5.偽物姫と黒い罠。
新しい娯楽の提供。それは私の予想通り人々の関心を引いた。
「まぁ、さすがに半丁やチンチロがこんなに受けると思わなかったけど」
昔、ほとんど玩具を手に入れられなかった私にお母様が教えてくれた遊びの一つ。
イザベラとすごく盛り上がったなと懐かしい思い出に浸りながら私は指先でダイスを弄ぶ。
後宮で妃が行うイベントは全て皇帝陛下に向けたアピールだ。
企画としてはお茶会に演舞、琴やハープなどの楽器演奏といったものが多く、何ヶ月もかけて準備をし、皇帝陛下に招待状を送るのが一般的で、それらを通して妃は自分の能力や価値を示す。
だが、そこまでしても皇帝陛下が宮を訪れるか否かは皇帝陛下の御心一つに任されていて、いくら贅を尽くし時間をかけたところで皇帝陛下が興味を引かれなければそれまで。
なんとまぁ、妃に分が悪い賭け事かと後宮のお作法とやらにため息しか出てこない。
そして、私にはそこまで手間暇かけられるほどの時間がない。
「格式ばった伝統を重んじるクローゼアの出身であるはずの王女が仕切る大衆向けの賭博場。さて、セルヴィス様はコレをどう解釈してくるかしら?」
私はそうつぶやいてダイスを転がす。
クローゼアがどうしようもない貴族たちに唆されて帝国に戦を仕掛けた後、必死で情報を集める中で気づいた事がある。
帝国の間者がイザベラを探っていた。国を統べる国王陛下ではなく、第一王女イザベラ・カルーテ・ロンドラインの事を。
催しに現れるか否かがセルヴィス様の御心一つだというのなら、彼の"関心事"に絞ったほうがずっと効率的だ。
今頃セルヴィス様は、
『自分の妻となったイザベラ・カルーテ・ロンドラインは、はたして本当に"暴君王女"なのだろうか?』
などと仮定し、彼女を暴く策を巡らせていることだろう。
「半分正解。だけど残念、偽物姫を探ってもイザベラには辿り着けないわ」
推察の域を出ないけれど、おそらくセルヴィス様はイザベラを側妃にと指名した時点で暴君王女の仮面とイザベラの才に気づいている。
帝国に漏れた情報は僅かなものだというのに、私達が必死で築いた戦略に辿り着いたセルヴィス様の洞察力の高さには感服する。
もし、本物のイザベラと直接接触があったなら、誤魔化せなかったかもしれないけれど。
双子を忌み嫌うクローゼアの王族に忌み子が生まれた、ましてや殺す事も叶わず未だ生きているなど表に出せるはずもなく、クローゼアで徹底的に黙殺されて来た私の存在を知る者はごく少数しかいない。
少なくともこの時点でリィルの存在に帝国やセルヴィス様が辿り着くことはないだろう。
私は月を見上げる。今宵は綺麗な三日月だ。
「……来るとしたら、そろそろかしら?」
というか、そろそろ接触できないと本当にマズイ。こちらは時間制限のある人生を送る身だ。時が流れたらその分、この賭け事は不利になる。
そう思った瞬間、心臓を直接掴まれたような強い痛みが身体を走った。遅延魔法を身につけていてもこれか。
「……大丈夫。私は、まだ死なない」
魔法の効果が切れた時の反動に不安を覚えながら、私は自分を落ち着けるように深呼吸を繰り返し、少々目立つ真っ赤なフードを被り直した時だった。
がさっと音がして、何かが姿を現す。その姿を天色の瞳に映し、私は驚いて目を瞬かせる。
「……オオ……」
見間違いようもなく、それはまるで漆黒の夜を集めてケモノの形にしたような大きな狼だった。
たじろぐ私をその紺碧の瞳がただじっと見返す。
落ち着けと言い聞かせながら私は真っ黒な狼から目を逸らさず、そっと深呼吸を繰り返す。
本来なら後宮とはいえ城内の敷地にこんな大型の獣が現れたら大問題。初めて対峙する私の反応としては、怯えるか、震えるか、叫び出すか、が正解なのだろうけれど。
「ふふ、今夜は月が綺麗だと思わない?」
私はなるべく平静を装い、そう問いかける。
ゲームを楽しむ暴君王女らしく、傲慢な笑みを浮かべながら。
「月見がひとりではつまらないと思っていたの」
私は狼の紺碧の瞳を覗きながら思考を巡らせる。
ここは後宮だ。普通の狼が入り込むとは思えない。だとすればこの狼はおそらく使い魔。そしてこんなところに使い魔を派遣できる人間など限られている。
使い魔を寄越すだなんて後宮で賭博という意表をついた私へのセルヴィス様なりの意趣返しなのかもしれないが。
もし、この狼を通してセルヴィス様が私を視ているのだとしたら、一欠片だって違和感を持たせてはいけない。
偽物である、という可能性を選択肢に並べさせないために。
「こっちにいらっしゃいな」
そう言って狼に声をかけ、自身の隣をポンと叩く。
私と狼はお互い目を逸らす事なく出方を伺う。数秒後動いたのは狼の方で、音もなくテラスに上がると大人しく私の隣に座った。
「あら、賢い。どなたかの飼い犬かしら?」
私はわざとらしくそんなセリフを並べる。
「あなた、大人しいのね」
