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23.偽物姫への贈り物。

 連れて行かれた先は、後宮の庭園の片隅で忘れられたかのようにひっそりと存在する小さな温室だった。


「こんなところがあったなんて」


 名目上側妃とはいえ、実質人質でしかない私があまり好き勝手に出歩くのもと今まで庭園の奥まで来たことはなかった。

 セルヴィス様に促されるまま入れば、そこにはいくつものハーブと薬草が植えられていて、古い戸棚には見知った調合器具が並んでいた。


「後宮の奥に薬の調合エリア。先代は後宮を使ってリアル蠱毒の生成でもなさっていたのですか?」


 後宮に集められた美姫達が生き残りをかけたった一人になるまで相手を蹴落とし続けるバトルロワイアルを想像し、真顔で聞いた私に、


「イザベラ。お前の思考は一々物騒だな」


 そんなわけあるかと呆れた声が落ちてきた。


「いや、だって後宮にこんなものあったら」


 こっそり毒草を育てて、ひっそり毒殺し放題なんじゃと思う私に、


「後宮の厄介ごとを密かに収める妃」


 セルヴィス様は静かに言葉を紡ぐ。


「!?」


 それは、私が初めに提示した自分の売り込み内容。


「かつて、そんな事をしている妃がいた。ここはその妃だけが立ち入ることを許されていた」


 ここには目眩しの魔術が施されていて、許可された者しか立ち入れなかった場所なのだとセルヴィス様は説明してくれた。


「その方は、今は?」


「殺された」


 誰に、とは聞けなかった。

 淡々と答えたセルヴィス様のその瞳はここではないどこか遠くを向いていて。強く悔いているような、自責の色を宿していたから。


「そう、ですか」


 私は改めて調合器具を見る。古いけれど、丁寧に整備されていて、今でも充分使えそうだ。


「きっとその方は、情の深い方だったのでしょうね」


「どうして、そう思う?」


「ここにあるハーブや薬草のほとんどがリラックス効果や身体の不調を整えるものだから。それをいつでも使えるように育てるのは、結構大変なんですよ」


 陛下の寵愛を得ようと殺伐とした戦いが繰り広げられる後宮で、損得を考えず誰かを助けるために動ける人が非情であるはずがない。


「カップが2つ。ここで誰かとハーブティーを淹れて飲んだりしたのかしら?」


 私は古いティーセットを見つけ、かつての後宮を想像する。


「イザベラも、ハーブティーを淹れるのか?」


 そんな私にセルヴィス様はそう尋ねた。


「できます、けど」


 ハーブティーを淹れるには準備がいる。

 何より信頼されていない私がセルヴィス様の口にするお茶を用意するわけにはいかないので。


「今日は別の事をしましょうか」


 そう言って私はセルヴィス様に提案した。


 用意したのは、大きめの桶とたっぷりのお湯。そしてこの温室で育てられていたローズマリー。


「頃合いですね」


 ローズマリーの清々しい香りを嗅ぎながら私はそう言ってセルヴィス様の前に差し出す。


「ゆっくりお湯に手をつけてみてください」


 言われた通りにセルヴィス様は桶の中に手を沈める。


「いい香りだな」


「ローズマリーにはリラックス効果があるんです。特に気持ちが落ち込んだ時なんかはオススメですね。他にも集中力を高めたり、血行を促進してくれたり」


 と私はローズマリーの効能について簡単に説明する。


「詳しいな」


「お褒め頂き光栄です」


 ふふっと笑った私は、


「お疲れの時は手浴がオススメです。手軽に楽しめますし、時間もかかりませんし」


 手だけでも全身あったまりますよと私はセルヴィス様にそう言って勧める。


「ああ、これはいいな」


 気に入ってくれたようで良かったと思っていた私の方に手を差し出し、


「ベラ」


 と、私を呼ぶ。

 珍しい。二人でいる時に愛称で呼んだりしないのに。

 驚き戸惑う私の手を取るとセルヴィス様はそのまま湯に私の手を浸けた。


「早くしないと冷めるだろう」


 せっかくベラが用意したんだから、と当然のように私と共有しようとする。

 一人でゆっくり使えばいいのに、なんで? と疑問符を浮かべる私に、


「コレは落ち込んだ時にお勧めなんだろう」


 そんな言葉が返ってきた。

 もしかしなくても私を気遣ってくれたの? とようやく連れ出された意図と、落ち込んでいたらしい自分に気づく。

 それと同時に近くなった距離に戸惑い、そして心音がうるさくなる。


