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53.偽物姫の決意。

「ねぇ、あなた一体を何してるのよ?」


 部屋の隅にうずくまり、顔を伏せたままだったシエラが、つぶやくような声で私に尋ねた。


「何、って脱走準備だけど? 言ったでしょ、夜には帰るって」


 私は身体に仕込んでいたモノと念のためにとかき集めた品を眺める。武器になるようなものは特にない。何か使えるものは、と部屋の中を漁っていると、


「脱走? 無駄よ。第一あなたココがどこだかもわからないでしょ」


 いつもとは違う覇気のない声が耳に届いた。


「助けを大人しく待つ方が賢明だわ。犯人を刺激したらどうするの。私を巻き添えにしないでちょうだい」


 シエラは私を嘲笑し、行動を止めようとする。そうして虚勢を張ることでなんとか平静を取り繕おうとしているように見えるシエラに、


「都内関所も越えてないし、替え馬もしていないから宮廷から6、7km……遠くてせいぜい10km圏内。多分、王都北側の目の行き届きにくい貧民街の一角、ってとこじゃないかしら?」


 時間が勿体ないので手は止めず私は淡々とそう答えた。


「……何で」


 分かるの? と小さくつぶやくシエラ。

 驚いたようなシエラの表情を見て、私は首を傾げる。

 おそらく彼女はこの誘拐には加担していない。そしてこの場所の情報を持っていなければ心当たりもないはず。

 だというのに彼女は多分私と同じ結論に辿り着いている。

 それを確かめたくて、


「宮廷は王都の南側、北に向かうほどに地価が落ち治安も悪くなる。都内の関所は全部で8つ。王都はぐるりと城壁や森で囲われた構造で都市を形成しており、馬車で抜ける場合関所を通過せずに王都から出る術はない」


 私は街歩きの時に得た情報を元に推察と根拠を説明し、


「それに使われている素材が一般庶民の家屋より粗末だわ」


 シエラの反応を見ながら先程感じた疑問の答え合わせをする。

 どうかしら? と視線で問えば、


「……同意見よ」


 不服そうに頷いたシエラは、


「とはいえ、いくら粗悪に見える外観でも魔道具で強化されているから簡単には壊れないでしょうけど」


 アレ、と壁に備え付けてある魔道具を指差し情報を付け足した。

 ふむ、とそれを観察した私は、部屋に転がっていた小さなイスを壁に向かってぶん投げる。

 イスはあっけなく砕け散りただの木材と化した。派手に砕けたのに音は壁に吸収されたかのように無音。


「叫ぶのも無駄そうね。部屋の壁全域に防音魔法も組んであるみたい。外の音は聞こえても、中の音は漏らさないタイプ。ヒトに知られたくない事をするにはうってつけね。外の音が聞こえる分絶望感と恐怖心を煽れるし」


 かなり性能が良い魔道具を入手できるあたり、相手にはかなりの財力とコネクションがあるのだろう。


「なんとか窓だけでも開けたいわね。空気も随分澱んでいるし」


 防音魔法がかかっているなら、多少手荒にやってもバレないかもしれないと隠し持っていた石を投げつけるが呆気なく跳ね返された。


「ガラスも強化対象なのね。いいなぁ、うちにも欲しい。あの魔道具持ち帰ろうかしら」


 よじ登るには高過ぎる位置にある魔道具を眺めて羨ましげにつぶやいた。


「……あなた、なんでそんなに冷静なのよ」


 シエラが呆れと嘆きがない混ぜになった声で私に尋ねる。


「嘆いても状況が好転しないと知っているからよ」


 子どもの時からそうだった。声が枯れるまで泣いたところで誰も助けてなんてくれない。結局自分でなんとかするしかないのだ、と気づいてからは涙を流すことはなくなった。


「シエラも座ってないで何か対策を錬ったら? 大人しく殺されるつもりなら別に構わないけれど」


 殺される、という単語にシエラの顔から色が消える。だが、一向に動きそうにない。


「ああ、さっき交渉は決裂したのだから私の助けは期待はしないでね。私だって自分のことで手一杯なの」


 わざとシエラを挑発し、丁寧に追い討ちをかけるも、


「大丈夫、よ。私が死ぬなんてありえないわ。だって、私は帝国で高貴な血を引いているリタ家の娘なのよ」


 譫言のように返ってくるのは思考を放棄したセリフだけ。

 おそらくシエラはこのままだと無抵抗のまま殺されてしまうだろう。

 殺されるその瞬間まで、何故自分がこんな目に遭うのかその理由も分からぬままに。

 シエラを見捨てるのは簡単だ。今までされたことを思えば、助けてやる義理もない。

 いっそのことシエラを囮にした方が私の生存率は上がるだろう。

 だけど、もしそうやってシエラを見捨て宮廷に帰ったなら……。と考え、私は無意識に髪に手をやりそこにダリアの花がないことに気づく。

 植物園に行った後、セルヴィス様はあの時くれたダリアに良く似たダリアの簪を誂えて私の髪に挿してくれた。

 攫われる直前、私はそれを今日着る予定だった衣装掛けの下に投げ入れてきた。


『赤色は見ていると元気が出る。君の色だ』


 私だけの赤の花。

 それはセルヴィス様からの信頼の証。


「……絶対に失くしたくないわ」


 ぽつりと漏れた自分の言葉で私の覚悟が決まる。

 もしここでシエラを見捨てたら、きっと私はセルヴィス様の紺碧の瞳を二度とまともに見れなくなる。

 他の誰にどう思われても構わない。

 でも契約妃でしかない私の身を案じ、私のために怒ってくれたセルヴィス様にだけは失望されたくない。

 ならば私は、いつも通り私に取れる最善を選ぼうと思う。


「助けなんてこないわ」


 キッパリと言い切った私の言葉に息を呑む気配を感じる。


「何度でも言うけど、あなたはここがどこかも何故自分が攫われたのかも聞かされていないのでしょう? その時点であなたが切り捨てられたのは明白」


「そん、なわけ」


「ざーんねーん♪ そんなわけ、あるの」


 私は子どものような無邪気な笑顔浮かべ、シエラに近づき顎に指を添えると強制的にこちらを向かせ、


「先の茶会での毒殺未遂に加え、大事な宴を控えた時期に私に掴み掛かってきた失態。ただでさえ皇帝陛下に睨まれているというのに、謹慎を言い渡していたにも関わらず抜け出したあなたを果たしてリタ侯爵家は探してくれるかしら?」


 彼女が目をそらそうとした現実を並べる。


「ふふ、本当は自分でもわかっているのでしょう?」


 暴君王女らしい尊大さを意識して、


「よかったじゃない。加害者よりも事件の被害者として処理される方がよほど世間の印象はいいわ。おめでとう、望み通りかわいそうなヒロインの誕生ね!」


 この騒動を聞きつけたときのリタ侯爵家の結論予想を彼女の耳元でささやく。

 そして、残念ながらこれはありえないことではない。

 シエラの後宮入りが絶望的なら尚更。

 事件に便乗して、娘を切り捨てる。

 非情に思えるかもしれないが、家門に連なる全ての人間の首を切られるよりよほどマシな選択だろう。


「……衛兵を、呼んだのでしょう? 今頃あなたが居ないと宮廷内で騒ぎになっているはずよ。陛下の寵妃なら最優先で」


 震える声でそう尋ねたシエラに、


「衛兵は呼んでないわ」


 私はそう言って止めを刺した。

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