59.偽物姫と策士な狼。
「そんな、事のために……?」
声が情け無いほど震えているのが自分でも分かる。
だけどアレは、一つしか取れなかった部屋を私に明け渡そうとしたセルヴィス様を引き留めるためだけに言った事で。
「頼んでないっ!」
セルヴィス様の手を煩わせたかったわけではなかった。
「バカではないですか!? あんな……守る必要もない、戯言を実践するなんてっ!!」
責めたいわけじゃないのに、感情が上手く抑えられない私は、可愛げのない悪態をつくことしかできなくて。
「お願いだから、これ以上」
じわりと浮かんだ涙で視界が滲む。
私の内にあるこの思いは、分不相応で恐れ多く、本来思う事すら許されないものだと分かっている。
だけど。
「……傷つかないで」
それでも、彼を傷つける全てが許せなかった。
それがたとえセルヴィス様の優しさなのだとしても。
「すまない、泣かす気はなかった」
私の目に浮かんだモノを軽く指で拭い、
「俺は昔から言葉が足りなくて。いつも自己完結してしまうから、君がどう思うかまでは頭が回らなかった」
困ったような声で、すまないともう一度私に謝ったセルヴィス様は、
「俺の怪我については心配しなくていい。魔力はより強い魔力で相殺できる。君に向けられた攻撃は反射し、俺に返るが大抵のモノは容易くねじ伏せられる」
大丈夫だと弁明する。
「そんな、ことが?」
確かに私は魔法や魔力には詳しくないがそんな話文献でも読んだことがない。
じーっと真意を探る私の不躾な視線を受け止めたセルヴィス様は、
「"普通"ではないからな、俺は」
本当だ、と苦笑気味に肯定する。
「"獣人は一匹で千を喰い千切る"」
滅ぼされたその種族の獰猛さを伝える言い伝えは聞き齧ったことがある。
多分、比喩ではなく本当にそれほどの力があったのだろう。普通の人間が、恐れ、慄き、数の力で滅ぼしてしまうほどの力が。
「分かってはいる。君は悲劇のヒロインなんて願い下げで、そんな君は"誰か"になんて頼らずに自分でなんとかしてしまうんだろう。でも、君が傷つくのは俺が嫌なんだ」
そう言ったセルヴィス様は、
「君が無事で良かった」
私の安否を確かめるように私の瞳を覗き込み、
「……怖く、なったか?」
静かにそう聞いた。
少し緊張したような、怯えているような声音。
暴君だとか、冷酷なんて言葉。この人には本当に似合わない。
「何を怖がる必要がありますか?」
たとえ、セルヴィス様が圧倒的な力を持っていたとしても。
この人は自分の意思と責任で力の使いどころを制御できる。そして私利私欲のために使わない、と私は知っている。
私はそっと手を伸ばし、いつも黒狼にしていたように彼の髪を撫でる。
少し驚いたように紺碧の瞳が大きくなったが、不敬だと咎められることもなくセルヴィス様はされるがままで。
それが黒狼の姿と重なって、なんだか可愛く見えて。
「こんなに優しいあなたを怖がったりなんてしませんよ」
「優しい? 俺がか?」
「はい、とっても」
腑に落ちない、と眉をひそめるセルヴィス様の紺碧の瞳を真っ直ぐ覗き、私はふふっと笑った。
「とはいえ獣人に一騎当千の力があっても万には敵わないことは歴史が物語っております」
一個体が圧倒的な力を持っていたとしても、結局は数の力には敵わない。その生が有限である以上、使い続ければいつか尽きるのだ。
「だから、私のためにリスクを負わないで欲しいのです。あなたがいくら強くても、魔力が高く魔法に優れていても、ちょっとした怪我や病気からあっという間に倒れてしまうことだってあるのですから」
「まるで君が俺を心配しているように聞こえる」
「心配しているんです、ってたかが契約妃の分際で烏滸がましいのは承知していますが」
皇帝陛下相手に何を言っているんだ、と我に返った私が撫でている手を引っ込め離れようとするより早く、ぎゅっと抱きしめられる。
「ちょっ、へい……」
「名前」
強請るような声が耳元で囁き、急激に熱が上がる。
「呼んでくれたら、善処する」
「そん……っ」
とても近い距離で私を覗き込み、甘やかに微笑むセルヴィス様の期待に満ちた眼差しを前に私は言葉を失う。
「セル……ヴィス……様っ」
顔面偏差値が振り切っているセルヴィス様に微笑みながら待たれているのに耐えられず、無言の圧力に屈した私は、蚊の鳴くような声でその名を呼ぶ。
が、離してはもらえず、さらりと指先で髪を払われる。
「セルヴィス様っ」
もう少し大きな声で呼ぶも微笑むばかり。
早く解放されないと心臓が持ちそうにない私は、
「……っ。ヴィー、いい加減にしないと怒るよ?」
いつもの口調でそう叫ぶ。
「ふっ、よくできました」
そう囁いたセルヴィス様はそのまま私の首筋に甘噛みする。
「……なっ〜〜/////」
「犬派に鞍替えする気になったか?」
そう言えば子犬の愛情表情の一つに甘噛みがあったような、なんてうろ覚えの知識を巡らせつつ、
「な、なりませんっ!!」
熱くなった頬を意識しながら、私はそう叫んだ。
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