4.偽物姫と駆け引き。
オゥルディ帝国、後宮。
私の身柄は条約締結後、すぐさまそこに移された。
敗戦国の王女の嫁入り。当然だけど、人質である私は側妃だ。
婚姻だって本人不在で書類にサインをするだけの簡素な手続き。
クローゼアだって偽物姫を送り込んでいるのだからその点について文句を言うつもりはない。まぁ、人質なのだからもともと文句を言える立場でもないのだけど。
後宮に閉じ込められてかれこれ2週間。
人質らしくもっと冷遇されるのかと思っていたのに、意外にも部屋は日当たり良く広めだし、キチンと3食出るし、世話係の侍女までいてくれるという高待遇。
外に通じる回廊には見張りがいてこの宮からの脱出自体は難しそうだが、監視付きとはいえ後宮内であれば自由に出歩ける。
総合的にいえば非常に快適。
なのだけど。
「うーーん、困った」
一つ誤算があったとすれば、皇帝陛下との接触が一切ない、という事だろうか?
いくら元敵国の姫とはいえ、側妃に娶った以上一度くらいお渡りがあるだろうと思っていたのだけれど。
形式的に顔を出すことすらしない。
「これだけ立派な後宮があるのだもの。きっと、わざわざ元敵国の人間に夜伽の相手をさせるほど不自由はしてないんでしょうけど」
正直、書類上の夫に放置されたところで痛くも痒くもないのだけど、私はセルヴィス様に用がある。
「あまり、時間もないのよね」
私は右手の薬指に嵌められた指輪を撫でる。
半年時間が欲しいと言った私にサーシャ先生が持たせてくれた呪いの込められた魔石。
遅延の魔法が込められたコレが割れたら、全ての反動が一気にこの身に降りかかる。
そうなれば、私の人生詰みだ。
「さて、どうやって私の前に引きずり出そうかしら?」
わざわざ元敵国の女に時間を作ってでも会いたい、と思わせる方法かと私は空を仰ぐ。
遠くの空にかかる雲と空から落ちてきた稲光が見えた。
「……雨季、か」
長雨の時は、災害でも起きない限り大抵の人間は暇を持て余す。
それはおそらくどの国でも同じ。
「じゃ"娯楽"でも提供してみようかしら?」
さて、吉と出るか凶と出るか。
上手くセルヴィス様の関心が引ければいいんだけど、と願いながら私は準備に取りかかった。
******
オゥルディ帝国、皇帝陛下執務室にて。
帝国の主であるセルヴィスは、第一秘書官オスカー・ヴァルツが持ってきた報告書を興味深そうに読んでいた。
「セルヴィス様。私にはわかりません。なぜクローゼアの姫を側妃にされたのですか?」
オスカーは不満気な萌黄色の瞳をセルヴィスに向ける。イザベラの事は初めから気に食わなかった。
クローゼアの王族は気位が高く差別意識が強い。帝国の人間を蛮族と罵り、侮り、愚かな戦争を仕掛けてくるような奴らだ。
確かに一昔前であったなら、古くから存在する王家の血筋は近隣諸国にも影響を与えられるほどの力を持っていただろうが、今はそれほど利用価値の高い国とは言えない。
暗愚な王のその娘。先の戦争の対価として人質として捉えるまでは良い。が、セルヴィスがあえて"暴君王女"と悪名高いイザベラを側妃に迎えた意図がわからない。
「今まで国内有数の貴族達がこぞって我が娘を妃にとあれほど後宮入りさせたがっても首を縦に振らなかったくせに、戦果として他国の王女を迎えるなんて……これ以上貴族達の反発が大きくなったらどうするおつもりですか?」
「あまりにも煩いなら、俺の正体を明かせばいい」
セルヴィスはオスカーの方を見て、紺碧の瞳を細める。
「俺が人狼だと知って、なお妃になりたいと手を上げる人間がどれほどいるだろうな」
セルヴィスには秘密があった。とはいえ、別に本人は隠す気はないのだが。
帝国は多種多様な種族の存在で成り立っている。
