「ここからが本番だ」
顔は右へと向けられていて、視界の左端にレオポルドは居た。向こうは腹を押さえて数歩後ろに下がっていた。感触からわかっていたが、俺は彼の鳩尾を殴り左頬を殴られ、彼はその逆だった。
顔を正面に戻す動きを利用してその場で右ハイキックで顎を狙う。正面に戻った視界が次に捉えたのは俺の蹴りを左腕で受け止め、その脚を掴もうとするレオポルドの姿だった。
掴まれそうなことを認識したと同時、当たった際の反動を利用して脚を掴まれるより早く戻して、今度は左の正拳突きを再びレオポルドの鳩尾目掛けて放つ。レオポルドはこれを腕をクロスすることで防ぎ、右足を突き出して来た。
これを半歩下がって避け更に拳を突き刺そうとした。しかし突き出されたその右足は俺の右足へと勢い良く下ろされ、その場で固定された。
「おおおおおおおおおおおおッ!!」
レオポルドが吼える。それと同時に彼の左拳が俺の右脇腹へと突き刺さる。人体の急所の1つである肝臓の位置に彼の剛腕を喰らった俺の体は一気に警告音を吐き気という形で知らせた。それを気合い根性で我慢して俺も彼の肝臓の辺り目掛けて左拳を打つ。
が、彼の筋肉が凄まじく、俺の拳は俺ほどのダメージを与えなかったらしく、翻した彼の右拳が俺の鼻っ面に打たれた。
こちらも負けじとレオポルドの鳩尾を狙うが、しかしそれは彼の左腕に捕まり拘束された。
尚も吼える獅子はそこから俺の顔面をこれでもかと言うぐらいその右拳で殴った。
触らなくてもわかる。完全に鼻が折れて、まるで顔が陥没したかのような不細工な面になってることを。
4発目辺りからはレオポルドの右拳に赤い糸が付いていたし、5発目以降はグチャペチャと気持ち悪い。
『言っただろ、今のサースにはちょうど良いって』
魔王の声が頭に響く。
『確かに君は1ヶ月前と比べて強くはなったさ。でもそれはあくまで総合力の話さ。君は魔力で強化しない素の状態では獣人族の皇子たる彼の足元には到底及ばないんだよ』
及ばない…。
『あぁそれとも明確に言葉として伝えた方が良いかい?君は全ての世界でも最強クラスである天魔の魔王たる俺との修行で、成長を実感して、調子に乗ってたんだよ。だから今君は獣人族の皇子に良いように殴られてる』
調子に乗ってた…。
あぁなるほど。確かに、言われてみればレオポルドと戦う前から本気を出すかどうかとか、とても彼に失礼なことを考えていた。
そう、まるであのクソ野郎かのように。
『魔王ありがとう。そして誰が弱いって?』
『弱いとは一言も言ってないぜ?』
『同じだろ。調子に乗ってるからこうなってる。調子に乗ってる奴はほとんどが弱い奴だ。アンタは言外に今の俺は弱いと言ったんだよ』
『……少なくとも、今の君に惹かれるものが無いのは事実かな』
『だろ。だからありがとうなんだよ』
そこで魔王との会話を止め、個人的にはあまり使いたくない手だったが、今の状況を打破するにはそれしか思い付かなかったため仕方なく個人的禁じ手を切る。
ボコボコに殴られてる俺は、右足と左腕を固定されてることを良いことに、視界から外れているであろう右の拳を軽く引いた。幸い今のレオポルドの態勢は俺を殴りやすいように俺の右側面に体を持ってきていた。
だから、
だから俺は、ソッと右手に力を入れて振り上げた。
目指す先は彼の股間。彼は俺を殴るのに夢中になっているからかこの奇襲に気付かなかった。
俺の右手が彼の彼を握る。そしてそのまま力の限り力を籠めて、彼の玉を潰すつもりで握った。
「イ゛イ゛ィ゛ッ」
鳩尾同様、流石に剥き出しの人体の急所である股間へのダメージは効くらしく、直ぐ様俺を拘束する腕と足は一刻も離れようと外され、殴っていた右手は俺の右手を離そうと振り下ろされようとしていた。
流石に彼の振り下ろしを腕に喰らえばこの試合ではもう使い物になりそうもないためすぐに手を離し、距離を取った。
「サースゥゥ…」
レオポルドの瞳孔が、まさに獣の目になる。そこにありありと浮かぶのは怒りの感情だった。
「悪いなレオポルド皇子。股間のこともそうだが、何より俺はアンタのことを内心で無自覚に見下してた」
ペッと歯で切って出て溜まっていた血を適当に吐き出し、言葉を重ねる。
「最近俺は、自分でも実感できるほどに成長していた。しかもその指導をしてくれてるのが、俺の知る限りでの最強だ。だから、最強に指導されてる俺に、俺がぶっ倒したい奴以外は有象無象と変わらないみたいな認識をしていた…んだと思う。つまり調子に乗っていたわけだ」
「………それで?それを聞いて俺は益々貴様への怒りが湧いたが、俺の怒りを更に買ってまで何が言いたい?」
「本当に悪いと思ってる。だからさ、」
そこで区切り、拳を強く握り、地面をしっかりと踏みつけ、足に力を籠める。
「ここからが本番だ」
今日既に何度もやったスタートダッシュで一気に近付き、レオポルドの鼻っ面をぶん殴ってやった。




