25.人外陛下の独白は偽物姫には届かない。
彼女がよく寝ていることを確かめて、セルヴィスはそっと腕から抜け出すと、狼からヒト型へと姿を戻す。
闇に紛れるような真っ黒な羽織を纏ったセルヴィスは自身を隠すように深くフードを被る。
イザベラの寝顔を見るのは2度目で、カルディアの夜以来だった。
「イザベラ」
セルヴィスはそっと名前を呼ぶ。
「落ち着いたようだな」
規則正しい呼吸とすやすやと眠る穏やかな彼女の顔を見て、痛みはどうやら引いたらしいと悟りセルヴィスは安堵する。
「これで2度目、か」
すぐ治るから、という彼女の言葉通り痛みは長く続かないようだった。
皇帝陛下とその寵妃として対峙するときにそんな素振りを見せた事はなく、これほど観衆の注目を浴びているというのに宮中の誰からもそんな報告は上がっていない。
つまり、誰もイザベラの不調に気がついていないのだ。
黒い狼の姿をした、セルヴィス以外誰も。
基本的にイザベラは隠すのが上手い。そして彼女の行動には必ず理由がある、という事をセルヴィスは知っている。
『わがままで浪費家の王女様』
イザベラがクローゼアにいた時に叩かれていた陰口の1つに、そんなものがある。
クローゼアで彼女は金に糸目をつけず、華美な宝石や豪華なドレスを好んで身に付けていた。
イザベラに限らず、身分の高い女性には宝石やドレスを好むものは多く、浪費家自体は珍しくない。
クローゼアでのイザベラは同じドレスは2度着ないと宣言しており、事実公式の場で同じドレスや宝石を身につけた事がない。
また珍しいもの好きで、欲しいと思ったらそれがどんな辺鄙な場所にあったとしても取り寄せていたと報告書には記載されていた。
それだけ聞くと大層わがままで浪費家な王女様に見えたことだろう。実際陰でそう罵られているし、帝国でもそう信じている者も多い。
「本当にイザベラが浪費家なら、帝国でもそう振る舞っただろうな」
だが、イザベラは沢山の貢物にも興味を示さず、可能なら賠償金に充てたいといった。
カルディアでもそうだったが、彼女の審美眼は確かで、金勘定も自分でできる。
そして帝国に嫁いで以降、寵妃を演じる上で用意されたドレスは纏うが自分好みの注文をつけたり新しいドレスの購入を望んだりしない。
する必要がないのだ。
ここから導き出される解は一つ。
「富の再分配、か」
言うまでもなく、王族の生活費は全て血税。
王族のドレス一着でも作るにはかなりの金が動き、雇用が生まれる。
珍しいモノ好きのイザベラはすでにあるものに満足せず、地方の有名でない特産物ですら良いと思えば採用してきた。
ハイブランド主義の貴族が否、といえば私に逆らうつもり? と暴君ぶりをはっきしてはね除けて。
所望するモノを確実に持ってこさせるために、道が整備され公共事業が活発になったクローゼア。
彼女の希望を叶えるために、国内の技術が磨かれていった。
悪女だ暴君だと言われつつも人目を引くほど美しいと評判の王女が、ドレスや装飾品を身につけて堂々と公式の場に出れば、それは流行りに敏感な子女たちを刺激した。
そしてさらに需要が生まれ、民に金が落ちる。
全部が全部、計算された王女の策略。
民に還元するための尤も確実な方法が"わがままな浪費"だったのだ。
「ベラは、強いな」
国を、民を、守るために"暴君王女"を演じてきた彼女。
その生き方に共感を覚える。
他に選択肢がなかった事も含めて。
「俺はたまに投げ出したくなる」
セルヴィスは寝ている彼女に本音を漏らす。
「まぁ、全部を力ずくで奪い取った俺が今更放棄するなど許されるはずもないが」
そうでなくても、古い約束がある。
「ミリア」
セルヴィスはサイドテーブルに置かれた図鑑に視線を落とし、今は亡き図鑑の持ち主の名を呼ぶ。
ミリア・カザリア。かつてこの後宮にいた先帝の側妃。
そして、セルヴィスの恩人。
冷酷無慈悲な皇帝陛下。それは全て彼女に対しての贖罪だった。
『どうぞ、後宮を巡る面倒事は私にお任せください』
セルヴィスはそう言ったイザベラの言葉を思い出す。
「まさかあなたと同じことを言う人間が現れるとは思わなかった」
図鑑を手に取ったセルヴィスは懐かしい筆跡を指でなぞる。
『見ないフリ、気づかないフリ、も優しさですわ。特に、この後宮においては』
そう言った側妃は人差し指を唇に当てて沈黙を貫く。
口の固い彼女の元には後宮に住まう沢山の妃から厄介ごとが持ち込まれていた。
「ミリア。あなたならイザベラの事も救えただろうか?」
もし、今もミリアがここにいたならイザベラはひとりで痛みに耐える事もなかっただろう。
『側にいて欲しい。私が眠るまで、ずっと』
そう言って伸ばされた手は温かく、優しかった。
報告書から炙り出したイザベラの人物像は自分と似ていると思っていたのに、実際に会って知った彼女はミリアに似ている気がして。
放って置くことができない、と思う一方で。
『バケモノ』
そう非難する人々の怯えた目を思い出す。
セルヴィスは元々獣人の血を引いていることを特に隠してはいなかった。
尤も幼少期早々に帝都から追い出され、一族郎党粛清してしまった今では結果としてセルヴィスが人狼だと知っている人間の方が少ないが。
『獣人、か』
古代文字を見つけ、調べてみようかと言った彼女。
スイセンの毒からアヘンまで辿り着く彼女のことだ。
もし、調べられたらセルヴィスが人狼である所まで辿り着いてしまうかもしれない。
『私ね、モフモフ大好きなの。だからあなたに嫌われたくない』
怯えることなく狼を捉える優しい天色の瞳。
セルヴィスは初めて自分が人狼だと知られたくない、と思った。
セルヴィスは彼女の蜂蜜色の髪に手を伸ばしかけ、止める。
もし、正体がバレたならこの天色の瞳も恐怖に染まるだろうか?
「俺も、君に嫌われたくない」
いつかいなくなる存在だと分かっている。
愛してくれなくていい。
目的を持って近づいてきた偽物の寵妃で構わない。
だから、どうか。
「気づかないで、欲しい」
彼女にだけは、バケモノと呼ばれたくない。
その感情の名前をセルヴィスはまだ知らない。
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