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82.偽物姫と生捕り。

 目的の宿にはあっけないほど簡単に辿り着けた。

 グレイスは帝国を乗っ取るためのシナリオを完遂させるべく、イザベラの寝室に侵入し、


「こんばんは、イザベラ妃。いい夜ですわね」


 グレイスはにこやかに笑い、蜂蜜色の髪が流れる頭部に銃口を突きつける。

 息を呑む音が聞こえるが、グレイスは気に留めることなく決まりきった悪役らしいセリフを口にする。


「悲劇の舞台は気に入ってもらえたかしら?」


 この日のために計画したクローゼアでの復讐劇。エリクックをわざと解放し、帝国側に情報を流した。

 ハリス大公が指揮を取り、踏み荒らしたクローゼアをそのまま手中に収めようと画策している。

 寵妃(イザベラ)の"お願い"だけでは難しかったかもしれないが、現在クローゼアと帝国の間には戦争後の取り決め事項が終結せずに横たわっている。

 帝国の利権が多く絡んでいるのに、全てをハリス公国に台無しにされそうとなれば、流石にセルヴィスが動かないわけにはいかない。

 全てグレイスの読み通り。

 イザベラの懐妊はかえって都合が良かったかもしれない、とグレイスは思う。

 イザベラは一度宮廷から誘拐されている。セルヴィスが不在で手薄になる宮廷内に最愛の妻を置いておけなかっただろうけれど、他国で目立つわけにはいかない以上、万全の警備とは言い難い。

 手薄になった隙をついて、彼女を葬る。

 グレイスに躊躇いはなかった。


「あなたさえいなくなれば」


 それに、上手く行けば帝都が戦火に包まれる前に、シエラを逃すことができるかもしれない。

 だって後宮にはもう、彼女が仕える主人はいないのだから。


「私は私の目的のため、あなたを排除する」


 さようなら、と口にして引き金を引こうとした瞬間、勢いよく起き上がって彼女はグレイスの前に立ちはだかる。

 グレイスの視界に入ったのは蜂蜜色の髪に碧眼。


「ダメよ! グレイス」


 だが、グレイスと呼ぶその声は間違いなくシエラ・フォン・リタ侯爵令嬢だった。


「どう……して……?」


「さようならなんて、私がさせないっ!」


 想定していなかった事態にグレイスが僅かに躊躇った時だった。

 パチン、と部屋に破裂音が響き、罠を回避できなかったグレイスはシエラと共にびしょ濡れになった。


「聞いてた以上にびしょ濡れなんだけど!?」


 文句を言いつつグレイスを捕まえた手を離さないシエラと、


「……ライムの香り?」


 滴る水滴に眉根を寄せたグレイス。


「そこまでよ」


 パチリという音と共に明かりが灯る。

 声の主は確かめるまでもなく、本日のグレイスのターゲット、イザベラだった。


「ふっ、こんな子ども騙しで一体何をしようというの?」


 ぶっかけられた液体からは薬液の臭いはしない。

 シエラにも変化がないところから少なくとも毒ではないと判断したグレイスは冷静に彼女を問いただす。


「さすがね、シエラ。バッチリお客様をご招待できたわね」


 だが、動じる様子の中彼女は、パチパチと手を叩きシエラに賞賛の言葉を向け、


「さて、グレイス。あなたを私の"お茶会"にご招待しましょう。大人しく従ってくださる?」


 グレイスにはお願いという形の命令を下す。


「火薬がダメになったくらいで随分余裕じゃない」


 これで勝ったつもり? と言葉を紡ぐグレイスは、


「私が何の手も打っていないとでも?」


 挑発に乗ることなく涼しい態度を崩さない。

 実際、2手3手と保険をかけておくのは当たり前なのだろうと天色の瞳にグレイスを映しながら彼女はそんな事を考える。

 グレイスを捕らえたとしてもローウェンファミリアは無くならないし、これから起きる悲劇は覆らない。

 だけど、それでは困る。


「そうでしょうね。あなたは、ね? でもそれはコチラも同じこと」


 ふふっと笑った彼女は、


「アルカは随分と面白く、大胆ね。国宝級の魔道具を臆せず解体して、好きなの髪色に変わるように術式を改変したり、時刻指定でバケツをひっくり返すカラクリを作ったり」


 警戒心を解かないグレイスに静かに語りかける。


「そうそう、知ってる? アルカったら今褐色美人になっているの。夏の日の光を人工的に再現する魔道具を作ったのですって」


 話の行き着く先が読めず、警戒心を解かないグレイスを見ながら、彼女はすっと天井を指差す。


「じゃあコレは知ってるかしら? 夏の日差しに柑橘類の成分が加わるとその作用が過剰なほどに引き起こされる、って」


 柑橘類、という言葉に反応しグレイスはバッとシエラの顔を見る。

 深く厚手のフードを被っていた自分とは違い直にライムのエキスを浴びたシエラを。


「大丈夫。仮に光毒に侵され、火傷で爛れたとしても私は気にしないわ。侍女として重用してあげるから安心して?」


 クスリと笑みを漏らした彼女を見てグレイスは悟る。

 シエラを人質にして脅されているのだ、と。

 彼女はきっと気づいている。

 グレイスが友人達を正妃の座から蹴落とした本当の理由に。

 これみよがしに高らかとスイッチがあげられる。

 おそらくそれを押せば天井に仕掛けてあるアルカの魔道具が発動するのだろう。

 光が部屋全体的に照射されたら逃げ場などない。ましてや薄着で直にびしょ濡れになっているシエラには避ける手立てなんて一切ない。


「離しなさいっ!!」


「絶対離さない」


「バカシエラ! このままじゃ」


「絶対、離さないわっ!!」


 だというのに彼女は手を離そうとしない。

 その目を見てシエラは全て承知の上で自分の手を離さないのだとグレイスは知る。


「……なんでよ、バカっ」


「確かに私、バカだけどっ! でも、手放しちゃダメなものくらい分かるわよ」


 真っ直ぐなシエラの瞳を見ながらぐっと息を飲んだグレイスの紫紺の瞳が揺らぐ。


「さて、カウントダウンといきましょうか。3、2、1」


 2人の友情を眺めながら無情にもカウントダウンをはじめた彼女がボタンを押す直前。


「待ってっ!!」


 ぎゅっとシエラを降り注ぐ光から庇うように抱きしめたグレイスは、


「お願いだから、シエラに手を出さないで」


 そう言って彼女に懇願する。


「それはあなたの出方次第よ」


 暴君王女らしい冷たく楽しげな表情を浮かべた彼女は、


「さぁ、交渉(お茶)の時間よ」


 そう言って着席を促した。

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