57.人外陛下の決断。
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額に浮かぶ汗をそっと拭ってやれば、ほんの少しだけ彼女の表情が和らいだ。
「無理をさせて済まなかった」
セルヴィスの謝罪は、眠っている彼女には届かない。
宴が終わった瞬間、糸が切れたように倒れてしまったイザベラ。
無理もない。
おそらく彼女は攫われてからからずっと現状を少しでも変えるために抗っていたのだろう。それも、自分に非協力的な何もできない令嬢一人を抱えて。
あれだけの人間に囲まれて、命を落とさず帰ってきた。それだけでも褒められるべきだし、本来なら充分休ませなくてはならなかったのに。
イザベラは戻って早々に化粧と着付けを施され皇帝陛下が迎えた初めての妻として、公の場に駆り出されたのだ。
誘拐事件なんてそもそも起きていなかったかのように振る舞うために。
碌碌打ち合わせも出来なかったのに、宴に参加した彼女は実に素晴らしい働きをしてくれた。
グレイス・ド・キャメル伯爵令嬢を退ける程に。
イザベラが攫われて数刻。
謹慎中のリタ侯爵家のシエラがいなくなったという情報以外ほとんど進展のないまま時間だけが過ぎていき、宴の開始をこれ以上引き延ばすのも厳しいと焦りが募り出したタイミングでセルヴィスの前に彼女、グレイスは現れた。
「帝国の太陽にご挨拶申し上げます」
そんな定型文と共に。
「何用だ。この場への立ち入りを許可した覚えは」
「申し訳ございません。ですが、帝国の危機を前に進言すらできぬ無能な臣下にはなりたくありませんので」
セルヴィスの威圧的な物言いに涼しい顔でそう応じたグレイスは、
「一つ、陛下に商談の提案をしたく思います」
ここに来た目的を告げる。
眉を顰めるセルヴィスに、
「大事な宴を前にイザベラ妃がご不在なのだとか」
グレイスは言葉を続ける。
「情報規制をしているというのに、何故イザベラの不在を知っている」
冷たく低く怒りと苛立ちを滲ませたセルヴィスの声にも笑顔を絶やさず、
「ヒトの口に戸は立てられない、というではありませんか。いかに皇帝陛下といえど、今の宮廷で全てを意のままに掌握できるわけではないというのは十分身に染みていらっしゃるでしょう?」
グレイスは静かな口調で正しく現状を把握しているのだと告げる。
「私もまさかリタ侯爵令嬢がイザベラ妃の誘拐まで企てるとは思いませんでしたわ」
友人としてリタ侯爵令嬢を止められなかった点には責任を感じておりますの、としおらしく話すグレイスは、
「陛下におかれましては大変お困りなのではありませんか? 代替わりし、ハリス公国と我が国の緊迫状態は火を見るより明らか。故に本日陛下はなにがなんでも宣言通り"妻"をハリス大公に紹介せねばならない」
それが私が今ここにいる理由ですと楽しげに笑った。
「はっ、その程度で」
「揺らぎますわ、陛下。それも、容易く。陛下は数の暴力を舐めすぎでございます」
澱みないよく通る声がセルヴィスに分の悪さを告げ、
「宮廷から追いやられた呪われた皇子様が皇帝陛下までのし上がる。夢物語のようで、本当に素敵ですね。ですが、現実ではどうでしょう?」
自信に溢れた紫紺の瞳が物知り気に語る。
「"国"とは"人"が作るものなのです。伝統や慣例を軽んじ、古参の貴族を蔑ろにし、帝国の柱である四家の力さえ削る。公明正大、清廉潔白。理想的で素敵な響き。ですが」
パチンっと扇子を閉じたグレイスは、
「独りよがりな"暴君"は、どの時代でも滅んでいます。数の力の前に、例外なく」
1は1でしかなく、支持者がいなければ"国"を治めることはできないのだと今のセルヴィスに足りないものを指摘する。
「国として別れたとはいえ、ハリス大公はオゥルディ帝国の正統な血を引いている。さて、付け入る隙があるならば、帝国貴族はどちらにつくでしょう?」
「……何が言いたい?」
「私を"正妃"としてご紹介くださいませ。キャメル一族がご支援いたします」
そうすれば全て丸く収まります、とグレイスは打開策を提示する。
「直球だな」
「根が商人なモノで」
