趙思浚、医術をみせる
市へ走った光は手持ちの銭の残りで短刀、扇子、飴を買い集めた。その短刀で街路に止まっていた荷馬車の馬のたてがみを何本か失敬し、路地裏へ隠れる。
然る後、べたつく飴を口の周りに撫でつけ適当な長さに切り揃えた馬の黒毛を張り付ければ……髭を生やした小癪な役人のできあがりだ。
「ほっほっほ。どうでおじゃる?」
光は水たまりに自分の上半身を写しながら扇子で顔を扇ぐ。即席の髭が風に揺れたが、外れ落ちる心配は無さそうだ。
「メイクと演技の授業、受けておいて良かったー! よし、こんなものかな?」
角度を変えて三度ほど己の姿を確認した光は、満足すると優雅な足取りで歩き出した。
「おい、何処へ行く!? 最後尾はあちらだ!」
金吾衛の誰何の声が、門へ戻った光の方へ飛んだ。槍を構えたその兵士が近寄ってくるのを横柄な態度で待っていた少女は、扇を広げると内緒話をするように互いの顔を覆う。
「実はそれなんでおじゃっるが……チラッ」
そう囁きながら服の襟を少し下げる。
「なんだ……? ひぃ!」
それを見た金吾衛は腰も抜かさんばかりに驚いた。彼女が服の隙間から見せたのは、この世界へ来る時から着ていた紫の衣であった。
「しっ、しっ、紫衣のお方が何故こんな方向から……」
「これこれ! それこそ『しーっ!』じゃ。静かにするでおじゃる! せっかく騒ぎにならぬよう、下に隠して来たのに……」
光が咎めるような口調で呟くと、金吾衛はさっと槍を手にした状態で抱拳した。
「も、申し訳ございません! この咎はなんとしても……」
「では我とあちらの親子を先に通すでおじゃる」
大げさに謝罪する金吾衛へ、光はある方向を指さす。そちらには列に並んでいた際に前にいた、例の親子の姿があった。
「ははっ! そこなる二名、こちらへ!」
己の失地を挽回したい金吾衛は二もなく親子へ呼びかける。これには当人たちのみならず周囲の患者たちも当惑の顔だ。だが不安げに近づいた親子は、扇で鼻から下を隠してみせた光の顔を見てはたと気づいた。
「あ、さっきの……」
「ささ、早く入るでおじゃる!」
多く話すとボロが出る。光は口を開きかけた婦人を制し、金吾衛を急かして中へ入っていった。
医局へ入った者がまず圧倒されるのは匂いだ。さまざまな薬草や香の放つ強烈な臭気は、それだけで病や祟りに効く期待を感じさせる。
次いで多数の薬棚と札だらけの壁が視界に入るだろう。それらは診察用の寝台を挟む様に並び、この部屋の主が人魔両方を扱う事を思い出させる。
一方、部屋の天井は高く窓も大きい。竈では薪が燃え上がり湯を沸かせているが、その炎がなくても室内は明るく息苦しくもなかった。
「キキキ!」
だが別の存在が人々を圧倒し息苦しくもしていた。孫悟空である。昨晩、暴れ回った金毛の大猿が今は鼠色の衣を身にまとい、入ってきた光たちを認めて声を上げたのだ。
「ああ、次の患者が来たか」
趙思浚は書き物をしていた手を止めて立ち上がり振り向く。洗って方術で何とかしたか同じ物があったのか、夜空へ浮かんでいた時と同じ見た目の青い衣姿だ。
「あ、どうもでやんす」
「はて?」
「キキー!?」
頭を下げる光に先に気づいたのは孫悟空の方だ。片手で彼女を指さし、片手で目を擦りながら主へ必死に訴える。
「何!? 昨晩の女性!?」
「へえ、その節はどうも……てへへ」
光は平身低頭しつつ付け髭を剥がし、簫雨から盗んだ帽子も外した。
「あら? あんた、女子だったのかい!?」
帽子と同時に解かれ広がった光の青い髪を見て、子連れの婦人が驚きの声を上げる。
「あ、そうだ! つもる話はありんすが、先にこの子を診てやっておくんなさいまし。痛い部分からして、盲腸かもしれないでやんす」
「もう……何です?」
光の顔を見れば一敗地に塗れた幻晶侠との闘いを思い出す趙思浚ではあったが、奇妙な病の名前と少女の様子を見てさっと表情を変えた。
「自分も詳しくないでやんすが、盲腸ってのはたしか腸の端の方が炎症を起こすやつで」
「腹ですか……。ご母堂、彼女をこちらへ」
神医は光の説明を聞くと婦人へ命じて女児を寝台へ横たわらせた。その位置を微調整すると複雑な印を結んだ後、右手を彼女の腹の上へ翳す。
「『簾虚薄日』……うん、ここだ」
「うわ、お腹が透けて見えた! レントゲンか!?」
光が飛び上がり婦人はひぃ、と後ずさった。思浚の手から放たれた光が女児の腹を照らすと、まるで練られたばかりの飴のように身体が透け、腹の中身があからさまとなったのだ。
「レント……なんとかではありません。『れんきょぼくじつ』です。なるほど腸の末端が灼け、膿も出ていると」
少年は眼鏡を光らせながらふむふむと首肯した。
「うわ、アニメに出てくるマッド・サイエンティストみたいでやんす」
「これでは痛いでしょう。安心してください、すぐ楽にします」
光ではなく少女に向かって、趙思浚は微笑む。角度が変わって炎の反射が消えた眼鏡から覗くのは優しい瞳だ。
「キキキ?」
「ああ、大黄の三番だな。あと湯を頼む」
孫悟空にそう指示すると、思浚は空いている左手で女児の頭部を撫でた。その手が離れた時には彼女は目を瞑り穏やかな表情で眠っている。
「あわわ、麻酔をかけたでやんすか!? もしかして腹を切る?」
「キキー」
慌てる光を哀れんだ目で見ながら、孫悟空が彼女を押しのけ前に出た。そしてその巨大な手からは想像もできない様な器用な手つきで、意識を失っている女児の頭部を持ち上げ粉末を飲ませる。
「よし、出します……」
神医は眉間に皺を寄せながら両手をじわじわと動かした。ここが治療の勘所と察した光も女児の母も、黙ってその様子を見守る。
「ううっ!」
意識の無い筈の女児が呻いた。同時に、彼女の横腹付近の空間から黄色い膿の固まりがじわりじわりと絞り出されてくる。
「あわわ! 受け皿!」
口をぽかんと開けて見ていた光ではあったが、出てきた膿がある程度の長さになった所ではたと気づき手近な盆を掴んで受けに回る。
「ありがとう、気が利きますね」
「あい! 令和のさとみんなんで!」
親指を立てる趙思浚に光は笑顔で答える。その顔がしかめ面になるほど膿が盆上に溜まった所で、術が終わったらしい。神医がさっと両手を合わせる。
「あれ? お腹が……」
「ああ、おまえ!」
女児が目を覚まし、寝台の上で己の腹に手を当てる。その姿を見た母親はわっと泣きだしながら我が子を抱きしめた……。




