17.偽物姫と眠れない夜
すぐ背中側に他人の気配がする。
それはセルヴィスを酷く落ち着かない気持ちにさせた。
かといって、正面を向き合って眠る体勢をとる気にはなれない。そんなセルヴィスにできたのは、小さくため息を漏らすことだけだった。
今は自分の側妃にしているとはいえ、イザベラはつい最近まで敵国の姫であった。
彼女はクローゼアを売国したいのだと言っているが、果たして本当に目的がそれなのかセルヴィスはまだ判断しかねている。
だから例えばこの近距離で彼女が急にナイフを取り出し、自分の背中を刺してきたとしてもさして驚く事はないだろう。
だが、実際そんな事はなく。
しばらく経って聞こえてきたのは、規則正しい小さな寝息だけだった。
セルヴィスはゆっくり体勢を変え、寝返りをうつ。
「……なんでイザベラはこっち側を向いてるんだ」
てっきり彼女も壁側を向いていると思っていたのに、あどけない寝顔を浮かべる彼女は予想に反して、こちら側を向いていた。
よく眠っているようだ、ということを観察してからセルヴィスは彼女が設置した防音の魔道具に細工を施す。
正確に言えば、魔法式と魔力を継ぎ足して、防音性だけでなく防御性も上げた。
こんなところに王族がいるだなんて、誰も思わないだろうが念の為に魔法で宿屋全体に罠も張る。
そのくらいはセルヴィスにとって息をするのと同じくらい簡単だった。
「連れてくるなら、せめて湯浴みの出来る宿くらい押さえておいてやれば良かった」
元々辺境育ちのセルヴィスにとって長期野営など大した事ではないし、川辺で水浴びのみなんてザラだったけれど、彼女はそうではないだろう。
ろくな説明もせずに連れ回した挙句、安宿に寝かせているというのは王女相手に強いていい対応ではない、と本当に今更ながら気がついた。
だというのに彼女は文句ひとつ言わなかった。
それどころか気を遣われた……のだと、思う。少しでもベッドで休め、と。
こんな扱いを受けているのだからもう少し怒ったり、警戒したりしても良さそうなものなのに、スヤスヤと眠る彼女はただ穏やかで。
冷酷無慈悲な皇帝陛下である自分の事を怖がりもしない。
「変な女だ」
セルヴィスはぽつりとそんな言葉を漏らす。
『……感謝、していると言ったら笑いますか?』
セルヴィスは先日の彼女とのやり取りを思い出す。
『あなたが強くて本当に良かった』
そんな事、言われたこともなかった。
どれだけ功績を上げたとしても。
常軌を逸した圧倒的な力は、人に恐怖心しか与えないというのに。
「感謝、か」
そういった時の彼女の目は、狼の姿で対峙した時のようなヒトらしい感情の込もったもので。
少なくともセルヴィスには嘘をついているようには見えなかった。
そして、その言葉が存外心地よく耳に残っている事に、セルヴィス自身気づいていなかった。
それにしてもよく知りもしない男が隣にいるというのに、よくここまで無防備に眠れるものだと彼女の図太さに呆れ半分、感心半分で苦笑する。
すっかり眠気の引いたセルヴィスは静かに寝息を立てるイザベラをじっと観察する。
さらりとした柔らかそうな髪は今は魔道具の力で栗色に染まっているが、本来の彼女は蜂蜜色の髪に天色の瞳を有している。
着飾っているときの彼女は、家臣達が思わず見惚れるほど美しい。
敵国の姫だったと散々影で蔑み、幾度となく暗殺しようと企てていたくせに、どの口がと何度思ったことか。
「おかげで、こんな所まで連れてくる羽目になってしまった」
ため息混ざりに吐き出されるセルヴィスの悪態は彼女には届かない。
イザベラを寵妃として起用して数日。彼女は実に優秀な囮だった。
分かりやすい弱点は、今まで機会を伺っていただけの反勢力を誘き出すのに、非常に有効で。
セルヴィスが先に手を回さなければこの短期間でイザベラは5回は死んでいた。
それにイザベラが気づいているのか否か彼女の態度からは全く読み取れないけれど、仮に気づいていたとしても"契約の範囲内ですわ"とけろっと言いそうな気がする。