人狼。それはかつて存在した獣人族に分類される、現代では存在しないはずの種族。
獣人族の中でも最も残虐で、凶悪と呼ばれた人狼は獣人族の長でもあった。そして、圧倒的数の力で追い込まれ、ヒト族に狩られ滅んだ。
セルヴィスは先祖返りで、その血が濃く出た。
それ故に彼は呪い子として冷遇され、辺境へと追いやられた過去がある。
「面倒臭いなら晒してしまえ。獣と閨を共にしたい悪食なんぞ、どうせ居ないだろ」
「……そ、れは」
言葉を紡げなくなったオスカーにセルヴィスは興味なさげに肩を竦める。
「俺は後宮ほど無駄なものはないと思っている」
後宮の維持には、金も人も時間もかかる。その上、多くの人間の思惑が絡むあの場所では、皇帝の寵愛を得て自分の地位を確立し、他家に足元を取られないようにと相手を蹴落とすための側妃同士の醜い争いが繰り広げられる。
はっきり言って、それをいちいち相手にしてやるほどセルヴィスは暇ではない。
「潰し合いなら、勝手にやればいいものを」
国を変えるために必要があったから、皇帝になった。セルヴィスにとってはそれだけの事で、いずれ国が正常に動き始めたら皇帝位を本来ここに座るに相応しい誰かに譲ってもいいとすら思っていた。
そんなセルヴィスとって正妃決めなど正直どうでもいい内容だった。
が、皇帝位に就いた以上周りは独り身であることを許してくれない。
「敗戦国の姫なら迎え入れる理由も明らかで、どこにも角がたたない」
他国の姫ならいずれ自分がこの椅子から退く時に、人質返還の名目で返してやれる。
ほんの数年の我慢。セルヴィスがイザベラに強いるのはそれだけのつもりだった。
「だとしても、あの"暴君王女"を宮中に入れるだなんて、やはり私は反対です」
オスカーはセルヴィスから目を逸らし、ぐっと拳を握りしめる。
かつて公式の場でオスカーはクローゼア第一王女イザベラの振る舞いを見たことがある。
根っからの王族、といった振る舞いは格下の相手に対し容赦なく威圧的で傲慢。その当時イザベラはまだ14歳。あれから時を重ねた彼女は一体どれほど手を焼く存在となっているか。
考えるだけで、胃が痛くなる。
「暴君王女、か」
オスカーの声で飛んでいた思考が戻ったセルヴィスは、楽しげに口角を上げてそうつぶやく。
「それが全て王女様の"戦略"、なのだとしたら?」
興味深いとは思わないか? と紺碧の目がオスカーに問うた。
「……戦略?」
セルヴィスの言葉にオスカーは眉根を寄せ、問い返す。
「クローゼアの国王が暗愚である事は疑いようがない」
血統と格式を重んじるクローゼア。
気づいている人間は少ないが、国を実質的に支えていたのは王妃殿下。それにセルヴィスが気づいたのは、直接王妃殿下の活躍を目にする機会があったから。
全ては王の采配であるかのように王を立て、自身はその影に身を潜め目立つ事を徹底的に避けていた王妃殿下。その彼女が一度だけ自ら矢面に立ち、国同士による一触即発の事態を収めた事がある。
その鮮やかな外交手腕は外野から見ていた幼いセルヴィスの記憶に鮮烈に残るほどであった。
が、彼女は6年前から公の場に姿を表さなくなった。それと同時に国としてのクローゼアが揺らぎはじめ、これを好機と捉えた人間は少なくなかった。
国、とは生き物だ。どれだけ古く高貴な血筋を語ろうが、所詮弱肉強食。愚王が頂点にいる以上、クローゼアは近いうちにどこかの誰かに喰い荒らされるのだろうと思っていた。
だが、現実としてそうはならなかった。一時は低迷し、確かに多くの悪意が向けられかけたクローゼアは今も国として機能し、その体を成している。
「誰もが無理だと思った国の立て直し。それを成し得ているのが"暴君王女"の采配によるものなのだとしたら、これほど面白いことはないだろう」
