表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
井伊谷で  作者: 双鶴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/10

2話

井伊谷の朝は霧に包まれていた。鐘の音に起こされ、慎之介は僧房から外へ出る。谷を覆う白い靄の向こうに、斜面に広がる畑が見える。鍬を振るいながら村人と汗を流すうちに、この土地の難しさを知った。水が流れすぎれば田は荒れ、干上がれば収穫は望めない。


「山の斜面を段にして田を作れば、水を上から下へ流せるはずだ」

慎之介は心の中でつぶやき、南渓和尚に打ち明けた。和尚は静かに頷き、翌日の視察で直虎に伝えることを約束した。


翌日、直虎が村に現れた。領主としての姿は凛々しく、村人たちに声をかけるその表情には揺るぎない責任感が宿っていた。和尚が慎之介の献策を伝えると、直虎は少し考え、村人に向き直った。

「斜面を段にして田を作る。皆で力を合わせればできるはずです」


村人たちがざわめき、挑戦してみようという声が上がる。慎之介は人垣の後ろからその光景を見つめ、胸の奥が熱くなる。自分の言葉が直虎の口から出て、村人を動かしている――それは恋の告白の代わりだった。


作業が始まると、村は活気づいた。石を積み、土を固め、汗を流す村人たちの中で慎之介も鍬を振るった。泥に足を取られ、危うく転びそうになった瞬間、直虎が手を伸ばした。二人の手が触れ合い、直虎はすぐに手を離したが、頬が赤く染まる。慎之介も胸が高鳴り、言葉を失った。


その夜、僧侶仲間に「領主様に助けられるとはな」と冷やかされ、慎之介は真っ赤になった。直虎もその言葉を耳にしてしまい、心の奥でどうしようもなく照れてしまう。領主として毅然とせねばならぬのに、胸の奥が熱くなる。


数日後、和尚は慎之介の新たな献策を直虎に伝えた。

「棚田の上段には茶を植え、斜面にはみかんを育てると良いでしょう。茶は人を和ませ、みかんは遠方への交易に役立ちます」


直虎は驚いたように目を見開き、やがて真剣な顔で頷いた。

「茶とみかん…この谷に新しい恵みをもたらすかもしれません」


村人たちは「領主様の知恵で新しい作物が育つ」と喜び、慎之介は胸の奥で誇らしさを覚えた。だが直虎は心の中で「和尚にしては妙に若々しい発想」と思い、ふと慎之介を見やった。視線が交わり、互いにすぐに逸らす。だがその一瞬に、言葉にできない想いが滲んでいた。


夜の見回りで偶然二人きりになった。月明かりに照らされ、互いに言葉を探すが、何も出てこない。ただ並んで歩き、静かな水音を聞いていた。直虎は「領主としての務めがあるのに…」と心の中で自分を叱りながらも、慎之介の存在を意識せずにはいられなかった。


慎之介もまた、胸の奥で思った。「策が通れば、直虎に気持ちが届く。村人の声に混じって、彼女の心にも届いているはずだ」


言葉にはできない。立場が違うからこそ、なおさら。

だが、恋は確かに育ち始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