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サベージ・ブラッド ー因果応報、あるいは逃れられぬ血の行方ー  作者: 長谷川昏
1.男とその妹、それに双子、殺人鬼に、あとコインランドリー
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11.奈津川

 今日もうまくいかなかった。

 奈津川(なつかわ)葉月(はづき)は、リビングの鏡に向かって思う。

 でも彼自身、何がどうなればうまくいかないことで、何をどうすればうまくいったことなのか、よく分からなかった。

 感覚として正解不正解と感じるものは霧の向こうにぼんやりと見ることはできるが、それは()()()()()()()()()()()のような絶対的現実感を持っていなかった。


「どうしたらいいんだろう……?」


 返答の見つからないそれにはいつもの呟きが漏れ、つい背後の気配に話しかけてしまいそうになる。

 だがもうそこに『彼』はいない。

 そのことを思い出せば己の愚かさも蘇るが、自分にできるのはまた今夜幾度目かになる溜息を繰り返すことだけだった。


 フローリングの床には変色しかけた血が広がっている。

 死に至らしめてしまった『彼』を草むらに放置したことには心が痛む。

 でもこの部屋にずっと置いておく訳にもいかなかった。自分が連れてきておいて尚かつ相手の自由を奪っておいて、言う言い草でもないが、ここで『彼』に腐乱されることは、ちょっと耐えられなかった。


「こんなの本当に勝手だよね。だからこんな僕は、この世から消えてしまえばいいのに……」


 自らを嫌悪するが、やり始めたことを途中放棄もできず、この世に未だ未練があることを思えば、命を絶つこともどうにもし難い。

 絵に描いたような身勝手さは身に刻まれたように自覚し、筋を通せない自分を思う度に嫌悪は増す。けれどその辺りの思いはいつもぐるぐると頭の中を巡って、最終的には毛布にくるまって叫ぶことで、いつの間にか解消されてしまっている。だが再度そんな自分を確認するに至ると、益々嫌悪は増す。


「うん、でもとにかくまず掃除をしないと」


 奈津川は立ち上がると納戸から掃除道具を取り出し、血を拭き取る作業に没頭することにする。けれどもその没頭の中でも次第に嫌悪と後悔が蘇って、頭の中を占めていくことになる。


「僕なんか……僕なんか……」


 そう呟きながら血を拭っていることに気づき、一旦手を止める。

 このままでは集中もできず、作業は捗らない。しかしこの進捗を妨げるものを確実に解消する、他に代えられないいい方法があった。


 奈津川は血で汚れた手を石鹸とブラシで丁寧に洗うと、寝室に向かった。通販で購入したばかりの踏み台を使ってクローゼットの上段から小さな箱を取り出し、静かに床の上に置く。


 蓋を開けると、そこには幾枚ものポラロイド写真が重ねられている。

 それはこの部屋に(いざな)ったが、その後は無情にも外に置き去りにするしかなかった彼、彼女らの写真。

 彼らの身体は大半が血肉と化しているが、顔は無傷。その顔は恐怖や絶望に歪み、だがこれが奈津川が一番記憶している彼らの表情だった。


「うん、君達はここにいる」


 それらを順に手に取り、眺めていると徐々に気が晴れてくる。幾度も繰り返しながら彼らの最期を堪能し終えた奈津川は立ち上がると、壁の鏡に向かって話しかけた。


「ねぇ、僕は、いつか捕まっちゃうよね」


 罪の意識はある。

 だがそれの在り所と、自分の心の在り所は些か剥離している。身の回りで起きた全ての出来事がどこか遠い国の話のような、この鏡の向こう側の話のような、奈津川にはそんな感触がある。


「ねぇ、君のいる鏡の中はどう? 毎日は上々? おんなじだけど、全く違う世界がそっちには広がっているんだよね? 君は毎日どうしてる? 僕みたいにいつも悩んでる? もしそうだとしても二人で悩めば、この問題はいつか解消するのかな……?」


 鏡を見ながらふと髪を梳くと、そこに白いものがつく。

 慎重につまんで見確かめたそれは蛆だった。

 改めて見れば丁寧に洗ったはずの掌に、大量の蛆が蠢いている。

 それを見て、うふふ、と笑みを零せば、その分楽しくなった気もした。

 けれどまばたき一つをする間に、それらは全て姿を消していた。

 見下ろした場所には、石鹸の香り漂う清潔な掌しかない。

 今見たものが幻だと判断できる正気はまだここにある。でもそれを確認すれば、この場に残されるのは落胆と孤独だけだった。


「完全にそちら側に行けたら、きっと楽なんだろうな……」


 鏡の中には、先週二十才になったばかりの若い男の姿がある。

 清潔な髪に清潔な服。自分が自分だと認識する姿はそこに見ることができるが、ここにいる自分は本当に現実世界の自分なのだろうか……。


「分からないな……だけど分からないことが、僕には少し救いなんだ」


 鏡の中にいる男は無表情でいるが、その口元が微か笑ったように見えた。

 何かの始まりにも見えるその光景に、奈津川は弛まない笑みを浮かべた。

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