暴君王女が王の隣に立ち、公の場に現れたのは4年前。
それはクローゼアが持ち直し始めた時期と一致する。
「……さすがに買い被りすぎではありませんか?」
セルヴィスの推察にオスカーは首を振る。大方、優秀な家臣に恵まれているのだろう。でなければ、そんな貴重な姫を人質として元敵国の側妃に差し出すとは考えにくい。
イザベラは4年前から幾度となく公式の場に姿を現しており、多くの人間に視認されている。柔らかく温かみのある蜂蜜色の髪にクローゼア王家の人間である証とも言える天色の瞳。血統を重んじるクローゼアに置いて瞳の色は代えが利くものではない以上、今この国にいる彼女は間違いなくイザベラ本人だ。
「まぁ、イザベラが俺の妃として拘束されている以上、クローゼア側は帝国に手出しはできない。事の真意は自ずと分かるはずだ」
イザベラの才がどの程度なのかも含めて、とセルヴィスは楽しげにオスカーに告げた。
「……楽しそうですね、セルヴィス様」
またこのヒトは、と主人の悪癖に頭を抱えるオスカー。
「ああ、楽しいな。まさか放置していた姫が後宮で賭博を始めるだなんて思わないじゃないか」
そう言ってセルヴィスはダイスを手に取り指先で弄ぶ。
婚姻を結んで2週間。儀礼的に初夜を迎えるところを後宮に渡らず、あえてイザベラを放置して様子を見ていた。
それは暴君王女と名高い彼女に自身の立場を分からせるためでもあったし、国内の上位貴族達の溜飲を下げさせるためでもあった。
イザベラはあのクローゼアの第一王女だ。このような不当な扱いを受けるなんて、と怒り狂ったイザベラが早々に問題を起こすと誰もが思っていた。
が、その予想に反しイザベラは常に冷静だった。
皇帝が訪れない事に文句を言う事はなく、多少の嫌がらせなら騒ぎ立てず、ただ静かに後宮の中に居続けた。
痺れを切らせたイザベラが理不尽な要求をいつ突きつけてくるか、と身構えていた使用人達に彼女が出した要求は一つだけ。
『ダイスをもらえるかしら?』
そしてダイスを手にした彼女は催しを開催する事を宣言する。
『暇ね。少し遊びましょうか?』
そんな掛け声とともに。
「ダイスを使った見た事も聞いた事もないゲーム。招待状はなく、開催通知は侍女を通した口コミのみ。開催時身分を笠に場を荒らさないことを条件に、誰にでも門戸を開く代わりに気になるならお前が来いというスタンス。噂に違わぬ跳ねっ返りじゃないか」
心底可笑しそうにセルヴィスは喉を鳴らす。だが、その紺碧の眼は全く笑っておらずまるで飢えた狼のようだとオスカーは思う。
「陛下、満月の夜でもないのに遠吠えはやめてくださいね。初めて妃を迎えたばかりの後宮に変な噂が立っては、今後正妃を迎える際に支障を来しますので」
呆れたような口調でため息をつくオスカーに、
「正妃、ねぇ」
そんなモノを迎える気のないセルヴィスはつまらなそうにつぶやく。
早々に退くのだからいらない、などと言えばまたいらぬ小言を聞く羽目になるので、
「無駄に吠えた覚えもないな。まぁ、爪で引っ掻いたり甘噛みぐらいはしたかもしれないが」
今後娶る妃については一切言及せず、セルヴィスは適当にはぐらかす。
「あのですねぇ、セルヴィス様。冗談抜きでクローゼアの姫に見られることだけは絶対に避けてくださいよ?」
止めても行くのだろうな、と半ばあきらめ気味にオスカーはセルヴィスに忠告する。
が、
「仮に見られたところで、どうせ俺だとバレることはないさ。それに、それこそクローゼアの好きな血筋、という奴だろう」
そう言って気にも留めないセルヴィスは、
「さて、どうやって駆け引きするか?」
紺碧の瞳を細めて楽しげに笑った。
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