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74.操り令嬢と舞台裏の支配人。

**


ーー帝国内、某所。

 暗い廊下にコツコツとヒールの音を響かせた彼女は、目的の部屋の前で足を止めた。

 久しぶりの呼び出しに緊張で顔を強張らせたグレイスは、気を引き締めドアをノックする。

 入室の許可を得て入った部屋で目に入る光景はいつだって変わらない。

 グレイスはいつも通り豪奢な椅子に腰掛けたその男の前に静かに寄り、そして深く首を垂れて傅いた。


「首尾は? お前にしては珍しく、随分と苦戦しているようだが」


 落ちてくる声は重く、冷たく。

 その言葉に労いや情といったものは存在しない。

 そんなものはとっくの昔に諦めた。

 所詮、自分はこの男の操り人形に過ぎないのだから。


「御心労をおかけして申し訳ありません、キャメル伯爵(お父様)


 顔を上げたグレイスはにこやかな笑顔を作り、男の名を呼ぶ。

 オゥルディ帝国四家キャメル伯爵家の長にして、歴代皇家の影。

 ローウェンファミリアの真の支配者。

 そしてグレイスの父、デイン・ド・キャメル。

 彼の前に立つとグレイスは自分がいかに小者であるかを思い知り、いつも絶望感に襲われる。

 この世界のどこにも、彼から逃れる術はないと身をもって知っているから。


「ですが、ご安心ください。想定より手間取りましたが、ハリス大公を配下に収めましたので。クローゼアにハリス公国の工作員を送り込みましたし、直ぐにでも攻撃を仕掛けられますわ」


 自分と同じ紫紺の瞳を見上げたグレイスは、


「ジェシカ・ローウェンに不可能などございません。どんな武器も調達してみせます」


 と高らかに宣言する。

 ジェシカ・ローウェン。

 それは、ローウェンファミリアを束ねる表向きの存在。

 そして、どんな悪事もキャメル伯爵に辿り着かないようにするための生け贄の名前(スケープゴート)


キャメル伯爵(お父様)がお望みの通り、帝国は必ずやローウェンファミリアが手中に収めてみせますわ」


 できなければ、消されるだけ。

 代わりはいくらでも利く。

 歴代のジェシカ(生け贄)がそうであったように。


「当然だ。それがお前の、ローウェンファミリアを束ねるジェシカ・ローウェンの役目なのだから」


 強欲。

 それはこの男のためにあるような言葉だとグレイスは思う。

 かつて、帝国を支えていたはずの影は代を経るごとに力をつけ色濃くなっていき、そしてついに帝国そのものを呑み込もうとしている。


「承知しております。キャメル伯爵(お父様)


 心を偽る事には慣れている。これもまたグレイスにとってはいつもの事だった。

 グレイスは舞台女優のように優雅な笑みを浮かべ、


キャメル伯爵(お父様)が私を皇后に、とお望みならどんな手を使ってでもその椅子に座りましょう。操りやすい次代の皇帝を、とお望みなら獣の子を孕みましょう。帝国の全権を、とお望みなら皇帝陛下を殺めましょう」


 全てはキャメル伯爵(お父様)のために、と歌うように未来を提示する。


「そうか」


 短く了承を告げられ、グレイスはひとまず息をつく。

 とりあえず、及第点。首の皮一枚繋がっている。

 自分に大丈夫と言い聞かせたグレイスは、


「では、私はこれで失礼いたします」


 と淑女らしく礼をして背を向け静かに歩き出す。


「ああ、そうだ」


 出口に差し掛かったところで、今思い出したとばかりにキャメル伯爵が口を開く。


「シエラ・フォン・リタだが、女官見習いとして後宮に入り、今は溝鼠(イザベラ)に仕えているそうだ」


「左様ですか。でも、私には関係ありませんわ」


 振り返らず、素っ気なく答えたグレイスは微塵も動揺した素振りを見せずそのままドアから出て行った。

 静かに、いつも通りの優雅さで。

 だが、一歩また一歩と立ち去る速度は徐々に速くなり。

 キャメル伯爵の気配が全く感じられない距離まで離れてから、


「……っ、なんでよ」


 顔を歪めたグレイスは思いっきり壁をグーで殴った。


「……シエラ。なんで、あなたが後宮(そこ)にいるのよっ!!」


 グレイスは首元に手をやれば、お守りのように付けているペンダントに触れる。


『グレイス、大好きよ』


 思い出すのは、無邪気にはしゃぐ幼馴染達の姿。

 武器商人ジェシカ・ローウェンの役目は辛いモノだった。

 だけど、彼女達といる時だけは普通の令嬢でいられたのだ。

 それは、一族誰からも愛されない生け贄(スケープゴート)のグレイスにとって唯一心の拠り所(幸せな時間)だった。

 ジェシカ・ローウェンの名を継いでから、どんな犯罪にも手を染めた。

 帝国を乗っ取る計画を聞かされた時、多くの犠牲が出るだろうことは容易に想像できたがさして心は痛まなかった。

 だが、一方で誰にどう思われても構わない。けれど、彼女達だけはどうしても守りたいと思った。

 それは操り人形として育てられたグレイスの初めての反抗だった。

 計画通り、ドロシーは無事想いを寄せていた辺境伯に嫁いで首都圏から離れたし、アルカだって魔塔に留学する形で帝国から離れた。

 一番動きそうになかったシエラは失態を重ねさせることで修道院に送り、安全を確保するはずだったのに。

 帝国を手にしようとする醜い男達の手によって近いうち戦場となる首都圏に、シエラはまだいるという。


「そこは、危険なのよっ」


 淡い薄桃色の髪と薔薇色の大きな瞳で屈託なく笑う彼女を思い浮かべたグレイスは、


「……お願いだから、逃げて」


 と悲痛な声でつぶやく。

 だが、グレイスの嘆きは誰の耳に入ることもなく、ただ暗闇に消えて行った。

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