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56.偽物姫とお迎え。

 身を隠して休憩を挟みつつ、私達は逃走を続けた。

 チラッとシエラに視線を向ける。普段運動などすることのないお嬢様だ。表情から察するにもう既に限界なのだろう。


「……っ!?」


 追手を気にしながら行き着いた先は袋小路だった。

 シエラの手を引き、慌てて引き返そうとしたところで私達の前に黒衣を纏った男達が立ち塞がった。

 私達を攫った人だ、と認識したところで男が無言で何かをコチラに投げる。


「ひぃっ!!」


 足元に転がったそれを見てシエラは悲鳴を上げる。

 それは先程私達を捕まえていた小悪党の首だった。


「わざわざそんなモノを持って来てくれるだなんて、暇なのかしら?」


「ははっ、生首くらいでは動じませんか。さすが暴君の寵妃だ」


 静かにそう言ったその男は、


「大人しくこうなっていれば苦しまずに済んだものを」


 涼しげに微笑んで見せた。

 さっきの小悪党とは比べものにならない。彼らには全くと言って良いほど隙がなかった。


「今からこうなるなら、大差ないのではなくて?」


 本能的にこの男はまずいと察し、心音が跳ねる。


「ふふ、先程までは。ですが、主があなた様に興味を持ってしまいまして」


 つまり、命令が私の殺害から捕縛に変わったらしい。

 今すぐ殺されてしまうよりは時間が稼げるかもしれないが、一連の黒幕をグレイスと仮定するなら彼女が妃として宮廷入りすることを阻む私を生かしたまま欲しがるとは思えない。

 おそらく、この変更はこの男の本来の雇い主の介入だ。


「誰の差し金かしら?」


「すぐに会えますよ」


「あら、横槍を入れたくせに随分な物言いね。私今日は大事な予定があったのだけど?」


「ご心配なく。あなたの代わりなんて誰でもできます」


「なるほど。つまり今頃グレイスが私の代わりに皇帝の妻として紹介されている、といったところかしら?」


 私のカマかけに対し、否定も肯定もせず男は、一歩、また一歩とじわじわと私達のほうに迫ってくる。


「元の依頼主は私達の首をご所望だったのではないかしら?」


 向こうの歩調に合わせ一歩ずつ下がる私は、必死に頭を回転させる。


「ご心配なく。こう見えて、遺体の偽造には少々自信がありまして」


 にこやかに笑った男はよく磨かれた手術用のナイフを取り出して。


「片方が本物なら、なお欺きやすい」


 なんてことない、と言わんばかりにそう告げる。そして残念ながらそれは事実なのだろう。


「大人しく従って頂けたら、そちらのお嬢様はなるべく苦しめずに片付けて差し上げますよ?」


「シエラが苦しもうが解体ショーとして晒されようが私には関係のないことよ?」


 それでは交渉にならないわと肩を竦める私に、


「残念ですが、主はあなただけをご所望なので、彼女は連れていけません」


 一切動じることなくそういうと、


「これは決定事項です」


 と冷酷に宣告する。


「そう。でも、陛下は嫉妬深くてね。他の男について行くなんて許してくれないわ」


 唐辛子程度で怯むことはないだろうし、足がすくんで震えているシエラを連れて逃げるなんて無理だ。

 もし、状況を打開できる可能性があるならば……。

 私は指輪をそっと撫でる。


「さぁ、コチラに。王女様」


「呼び名が違うわよ!」


 何もしなければ詰むだけ。

 ならば、と指輪を外した私は思いっきり地面にそれを叩きつけた。


 クローゼアからイザベラの偽物として嫁ぐ私に、


『決して外さないでください』


 とサーシャ先生がくれた指輪。

 これには遅延と指輪が魔道具だとバレないための認識阻害の魔法が組んである。

 魔道具にはそれを発動させるためのエネルギー。つまり、魔力が必要だ。

 私のように普通の人間には感知できないが、適性のある人間には魔力が感じ取れるらしい。

 帝国はクローゼアよりずっと魔法文化が根付いている。セルヴィス様自身も獣人の血を引いているだけあって魔力が強いし、その配下にあるモノなら魔力を感知できる人間がいる可能性がある。


『時間に干渉する魔法は特に強力なエネルギーを必要とします。魔法が効果をなくし、本来リィル様が時間をかけて受けるはずだった苦痛は反動として全て御身に降りかかり、一気に病気が進行するでしょう』


 サーシャ先生はそれでもコレを身につけるのかと渋い顔で言っていたけれど。

 もし、それほどまで強力な魔法の存在を感知させないための魔法を壊したなら?

