猿は一つの卓を囲んでようやく話し合う段となったのである。


「尽力の礼としてはささやか過ぎる宴ですが、ひとつどうぞ」

「いやいや! こちらこそありがとうでやんす!」


 米に鶏肉の汁に野菜の炒め物もある立派な食卓を見て、光は喉をならした。が、巨漢の猿が加わるならこれでは足りないのでは? と気づき横を見る。


「キキーキ」


 そんな不安をかき消すように、孫悟空は何やら唱えると無の空間から巨大な肉の塊を取り出し、かぶりついた。


「おお、ごくうさーはそっちを喰うでやんすか!」

「形だけの事です。神仙は本来、霞だけで充分なのです」


 趙思浚はそう説明しながら箸で菜を掴み、光の飯の上に置いた。それを見た少女は急いで自分も箸を取る。


「頂きます!」


 光が手を合わせてから食事を開始する様を、神医はチラと眺めて微笑んだ。そして自分もあるていど食べた後で口を開く。


「光殿は異世界から来られた天女の類かと思いますが……そちらの世界は我々のものと似ているようですね」

「モゴゴ!」


 光は何故か口を開かず、唇を閉じたまま首肯する。


「話せない? いや、違うか。食事の際にあまり会話をしない文化?」

「そうでやんす! 正確に言うと中にある間は口を開けない、というのがしつけ的な?」


 汁で飯を流し込んでから彼女はそう告げた。


「なるほど。同じものを同じ食器で食せて、神仏の存在を認知し祈る習慣もある。だが礼儀については差異がある、と。実に面白い」

「あ! ガリレオ盗られたでやんす! やりたかったのに!」


 光は悔しそうにガっと白米をかき込んだ。そしてそれを静かに咀嚼しながら上空を睨む。


「でもフレミングのポーズが無かったから……完璧ではないでやんす」

「またいずれご指導頂ければ」


 趙思浚はそう言って茶碗を捧げ持ち、自分も彼女の様に白米を口の中へ放り込んだ。


巫医(ふい)閣下は頭が良いし謙虚だし、優しいでやんすね~。こっちの事情も察してくれるし説明もしてくれる。幻晶侠(げんしょうきょう)とは大違いだ!」


 幻晶侠の名を聞いて趙思浚と孫悟空の箸と手が止まる。だが光はそれに気づかず飯を喰いながら独り言を続けた。


「昨晩はちょっと高飛シャー! って怒った猫みたいだったけど、それは幻晶侠が悪いでやんす。あいつ、人に嫌らしい事をする癖がある」

「彼に何かされたのですか?」


 そう問う趙思浚の顔は怒り半分、心配半分といった様子だ。それを見た光は慌てて箸を振った。


「いや、その、少しからかわれただけで! あっしはまだまだ、綺麗な身体でやんす」


 少女は姿勢を直して顔を赤らめる。


「キキキ……」

「あ、いや、そういう事を訊ねたのでは……」


 孫悟空の卑しい笑いを聞き光の姿を見て、少年も顔を同じ色にした。自分の質問が聞き様によっては下品であったと悟ったのだ。


「だ、大丈夫! 大丈夫でやんすよ。あっしは酒とクスリと下半身がだらしない男には近寄らないようにしているので!」


 光は汁の入った椀を杯のように飲み干して真面目な顔をした。そして頃合いであろうと自分の身の上話からあの橋へ唐突に現れた事、暗渠(あんきょ)で丐幇と一悶着あった部分までを話す。


「その後、凄い事があったでやんすが……」

「巫医閣下、もし?」


 いよいよ幻晶侠の正体について示唆しようか? と光が声に力を入れた所で、彼女とは逆に力の抜けた甲高い声が廊下から聞こえた。


「はい? 誰でやんす?」」

「恐らく石雀宮(せきじゃくぐう)の拝殿です。はい、ただいま」


 趙思浚は光に目で断りを入れると、孫悟空と共に部屋を出て行く。残された少女は茶を飲みながら先ほどの声の主が何者であったか? を思案する。


「野郎にしてはナヨっとしてるけど、女にしては強そうな声だったでやんすね。男か? 女か? それはそうとお茶は雨さん家の方が遙かに美味しかったなあ。……あ!」


 茶を飲めば思い出すのは(しょう)家の豪華さと、そこであった出来事だ。それを思い返す間に彼女は、ある事に思い当たった。


「巫医閣下のあの態度、もしかして嫉妬!?」


 光は卓をバンと叩いて立ち上がる。


「一緒に医療している間に絆が生まれて愛情になるなんてよくある事だし、そもそもあっしを一目見た時も『色々とお話したいです』みたいに言ってたし。天女だとも言ってたまあ。そっか、惚れた年上のお姉さんがライバルのイケメンに浚われて何かされたと聞いたらそーもなるか……」


 脳裏に浮かぶのは一部都合良く脚色された記憶と、簫雨(しょうう)を寝床へ呼び戻そうとした謎の美姫の歌である。光の中でその声は、男を光に盗られた女の悲しみの叫びに変換されつつあった。

 そちらでは奪い合いの的になっているのは簫雨。しかし今は己が鞘当ての対象、という風に思考が移り変わっていく。


「……となると、幻晶侠の正体が雨さんである事をあっさりと明かすのは勿体ないな! 教えてあげないあっしはあくどい女!」


 光は卓上の皿を手で回し、奇妙な節をつけて歌うようにそう呟いた。


「幻晶侠の秘密は奥の手にして、元の世界へ戻して貰うのはあっしの魅力の方でなんとかするでやんすか!」


 決意の声が医局に響く。少し考えれば分かる通り、彼女の考えには幾つもの構造的欠陥があるのだが……。光がそれに気づく前に、趙思浚と孫悟空が帰ってきてしまった。

 それにより物語は再びある方向へ進むのである。

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