表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/39

7.九条坂 その4

 夜明けには、まだ少し遠い。

 今夜二度目となる高層ビルは夜空に霞んで、幻のように見えた。


 藤堂の車を正面に乗り捨て、一度目と同じくエレベーターで上階に向かう。

 何度も歩いた長い廊下が、訪れる者を静寂の中で待ち受けていた。

 あの男(藤堂)との対峙は今夜避けられなかった。これまでの関係性を破壊することにもなるが、他の選択肢はもうなかった。


 廊下を歩き始めると、何かが足元に落ちた。

 拾い上げたそれは自分の携帯電話だった。

 診療所に置いてきた上着に入れていたはずだが、無意識に身に着けていたのだろうか。


 その時誰かに呼ばれた気がして周囲を見回すが、誰の姿もない。

 気を取り直して確認した履歴には櫻木からの着信が並んでいた。

 他にも同様の履歴と音声伝言が一件。その送り主の名を見れば溜息が漏れそうになるが、とりあえず再生してみる。誰それが変だ、怪しい、と綴る聞き覚えある声が届くが、全体的にはよく分からない伝言だった。


「櫻木、俺だ」

『あ、九条坂さん、すみません、こんな時間に』

 櫻木に電話を繋ぐと、相手は待ち構えていたように出た。

 背後の音から署内にいると分かるが、家に戻って休めとはもう言えなかった。


「……手紙の指紋の件か?」

『はい。まず封筒の方ですが、そこからは被害者と沙織さんの指紋しか見つかりませんでした。中の便箋についても大半は二人のものでしたが、その中に一つだけ、別の指紋が検出されました。鮮明でない上に部分指紋だったので期待薄でしたが、犯歴者と照合したところ、六年前に少年犯罪の容疑者だった現在二十才の男と一致しました。氏名は奈津川葉月。被害者との関係は現時点で不明ですが、何もない中でやっと浮かび上がった手がかりです。夜明けを待って男の住居に向かうつもりです』


 簡潔な報告が電話越しに届くが、久吾は最後まで聞いていなかった。

 今聞いたその名を今程耳にしたばかりだ。

《名前は奈津川葉月。久吾、言ったよ。必ず確かめて》

 いつもとは違う明瞭な声で告げられたその言葉が、耳の奥で蘇っていた。


「櫻木」

『はい』

「今すぐその男の家に向かえ。俺もすぐ行く」

『えっ? 一体どうした……いえ、分かりました!』

 惑うも直後に了承を寄越す相棒の声が届く。


 不穏な予感がしていた。

 だがそれは既に予感ではなく、現実となっているかもしれなかった。


 唯一捜査線上に浮かんだ男。

 時を同じくして、別の所からもその名を聞くこととなった。


 何度もかけられた電話。無視続けた自分。

 漂う不穏はその相手だけではなく、彼女といつも一緒にいる相手()にまで及んでいるかもしれなかった。


 電話を切った久吾は、再びエレベーターに向かった。

 今自分が優先すべきは、ここにいることではなかった。

 長い廊下をもどかしく感じながら先を急ぐが、不意に足が止まる。


 何かに引き止められたように振り返れば、背後にある藤堂の部屋の扉がゆっくり開いていくところだった。

 開き切った扉向こうからは、赤い何かが床を舐めるように流れ出てくる。

 止めどなく溢れ出るそれは、大量の血液だった。


「……これは……一体……」


 続く言葉を失いながらも、足は扉の方に向かっていた。

 血に濡れた部屋、血に塗れた両手。 

 周囲にはあの幻覚と同じにおいが漂っていた。瞼の裏には幾度も幻覚の残滓がちらつき、抗おうとも消えることもない。 


 扉の先に足を踏み入れれば、血溜まりと、その中に倒れ込む男の姿がある。

 男は藤堂だった。

 見開かれた目の眼球にまで血が飛び散っている。喉を深く切り裂かれ、息絶えているのは確かめなくとも分かった。


「長かったわね、久吾」


 その呼びかけに顔を上げれば、女がいる。

 決して忘れるはずのなかった相手だが、久吾は己の目を疑う。

 死んだ男の傍らには、十三年前と何ひとつ変わらぬ姿の雨宮美怜が立っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