 上手く行けば私を捜索しているだろう誰かが突如感知した強力な魔力を不審に思い来てくれるかもしれない。

 痛みに私の身体が耐えられるかどうかも分からないし、たとえ助けを呼べてもリープ病は一気に進む。

 分の悪い賭けだけど、コレ以外に思いつかなかった。


 勢い良く地面に叩きつけられた指輪に嵌められた魔法石は綺麗に砕けた。

 息をすることすらできないほどの重苦しい痛みに私は地面にうずくまる。

 その瞬間だった。

 パチンっという何かが弾かれるような大きな音と共に目が眩むような光が私を包み思わず目を閉じた。

 光が収まり目を開けた瞬間、私は驚き何度も目を瞬かせる。


「……どう、して?」


 そこにいたのは漆黒の夜を集めたような大きな狼、ヴィーだった。


「なんだ!? コイツは。どこから現れた?」


「魔獣か!?」


 私の前に立ち、黒衣の男達を威嚇するようにヴィーが吠える。


「何をしているのです! こんな魔獣一匹、さっさと」


 先程まで私と対峙していた男の言葉は途切れ、鋭い爪が彼の手を切り裂きナイフを落とす。

 その光景を見て銃を取り出した彼らはヴィーに向けて銃口を向け一斉に襲いかかかる。

 だが、ヴィーは男達の攻撃を全て躱し、爪と牙で彼らを制圧した。

 圧倒的強者を前になす術なく陣形は崩れ、牙で噛み砕かれた武器は使い物にならなくなる。


「この化け物めっ!!」


 そう叫んだ男が取り出したのは、禍禍しい色をした液体の入った瓶。

 瓶に貼られた札と紋様。それには見覚えがあった。


「……死の霧」


 それは私が知る限りダントツに最低最悪な毒薬。

 空気に触れた途端それは霧状に変化に、吸い込んだ人間の肺を腐らせ死に追いやる、決して存在してはいけないはずの過去の遺物。


「おや、コレが何か分かるだなんて、クローゼアの王女は博識ですねぇ。主ではありませんが益々気に入りました」


 あなたのことは解毒してあげますからご安心ください、とにこやかに笑う男を見てそれが本物であると確信する。


「ダメっ! ダメよ!! こんな街中で、それは絶対に」


「もう遅い」


 ニヤっと笑った男がそれを開けようとした瞬間、動きがぎこちなく止まる。


「な、ん……!?」


 音もなくいつの間にか彼らの背後を取っていたヴィーの足元から長い影が伸びていて、男達の影を捉え彼らの動きを封じていた。

 抵抗しようとした彼らの足元から闇が包み、そして跡形もなく全てを飲み込んだ。


「ヴィー!!」


 怪我は!? と駆け寄った私にグルルっと喉を鳴らしたヴィーは私の無事を確かめるように紺碧の瞳でじっと見ると、手に頭を擦り付けて来た。

 ふわふわで柔らかいヴィーの毛並みと暖かさにほっとして涙が出そうになった私は、思わずヴィーに抱きつく。


「バウ」


 ヴィーは私を咎めたりはせず、パタパタと大きな尻尾を振って優しい声で短く鳴いた。


「そうだっ! シエラ!! それに、夜会も。どうしましょう」


「陛下。イザベラ妃が心配なのは分かりますけど、護衛を置いて勝手に行かないでください」


 路地の向こうから現れたのは、以前紹介された護衛のギルだった。


「こっちは生身なんですから、あなたの速度についていけませんよ」


 文句を言った彼の腕には気を失ったシエラが抱かれていた。

 ヴィーを放し、私はギルに駆け寄る。

 シエラは規則正しく呼吸をしており、パッと見た感じ大きな怪我は無さそうだ。

 ほっと胸を撫で下ろした私に、


「残党含め、こっちは私が処理します。詳しい話は後にして、イザベラ様は陛下と先に宮廷にお戻り頂けますか?」


 この人、夜会を抜けて来てるのであまり時間がないんですと呆れ顔のギルが告げる。


「戻るって言われても」


「大丈夫です。陛下にとってはこの距離なんて一瞬ですよ」


 まぁ、振り落とされないように気をつけてとヴィーを指す。


「…………。」


 乗れ、と?

 皇帝陛下に?

 は? 嘘でしょ!?

 不敬にも程があると、助けを求めて視線を向ければ。


「バウ」


 紺碧の瞳に肯定された。

 いつも通り、私に選択権はないらしい。


「分かった。分かりました!」


 ヤケクソのようにそう叫んだ私は、


「後で、何があったのか全部説明してくださいね」


 契約寵妃の仕事を優先すべく白旗を上げた。

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