女の世界
「イギライアだと?」
思わずそう溢す。驚愕という他ない。
イギライアという文字列で俺の中に有るそれに該当する言葉は、第三の竜イギライア・ガーミシリオン以外に無い。
しかしその名前が出たことで、何故彼女と自然と呼んでしまうのか、何故これほど無惨な姿なのか、彼女を見て感じた謎の全てが俺の中で解決した。
文字の隣に描かれた鳥と蜥蜴は、恐らく過去の彼女とラウムの事なのだろう。なんとなくそんな気がした。
だから俺は彼女の前に傅き、指輪からラウムの鱗の1枚を取り出した。
「」
途端に彼女は怯えたように震え始め、必死に俺から逃げようと距離を取ろうとした。
しかし脚は動かないらしく、動かしているのも右腕ぐらいだ。そして彼女をイギライア・ガーミシリオンとして見れば、その右腕もよくよく見れば肘から先がほとんど動いている様子は無かった。
彼女を落ち着かせるために、俺は俺の事情を彼女に届く言葉で伝える。
『いきなり貴女のトラウマになる物を出して悪かった』
『俺に貴女を傷付ける意図は無い』
『話を聞いてほしい』
こういった有無を彼女に倣い空中へと描き、震える彼女の左腕に触れて魔力を送りながら伝える。
魔力を送るのはこちらに攻撃の意思が無いことを感じ取ってもらうためだ。
彼女は自分の身を守るため、恐らく彼女の魔力感知能力は過敏と呼べるほどに精細なものだろう。だから、こちらが心から攻撃する意思は無いと魔力に乗せて送れば伝わるだろう。そう思い魔力を送ってみた。
結果は大正解だった。
魔力を送り出した途端、あれほど怯えていた彼女の体の震えは唐突に止まり、頬の動きでしか読めないが不思議そうなカオをしながら俺の書いた文字を見た。
彼女の横へと移動し、空中に文字を書く。今度は『話を聞いてくれるか』と書いた。
すると彼女は右腕を動かし、『いいよ』と返してくれた。
だから、何故俺がラウムの鱗を彼女の前に出したのかを説明して、その後彼女の昔話を聞いた。純粋に彼女の過去やこの世界の成り立ちが気になるというのも有るが、ここは少しでも彼女に心を開いてもらうのが先決だと思ったからだ。
彼女からは色々な話が聞けた。
彼女が発生した当初のこの世界のこと。
彼女が発生してから知った、彼女の姉達のこと。
それを知った時の彼女の気持ち。
自分に甘えて来た普通の蜥蜴だった頃のラウムが可愛かったこと。
弟のように思っていたこと。
なんならもしも叶うのなら番になりたかったこと。
それが裏切られ、彼女の存在事態を可愛がっていた弟に喰われる恐怖のこと。
天界の住人や魔王が助けてくれたこと。
同時に全てが怖くなったこと。
全てを話してくれた。
それを聞いて、より一層少しでも復活してほしいと思ったため、『もしも少しでも力を取り戻せるならこれを捧げる』と伝えた。
すると再び彼女は震え始め、震える手を動かし『生きたくない』と伝えて来た。
この事に思わず眉間に皺が寄る。
彼女が何故生きたくないと述べたのか、その理由を想像は出来る。だがその気持ちを理解することは俺には出来ない。何故なら、生きたくないと言う割に、彼女はこうして生きているからだ。
本当に生きたくないのならそのままラウムに食べられて死んでいても良かった筈だ。しかしこうして生きているということは、死にたくなかったということだろう。そして引き籠もったままなんだ、その気持ちは今も変わらないのだろう。
にも関わらず生きたくない、だ。流石にその気持ちに共感が出来なかった。
しかしそう彼女に伝えることも、これ以上彼女を傷付けるつもりも俺には無かった。だからこそどうして良いかわからず困り果てた。
そこで、これまで黙っていた水帝が、止まった俺達のやり取りに何かを感じ取ったのか何を話しているのかを聞いてきた。
「彼女は……、過去に弟のように思っていて、もしも叶うなら夫婦になりたいと思っていた男に、心と体に一生消えない傷を負わされた。
だから彼女はここに引き籠もっているらしい……、んだが……」
「歯切れが悪いわね。何か問題でも?」
「生きたくないそうだ。だが、死にたくもないらしい」
「…………あ、そういうこと。確かに貴方はそういうの嫌いそうよね。
良いわ。なら、今から言う言葉を彼女に伝えてちょうだい」
ラウムや魔王や天界のことは伏せ水帝にイギライアの過去を話すと、そんなことを言ってきた。
怪訝に思いつつ彼女に触れて魔力を流し、『この女が伝えたいことが有るらしい』『聞いてくれるか』と伝えた。
『いいよ』と返ってきたため、水帝に伝えれば、水帝は言葉を紡ぎ出した。その言葉を俺はイギライアへと伝える。
『楽しかったわよね。素敵な日々だったわよね。でもだからこそ辛かったわよね。怖かったわよね。だからこそ何もしたくないのかもしれないわよね。
今のままでも貴女が望むならそれで良いと思う。
でも、少しでもしんどいと感じるのなら、少しでも楽になる方法が有るなら、試してみるのも良いんじゃないかしら』
水帝の口調まで含めて、全部そのままでイギライアへと伝えた。
そうすると彼女は脚を抱えて肩を奮わせ始めた。
泣いているのか?そう思った時には水帝に体を押されてイギライアから遠ざけられて、俺が居た場所に水帝が座り、イギライアを抱き締めていた。そしてたまに彼女の頭を撫でながら、水帝は再び静かに言葉を紡ぐ。
「大変だったわよね。何よりここまでの時間全てが辛かったわよね。それなのに、たぶん貴女はこれまで1度も泣かなかったんじゃないかしら?貴女は強いのね。
だから、今は一杯泣いて良いのよ」
言葉は伝わらない筈だろうに、しかしイギライアは水帝の背中に腕を回してしっかりと抱き締め返した。
水帝の口から「ぐぇっ」という汚い音が漏れたが、それでも彼女を抱き締めることと撫でることは止めず、水帝は顔色を青くしながらもイギライアが落ち着くまで彼女のを安心させるように抱き締め撫で続けた。
それを見て俺は、漠然とだが、ただ女の世界だと思った。
少なくとも俺ではイギライアが涙を見せることは無かっただろう。
同じ女である水帝が、イギライアという女の心に寄り添ったからこその目の前の光景なのだろう。
女に男の世界のことはわからないらしい。
だからこれは、その反対なのだろう。
男に女の世界のことはわからない。こういう時、男は黙って見守るのが良いのだろう。
イギライアが落ち着くまで、俺はそんな2人を一応周囲を警戒しながら眺め続けた。




