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サベージ・ブラッド ー因果応報、あるいは逃れられぬ血の行方ー  作者: 長谷川昏
1.男とその妹、それに双子、殺人鬼に、あとコインランドリー
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10.九条坂 その4ー②

 自分のようなものが見ても価値があると分かる家具や美術品が、周囲には並ぶ。

 ガラス一枚隔てた向こうには、街を一望できる夜景が広がっている。

 藤花重工業最高経営責任者、藤堂得蘭のプライベートオフィスはもしかしたらあるかもしれない嫉妬を差し引いたとしても、どうにも苛立ちのような焦燥感が残るものだった。


「それで今夜は何用だ?」

 久吾は怖ろしく座り心地のいいソファにどっかりと腰を下ろし、窓辺に立つ相手を軽く見上げた。相手はこちらを見遣ると表情もなく訊ねた。

「その前に一つ訊く。お前は時間を守るというこんな簡単な約束も守れないのか? 言えば子供にもできることだ」

「ああ悪い、家に時計を忘れたんだ」

「それならばその手首につけているものは一体何だ? お前のくだらない言い訳を聞かされる度に私はいつも必要以上の疲労を感じさせられる」


 とっくにこっちはその二倍以上は疲れている。

 久吾は相手の顔面にそう叩きつけたい衝動にも駆られたが、そんなことをしても何にもならないことは分かっていた。それならば今夜の用をとっとと済ませ、一刻も早くこの胸糞悪くなる場所から立ち去る。それが今の自分に残された最良の道だった。


「用件は何だ?」

「その写真」

 再度問うと相手はテーブルの上を目線で示す。

 そこには折りたたまれた書類と一人の若い男が写った写真があった。


「その男は私の知人の息子だ。三週間ほど前からいなくなった。彼を捜せ」

「あのな、ご存じだろうが一応言っておくと、俺の仕事は人殺しを追うことだ。それだって国に雇われてやってる仕事で個人的な案件を引き受けたりはしない。大体家出人捜しなんて探偵でも雇ったらどうだ? 金なら腐るほど有り余ってるだろ?」 

「お前の意見など聞いていない。やるか、迅速に行動するか、命令に口答えもなく従うか。それしかない」


 久吾は何も言わず相手を見返した。相手の顔には優越に浸る感情は見えない。代わりに自信に満ちた威圧感がある。

 歳は四十を少し過ぎた頃、その年齢で現在の地位を確立する目の前の男は、並外れた実力を持った人間と言えた。独身だが、大物女優や女性著名人との浮き名は尽きない。ケイラに聞かされた悪趣味な一面は彼の単なる一部分なのだろう。

 洗練された部屋と同じく洗練されたカスタムメイドのスーツを纏い、老いを感じさせない整った顔立ちはその完璧さを完全に補完している。やるか、迅速に行動するか、命令に口答えもなく従うか。今の自分にはそれしかない。分かっていたことだった。


「期限は切らないが、早急に」

「……ああ」

「詳細に関してはその書面を読め。記された以外のことは私に訊いても無駄だ。まぁ優秀な刑事のお前なら、言わずとも分かっているだろうが」

 相手の言葉には、心の中ですら反撃する気になれなかった。これ以上長居しても、よくない事態が連なるだけだった。写真と書類を懐にしまうと立ち上がり、早々にこの場を離脱することにした。


「なぁ九条坂」

 だが相手の声が背に降りかかる。

 迷いが過ぎったが、結局久吾は足を止めた。

「なんだ?」

「雨宮櫂は幾つになった?」

「……十六だよ」

 振り返りながら告げると、窓辺の相手は薄く笑みを浮かべている。

 そこには不快と呼べるものしかなかったが、今日一番の忍耐力を用いることはまだ可能だった。


「十六か、可愛い年頃だろう、目に入れても痛くないほど」

「お前の好みか?」

「いいや、私は従う女が好きなんだ。彼女はきっと誰にも従わない」

「へぇ、俺の妹のことをよく知ってるんだな」

「お前ほどじゃない」 

 相手の言葉に何も応えず、久吾は無言で背を向けると部屋を後にした。

 あの男(藤堂)の考えていることは知る由もなく、相手も決して垣間見せることはない。唯一分かることはあの男の本質が、自分より最悪ということだけだった。


 ビルの外に出ると、排ガス混じりの空気を深く吸い込み、落としていた携帯の電源を入れる。途端待ち構えていたように呼び出し音が鳴り響くが、相手の見当はついていた。


『九条坂さん、しばらく連絡が取れませんでしたよ』

 耳には櫻木の声が届いた。

 焦ったようにも聞こえる声は、何かが起きたことを感じ取らせていた。


「悪い、少し電波の悪い所にいた。で、何があった?」

『……新たな被害者が出ました。遺体の状態は前回と同様です。一応、覚悟はしてきてください……』

「分かった、すぐ行く」


 久吾は答えると、ビル向こうに微か見える警察署に向けて歩き出した。

 嫌だ嫌だ嫌だ。

 だが進む足に反して、心の底ではそんな声が谺する。

 自らの中に潜むもう一人の誰かは、あの子供のような少女のように叫び出したいのかもしれなかった。

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