58.偽物姫と過保護。
誘拐事件から数日。
セルヴィス様が過保護になった。
「……陛下」
「却下」
この押し問答も何度目だろう?
うーん、と悩んでいると眉間に皺を寄せたセルヴィス様から一口大に切ったりんごを食べさせられた。
りんごはとっても美味しいけど、すぐ物理的に口を封じようとするのはやめて欲しい。
「陛下に手づから食べさせて頂かなくても、一人で食べられます。今は見せる相手もおりませんし」
今は人払いされた部屋に二人きり。
皇帝陛下の寵妃を演じる必要もなければ、仲の良さを見せつける相手もいない。
だというのに、何故私はセルヴィス様の膝の上に座らせられてりんごを咀嚼してるのだろうか。昨日はみかんでその前はイチゴ。この時期に、こんな上等な品を手に入れるのは大変だろうに。
「陛下」
「……菓子の方が良かったか?」
「陛下、私そんなに飢えておりませんわ。話を逸らさないでくださいませ」
せめてお話を聞いてくださいませんか? とため息交じりにお願いすれば、物凄く不満気な顔でフォークを置いた。
「私はもうすっかり回復しております」
夜会を乗り切り、疲労からの熱で意識を飛ばしダウンして数日。セルヴィス様自ら甲斐甲斐しく世話をしてくれたおかげで特に不調はない。
指輪を壊す時覚悟したはずの痛みを全く感じない程に。
指輪のあった場所をそっと触る。指輪を壊した時、息をするのも苦しいほどの痛みを感じ"遅らせていた病魔"は確かに私に戻りかけた。
が、目が眩むような光と共に遅延魔法は全て弾かれ、なかったことになっているかのようだった。あの現象に心当たりは一つしかない。
「陛下の"おまじない"。確かに効きましたよ。助けて頂き、ありがとうございました」
ようやく話をしてくれる気になったセルヴィス様に私はそう言って礼を述べ、
「ですが、どうか二度と私に使わないでください」
静かな口調で、だがキッパリと断りを申し入れた。
遅延魔法は先延ばしにするだけとサーシャ先生が言っていた。
なら、本来私が受けるべき先延ばしにしていた苦痛はどこに行った?
一見平気そうに振る舞っているが、見えないところに怪我を負っているかもしれない。
あるいは、私が先延ばしにした分のリープ病の痛みがセルヴィス様の身体を蝕んでいるかもしれない。
あの痛みを、誰かが肩代わりしている。そう考えただけで、身が凍るようだった。
「御身に何かあってからでは遅いのです」
毒を私が飲もうとした時、私の代わりに飲んであんなに苦しんだくせに。
私に身を軽く扱うなと、怒ったくせに。
この人は躊躇いなくその身で全てを引き受ける。
獣人であると隠す術のなかった時のセルヴィス様の目の前にあった現実は、多分忌子である私と同じで。
ただ残酷で暴力的で理不尽だったかもしれないけれど。
「私は偽物の寵妃。過剰な情けをかける必要はないのです」
それは、この人が傷を負っていい理由にはならない。
ヒトとして扱われない私達だって、傷を負えば痛いのだ。
心も身体も。
「名で呼んでくれないのは、君を危険な目に遭わせたからじゃなかったのか」
ぼそっと吐き出された言葉に首を傾げた私は、近い距離で私を見つめる紺碧の瞳を見返す。
「へい、か?」
「これでも君を真似て必死で機嫌取りをしていたつもりだったんだが。全く伝わってなかったな」
どういう事? と疑問符いっぱいの私を見てクスッと笑ったセルヴィス様は、袖口から何かを取り出すと私の手にそっと乗せた。
「ここに帰って来る、という君の意思表示だと思っていたのだが、違ったか?」
それは、私が壊さないようにと置いていったダリアの簪だった。
私は手に取りそっとそれを検める。少し乱暴に投げ入れてしまったから傷ついていたらどうしようと思っていたのだけど、衣装部屋の床に敷かれていた絨毯のおかげで傷一つない状態だった。
「拾ってくださったのですね。ありがとうございます」
ほっとして礼を述べた私に、
「君は大事なモノを目につきにくいところに隠す習性があるな」
優しげな視線を向けたセルヴィス様は、
「まるでリスみたいだ」
と揶揄うような口調で笑う。
「あら、それは私が臆病で警戒心が強い小物だと言いたいんですか?」
気が緩んでいたことにはっとし、暴君王女らしく憎まれ口を叩いた私は、
「リスは侮れませんよ? リスの噛み付く力は結構強いですし、彼らがうっかりきのみを掘り起こし忘れてくれるおかげで森が育ちます。それにフォルムが可愛いらしいですし、ふわっふわっの毛並みが最高です」
ぐっと拳を握りリスの毛並みについて語る私を見ながらやや不機嫌そうに眉を顰めるセルヴィス様。
「散々ヒトのことを好き勝手モフッていた癖に、君は浮気性だな」
「浮気って」
モフッていたのは事実だが、酷い言われようだ。
反論を述べようとした私より先に、
「犬派に鞍替えさせるには、どうすればいいんだろうな」
ぽつりと言葉が落ちて来る。
「以前、君が要求した"最低限の身の安全の保証"もお気に召さなかったようだし」
私の蜂蜜色の髪を優しく何度も梳きながら私を見つめる紺碧の瞳は、まるで焦がれるような色をしていて。
勘違い、しそうになる。
「そんなモノを要求した覚えは……」
咄嗟に視線を逸らした私は急にカルディアの夜を思い出す。
『最低限、身の安全は保証してください』
『生憎と私セルヴィス様と違って温室育ちなもので』
『うるさいのは嫌。血なまぐさいのも嫌。もし誰かがこの部屋に押し入ったとして、それを殺るなら、寝ている私に気づかれないようにしてくださる?』
そう、私は確かに言ったのだ。