「クローゼアがまともな国だったなら、こんな化け物に嫁がなくて済んだのにな」
そうつぶやいて、そっとセルヴィスがイザベラの髪を撫でた時、彼女は小さく笑い急に身体を寄せてきた。
『私はあなたの妻ですよ?』
どうぞご自由にといったイザベラの言葉が耳に蘇る。
「なっ、俺は」
そんな気は、と慌てたところでそれ以上の反応はなく、抱きついてきたまま離れない。
寝ぼけているらしい、と悟ったセルヴィスは、
「どの口が寝相が悪かったら、なんて言ってやがるんだ」
すやすやと眠るイザベラを恨めしげに睨んだ。
強引に剥がすこともできたのだが、あまりに気持ち良さげに寝ているのでそれはそれで気が引ける。
いっそのこと床で寝るほうがマシ、と思ったところで狼の姿なら簡単に抜け出せるのではとセルヴィスは思い至る。
狼に姿を変えベッドから抜け出したところで、
(そういえば、魔力のないノーマルな人間にとって長時間高濃度の魔力に晒されるのは身体に負担をかけるんだったな)
とセルヴィスは魔道具の注意事項を思い出す。
器用に口を使って細く白い彼女の腕から魔道具を外せば、あっという間に蜂蜜色の髪に戻った。
これで良し、と音もなくベッドから降りた所で、
「……っ」
と苦しげな呻き声が聞こえた。
彼女の方を見れば、小さな身体をさらに小さく丸め、痛みに耐えるかのように苦しげな呼吸を繰り返す。
セルヴィスはそんな彼女を紺碧の瞳で捉えながら、報告書の内容を思い出す。
確か、胸を押さえてもがき苦しむ者という記載があった。
『何らかの"中毒"症状である可能性が高いかと』
と報告書を読んだイザベラはそう分析した。
まさか、知らない間に彼女も毒を?
今日彼女が口にした物は、自分と同じだったはずだが、と思いながらセルヴィスは狼の姿になった事をやや後悔する。
が、一定の時間が経過しないと人の姿には戻れないので今更どうしようもない。
とにかくイザベラを起こそうと、セルヴィスは鼻先で彼女の身体を押した。
「ガゥ、バウバウ」
と吠えた所で薄らと天色の瞳が開いた。
「……っ、しぃー。静かに」
苦しげな表情で笑ったイザベラは、ゆっくり身体を起こすと、荒い呼吸を繰り返した。
「ここ、壁が薄いの。吠えちゃダメ」
イザベラはそっと狼に手を伸ばすとふふっと笑う。
「相変わらず、すっごくふわふわ」
何度か無遠慮に撫でると痛みに耐えるように胸に手をやり、辺りを見渡す。
「セルヴィス様……がいない」
少し寂しげな表情を浮かべたイザベラは、
「そっか。あなたは見張りってわけね」
信頼を得るって、難しいわねとつぶやいて首を振った。
イザベラの言動からどうやら使い魔を置いて出て行ったと彼女に思われたらしいとセルヴィスは察する。
「起こしてくれてありがとう」
彼女は静かに礼をのべ、
「くぅーん」
小さな声で心配そうに鳴く狼の紺碧の目を見ながら、
「大丈夫。すぐ、治るから」
とだけ言った。
身体を横たえたイザベラは痛みが引かないのかどことなく覇気がない。
「……セルヴィス様がいなくてよかった」
こんな姿、見せられないなとつぶやいた彼女は、
「ねぇ、私が欠陥品だってあなたのご主人様に報告しちゃう?」
できたら黙っていてくれないかしら、と頼み込んできた。
本人だと言えるわけのないセルヴィスは、どうしたものかと悩んだ末に彼女を寝かしつけるようにベッドに上がりその側で身体を横たえた。
「ふふ、心配してくれるの? ありがとう」
彼女はモフモフした毛並みを撫でた後、
「あったかい。モフモフ最高だわ」
無遠慮に顔を埋めた。
「なんだか、今日はよく眠れそう」
ぎゅっと抱きついてきたイザベラは、どうやら落ちついたらしくそのまま規則正しい寝息を立て始めた。
彼女の様子にほっとしつつ、今夜は長そうだと狼の姿のセルヴィスは小さくため息をついた。
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