さて、ここからどうやって本人を呼び出す足がかりにしよう? そんな事を思いながら時間稼ぎのようにそっと手を伸ばしその背を撫でた時だった。
「………!?」
ちょっと興味本位で触ってみただけなのに、この世で最も高貴な色とされる黒色を纏った狼の毛並みは驚くほど触り心地が良くて思わずモフる。
「ふわぁぁぁ、え、何これ!? ちょっ、びっくりするくらいふわっふわなんですけど!?」
耳もしっぽもふわふわで全部が全部手触りが良く、私のモフる手が止まらない。
そして心なしかちょっとドヤ顔の狼様。
皇帝陛下の使い魔をモフるだなんてどう考えても不敬でしかないんだけど。
「えっ、ちょっとブラッシングさせて頂いてもよろしくて?」
あまりに魅力的なモフモフを前に私は一旦作戦の遂行を中断する事にした。
「ヤバい。何この触り心地はっ!!」
完全にモフモフに籠絡された私はそれはそれは丁寧にブラッシングする。
皇帝陛下の使い魔にこんなことをするなんて、いけない。絶対いけないんだけど。
「尻尾ふっさふさ。はぁぁ、モフモフ素敵過ぎる」
けしからん、といいつつ私は思う存分モフモフを堪能しながら真っ黒な耳をマッサージする。
気持ちいいのか紺碧の瞳はすっかり閉じられリラックスしているようで。
そんな姿が可愛くて私は穏やかな時間に目的も忘れて癒されていた。
「はぁ、満足」
揉みくちゃにされても怒るどころか一声も発さず、私にされるがままだった狼がもういいのか? と目で尋ねる。
「ふふ、ありがとう」
私は黒い狼に礼を述べ、天色の目を瞬かせる。
散々モフって満足した私はじっと狼を見つめ、仕切り直すように机に視線を流す。
「珍しいモノがあるのよ」
私はそう声をかけながら、箱に手を伸ばす。この子から、皇帝陛下を引きずり出す、と決意しながら。
「とっても甘くて美味しいのよ」
私はそう言って箱を開ける。中身はカカオ含有量が高い最高級のチョコレート。
ダイスを使った目新しい娯楽の提供は目眩しに過ぎない。私が本当にこの後宮に持ち込みたかったもの。
それはゲームの合間に提供される"チョコレート"だった。
クローゼアではごく当たり前に食べられている、人々に好まれる甘味。勿論、後宮に持ち込まれた時点で毒味済み。
普通の人間ならただただ美味しいお菓子であるチョコレートはゲームと共に人々の中に定着していった。
おかげで私も日常的にハイカカオを口にすることができている。
ループ病を患う私にとってチョコレートはただのお菓子ではなく、薬だ。
カカオに含まれる成分には血管を広げたり炎症を抑える効果がある。
一方で、それは"犬"にとっては猛毒だ。
これだけ多くの人が口にし、絶賛されるチョコレートが毒物に成り得るなんて、きっと誰も気づかない。
使い魔に毒を盛り、不調を起こしたこの子を助ける事で皇帝陛下に恩を売る。謁見条件としては、十分でしょう。
今まで私が散々毒を盛られてきたように、今度は私が毒を盛る。
やらなくては。
狼は私と箱を見比べて、音もなくするりと近寄り受け取ろうと顔を近づけて来た。
そう、このまま食べさせるだけでいい。
はず、なのに。
「……あなたはダメ」
パタンと私は箱を閉じた。
「わぅ?」
私の行動に紺碧の瞳が丸くなり、不思議そうに首を傾げたあと、くれるんじゃないのかよと小さな声で抗議の声をあげる。
「いけません」
「うぅ、バゥ」
と狼は未練ありげな唸り声をあげ私の膝をカリカリと爪を立てないようにしながら引っ掻く。
「ダメったらダメなの」
「くぅぅ」
頑なに箱を開けなかったら、私の膝に顔を乗せ紺碧の瞳で上目遣いに見上げながら小さな鳴き声を上げる。
くっ、あざとい。なんだこの可愛い生き物はっ!!
私がモフモフに弱いと知っての作戦か!? と内心忙しい私は、大きくため息をついて箱にリボンをかける。
「ワンコがチョコレートを食べちゃダメ。下手したら死んじゃうのよ?」
私はそっと黒い毛並みを撫でながら、これは毒だと告げた。
「ヒトが食べる分には問題ないから、あなたのご主人様に渡してくれる? あなたには今度ワンコが食べられるモノを用意するわ」
お願い、と言うと驚いたように私の方をじっと見て、小さく吠えると箱を口で咥えて受け取った。
「絶対、途中で食べちゃダメよ」
念押しをしたあと、そろそろおかえりなさいと私は外を指さす。
「また、ね?」
紺碧の瞳はじっと私を見たあと、くるりと方向を変え音もなく去っていく。
その背を見送った私は、小さくため息を吐く。
(ごめん、イザベラ)
絶好のチャンスだったのに、逃してしまった。
でも、毒を盛られたときの、寒くて熱くて苦しかった経験が頭の隅でチラついて。
モフモフ相手に毒を盛るなんて、私にはどうしてもできなかった。
「手段を選んでいる場合じゃ、ないんだけどなぁ」
狼にはモフっている僅かな時間に情が移ってしまったけれど、セルヴィス様本体ならきっと強硬な手段も取れるはず。
仕方ない、次よと私は見上げた月にそうつぶやいて、チョコレートを一粒食べた。