「……二人で手浴するには、狭くないですか?」


 だから離して、というより早くセルヴィス様は繋がっていない方の手を桶から出してしまった。


「これで問題ないな」


 重なった手はそのままで、離してくれそうにない。

 私は驚いて天色の目を瞬かせ、セルヴィス様の方を見る。

 口角を上げイタズラが成功したかのような顔には論破できるものならやってみろ、と書いてあった。

 いつぞやの夜とは真逆の立場に言葉が紡げなくなった私は、


「仰せの通りに」


 クスッと笑って白旗を上げた。


 タオルで手を拭き、片付けをした後、


「確かこの辺に」


 戸棚を漁ったセルヴィス様が差し出したのは 古い植物図鑑。


「見ていただろ。カルディアで」


 あの時セルヴィス様から沢山買い与えられた品の中には入っていなかった、私が欲しかった物。

 遅延の魔法はすでに進行した症状には効かず、チョコレートで誤魔化すには私の状態は悪すぎた。

 せめて、感覚を麻痺させる薬が作れたら。沢山の渡来品の植物と図鑑を片目に映しながら、あの時はそんな事を考えていた。


「私は、そんなに分かりやすい……ですか?」


 悟られまいと随分気をつけているつもりなのに、こうもあっさり見破られては立つ瀬がない。

 いつか私がイザベラの偽物なのだとバレるリスクを懸念して私はセルヴィス様に尋ねる。


「俺はイザベラほど隠すのが上手い人間に会ったことがない」


 ふっ、と表情を崩したセルヴィス様は、


「合っていて良かった」


 私の手に図鑑と鍵を乗せた。

 見たことのない、特殊な形の鍵。おそらく魔道具の一種。


「一応今でも庭師が手入れをしているらしいが、それなりに手間みたいでな」


 後宮に妃がいなくなってから、随分と人員を削ったからと言ったセルヴィス様は、


「管理が大変だからお前にやる。好きに使え」


 いつもの口調でそう言った。

 古めかしい植物図鑑も訪れる人のいない温室も、確かに今の帝国ではあまり価値がないのかもしれないけれど。


「……でも」


 私は躊躇い、鍵と図鑑に視線を落とす。

 正直、喉から手が出るほど欲しい。ざっと見ただけでも、ここには鎮痛剤や解熱剤などこれから必要になりそうな薬が作れそうな素材や器具が揃っている。

 それでも素直に頷けないのは。


「私が、悪用するとはお考えにならないのですか?」


 あらぬ疑いをかけられて、売国のチャンスを潰すかもしれないリスクを背負えないから。

 苦痛はただ私が耐えればいい。でも、失敗を挽回するだけの時間はない。

 断ろうと私が口を開くより早く、


「そもそもここには毒になりそうなものは置いていない」


 庭師にも確認済みだと言ったセルヴィス様は、


「それに、イザベラは誰かを故意に傷つけるために毒を盛ったりできない」


 まるでそれが真実であるかのように語る。


「……そんなの、分からないではありませんか。私だって、己に降りかかる火の粉は払います」


 そう、私は嘘つきで利己的な人間だ。

 現にセルヴィス様の使い魔である狼に毒だと知りながらチョコレートを食べさせようとした事だってある。


「できない」


 だが、紺碧の瞳はそんな私をはっきりと否定する。


「イザベラがやるとするなら、それはきっと自分以外の誰かを守るためだ」


 確信めいたその言葉を耳が拾い、私は大きく目を見開く。


「だから、コレはお前にやる。使うも使わないも好きにしろ」


 トンっと私の持つ図鑑に置かれた大きな筋張った手に視線を落とす。

 その手は返却不可とばかりに私にプレゼントを押し付け、動かない。

 紺碧の瞳は私から逸らされることはなく、静かに私の言葉を待っている。

 ああ、そうか。

 後宮の厄介を片付けていた妃の話も。

 温室に連れて来てくれたことも。

 このプレゼントも全部。

 私を信じてくれる、と言っているのだと私はようやくこのやり取りの結びを見つける。


「ありがとう、ございます」


 ぎゅっと図鑑と鍵を抱きしめて、私は小さく礼を述べた。


「すごく。すごく、嬉しい……です」


 大事にしますと言った私の頭上に軽く手が置かれ、そっと髪を撫でられる。

 人前で寵妃として見せつける演技の時とはまるで違う手つき。


「そろそろ戻るか」


 差し出されたセルヴィス様の手からはふわりとローズマリーの爽やかな匂いがした。

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