ビジネスチャンスは逃しませんの、と言ったグレイスは、
「ああ、ご安心ください。陛下からの愛は必要としておりません。どうぞ、好きなだけイザベラ妃をお愛でになって?」
彼女とは上手くやれそうですし、と側妃の存在も許容してみせ、自分との関係はあくまで政略的なモノだと言い切る。
「さぁ、陛下。我が国に仇をなす害獣を退けに参りましょう」
どうぞこの手を取って、と差し出された指先まで綺麗に整えられた白い手。
実際、グレイスは全てを持っている。
美貌も、人脈も、財力も、全て。
彼女を正妃として娶ればセルヴィスの地位は揺らがず、盤石なものとなるだろう。
そして寵妃として認知されているイザベラのいない今、妻として紹介しそれが罷り通るのも確かに帝国四家の出であるグレイスだけだった。
唯一残っている王家の血筋である大公家に隙は見せられない。
たとえ策略であったとしてもこの手を取るべきなのはセルヴィスも分かっている。
だが。
『失望させないでください』
彼女の言葉が耳朶に響く。
『大丈夫、ヴィーならできる。私はそう信じてる』
セルヴィスを引き留めるのは、はにかんだような、照れた笑いと彼女からもらったおまじない。
「はっ、舐められたモノだ」
セルヴィスは口角を上げ、グレイスの提案を吐き捨てる。
「俺を誰だと思っている」
セルヴィスは"なりたい"自分を思い浮かべる。
唯一無二の絶対君主。冷ややかに気に入らない全てを跳ね除ける暴君の姿を。
「誰であっても俺の前に立ち塞がるというのなら、容赦はしない。その首を刎ねて進むまでだ」
セルヴィスはお前の助けなど必要としていない、とキッパリとグレースを跳ね退けた。
「……っ! 後悔、なさいますよっ!!」
提案を退けられると思っていなかった紫紺の瞳が揺れる。それを見て薄く笑ったセルヴィスは、
「生憎と妻は一人しか必要としていない」
そう言い捨ててグレイスに背を向け部屋から出て行った。
その瞬間だった。
王都内で突如大きな魔力の揺れを感じ、彼女にかけた防護魔法が発動した。
「……イザベラ」
居所が分かると同時にセルヴィスは狼の姿で彼女の元に駆け出していた。
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「……っ」
身体を丸めるような体勢で小さく苦しげな呻き声をあげたあと、彼女の天色の瞳が薄っすら開いた。
「泣か、ない……で」
セルヴィスがイザベラと名を呼ぶより早く、彼女は掠れた声でそういうと小さな手を伸ばしてくる。
セルヴィスがそっと彼女の手を握ると、
「私、は……大丈…ぶ」
どこか焦点の定まらない天色の瞳が言葉を紡ぎ、
「私達の"暴君王女"は負けない、の」
そうでしょう? と優しく微笑むと、彼女は再び眠りに落ちた。
自分が苦しんでいる時でさえ誰かを思いやれる優しい彼女を好ましく思う一方で、セルヴィスは焼け付くような感情を覚える。
混濁した意識の中、彼女が安心させようと微笑んだのは自分ではない誰か。
そしてそれはおそらく、クローゼアに置いてきた彼女の大切な人。
「妬けるな」
感情を抑えてセルヴィスは蜂蜜色の髪をそっと撫でる。
「本当に商人の妻ならよかったのに」
セルヴィスは苦しげな声で、ぽつりとつぶやく。
『暴君王女、イザベラ・カルーテ・ロンドライン』
その名が彼女を第一王女の責務に縛りつける。
彼女はきっと今までもこうして生きてきたのだろうとセルヴィスは寝ている彼女に思いを馳せる。
強くあろうとする彼女が美しく眩しいと思う反面、敗北が許されないと気を張り続ける生き方が自分と重なり苦しくて。
リーリィとして訪れた植物園で楽しげにはしゃいでいた彼女みたいに、いつでも彼女が笑っていられたらと願ってしまう。
「いつか絶対、君が"暴君王女"を演じずに済む国にするから。その天色の瞳で見届けてくれないか?」
彼女の手を優しく握ったセルヴィスは、少しでも早く天色の瞳が開かれることを祈り、眠る彼女の側に居続けた。
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