▼side Another act5:「仰せのままに」
「お帰りなさい我が愛しき子よ」
「『貴女の胸で顔が埋まってしまっているので離れていただいてよろしいですか母上』」
「貴方は本当に仕事でしか帰って来ないのですから母は寂しいです。毎日とは言いませんからせめて2日に1回は顔を見せに来てくれはしませんか?」
「『母上、離れていただきたい。でなければ話せることも話せません』」
「何故口を開いてくれないの?もしかして、母のことが嫌いになりましたか?」
「『ですから、話そうにも顔が母上の胸に埋まっていて口を開けないのです。なので1度離れていただけませんか』」
「ねぇ、なんとか言ってくれないかしら我が愛しき子。久し振りに貴方の声が聞きたいわ」
「『私も母上と顔を合わせてお話したい所存ではございますが、今のこの状況では口を開くことはおろか呼吸することもままなりません。ですから1度離れていただけませんか母上』」
「ねぇ、どうして口を開いてくれないの?母はこれほど貴方の声が聞きたいというのに」
「『私も母上と顔を合わせて早く話したいです。ですが先程から再三お伝えしている通り、母上の胸に顔が埋まっており呼吸もままなりません。お願いですから1度離れていただけませんか』」
「あぁ愛しき子、あの方に似て凛々しく猛々しい顔立ちに育った我が愛しき子。どうか貴方の声を───」
それから半刻ほどこのやり取りは続いた。
魔王を窒息死させそうなこの女性は魔王を産んだ魔王の母親で、魔王の天族の遺伝の基となった者だった。
魔王が普段天界へと帰らないのは、当然魔王としての職務が有るという理由も有るが、この母親からの過剰なスキンシップが原因なのではないかと実は周りの天界達の間では噂されている。
半刻もそんなやり取りが続けば当然周りの天界達はこの場へと集まり、そして必死に空中に文字を書く魔王の姿を見ればどういう状況かを察し、急いで魔王の母親の子殺し寸前の諸行は止められた。
息子から引き剥がされた母親は最初こそ周りの者達を殺さんばかりに睨んでいたが、魔王の「母上、自重というものを覚えてください」という言葉と共に放たれた額への凸ピンにより、彼氏の為なら何でもやる盲目的で恍惚的なカオをしながら「ハーイ」と返事することで収まった。
「改めて、お久し振りでございます母上。お元気だったようで何よりです」
「ごめんなさいね愛しき子。貴方、大きくなるほどあの方に似てきて、どうしても恋しくなって少しお痛が過ぎてしまったわ」
「私が父上と似ているというのは息子冥利に尽きますが、流石に毎回このようなやり取りが為されるのは外の者達に示しがつきません。せめて屋敷に帰ってからでしたら仕事に差し障りない程度までなら付き合いますので、今後はその時に為さってください」
「あら、屋敷に帰ってからなら存分に貴方を抱き締めても良いのね?」
「…………さて、今回私が帰郷した件についてなのですが、報告が2点、お聞きしたいことが1点有ります」
このまま再び、いつまでも続きそうな母親からのスキンシップに関する欲求を感じ取った魔王は、本題へと舵切りすることで強引に話を進めることにした。
見る人聞く人によれば過剰な母親からのスキンシップを害悪と捉える人が居るかもしれないが、少なくとも魔王は全く母親からの愛について思うところはほとんど無い。
有るのは、いつまでも話が進まないことだけだった。だから強引に話を本題へと持って行った。
魔王がそう口にした途端、先程までの乙女のカオをした母親はその表情を無くした。無表情である。そして「場所を移します」と言った直後には円卓と言える机の前に各々が配置された状態で待機しており、彼女はその後ろに在る城の玉座のような豪華な椅子へと腰を下ろした。
その姿に誰も文句は言わず、むしろがそれが当然のように一同彼女へと腰を折って頭を垂れ、その後目の前の席へと着席をする。
そして彼女から対角の位置に配置された魔王は、席に着くことなく立ったままで、目を閉じていた。
「さて、魔界の王よ。此度参上したことの仔細を聞こうか」
「仰せのままに」
そこには先程までの母と子の姿は無く、為政者と為政者の姿だけが在った。




