婚約破棄
「フェリーチェ・クレメンス。本日をもって、貴様との婚約を白紙に戻す」
学園の卒業パーティーが始まるや否や、私の婚約者であるはずのアレクサンダー王太子殿下は、高らかに宣言した。
「貴様は聖女として覚醒した我が愛しのリリア・メニエルに嫉妬をした挙句、彼女を傷つけた。恐ろしい悪女め。貴様のような性根の腐った人間を、サンドラ王国の王妃とするわけにはいかない!」
「あの……」
「心優しいリリアは、ずっと耐え忍んできたが、昨日、泣きながらすべてを証言してくれた。言い訳は許さんぞ」
どうやら口を挟ませてはくれないらしい。
仕方なく、怯えるように殿下の右腕にしがみついていたリリア様の様子をチラリと窺う。
泣きながら証言をしたというわりには、目も腫れていないし、ずいぶんお綺麗な顔をしているけれど。
「そして私は気づいたんだ。貴様に傷つけられながらも、貴様を庇う心優しいリリアこそ、この国の王妃になるべき女性なのだと」
彼女は準男爵家の生まれで、正確には貴族ですらないはずだが……。
私の心配をよそに、殿下はリリアを褒め称え続ける。
確かに、光を閉じ込めたような輝くプラチナブロンドヘアの派手な美人。小柄だがグラマラスで目を引く容姿をしている。
その上、在学中に聖女候補に選ばれたとあって、リリア様は学園中の噂の的だった……らしい。
らしいというのは、残念ながら学業と王妃教育の両立で忙しい私は、そんな噂さえ耳にする余裕がなかった。
正直、彼女を傷つけたどころか――今の今まで、きちんと顔を見たことさえなかったのだ。
なるほど、殿下は私とは正反対の女性をお選びになったのね。
と思ったところで、リリア様と目が合った。
「きゃっ……怖い……!」
「この期に及んで、リリアを睨みつけるなど、どういうつもりだ!」
殿下はここぞとばかりに怒鳴りつけてくる。
でも、どういうつもりも何も、そもそもリリア様を睨んだつもりはない。
どうしたらいいのかしら。
苦肉の策で、視線を逸らすと、彼女の大きく開かれた胸元が目に入った。
豊かな胸を強調する華やかなドレスに、その胸元を飾る光り輝くネックレス。
とても準男爵家のリリア様に用意できるような代物ではない。
おそらく殿下が買い与えたのだろう。
三歳のときから婚約者の私は、殿下からプレゼントなんて貰ったことは、ただの一度もなかったけれど。
「ふん。今更反省したところで遅い。貴様は辺境のビザンツ修道院への追放が決まった。修道女のように地味でつまらないカラス女にぴったりだろう! 未来の聖女となるリリアを、辺境の地でひっそりと称えていろ!」
殿下は私の全身を舐めるように見た後、ふんと鼻で笑った。
カラス女……というのは私のことなのかしら?
たしかに私は髪は黒く、卒業パーティーという晴れの舞台でさえ、慎ましやかな装いだ。
飾り気のないシンプルなドレスで素肌を隠し、王太子の婚約者であることを示す指輪以外は装飾品も身に着けていない。
しかしそれは王妃教育の一環として、派手な装いを避けなければいけないという「しきたり」があったからだ。
思いのほか大きく膨らんでしまった胸も、常日頃から締め付けて潰し、目立たないように襟の詰まったドレスを選び――王家の嫁として相応しいよう、並々ならぬ努力を重ねてきた。
私の装いを馬鹿にするということは王宮批判に繋がるということを、殿下はわかっていないらしい。
けれど、そんなことはどうでもいい。
私は、ただ少しでも早くこの場を切り上げたかった。
「……殿下。さすがに追放はお可哀想ではございませんか?」
「さすがリリア。君は本当に優しいな」
「殿下!」
アレクサンダー殿下とリリア様は見つめ合い二人だけの世界に入り込んでしまう。
「……あの、では、婚約破棄だけということでよろしいでしょうか」
「そんなわけないだろう! 貴様、自分の犯した罪の重さを理解しているのか!」
痺れを切らして口を挟むと、また怒鳴りつけられる。
「殿下。罰を下さなくとも、きっと結婚相手も簡単には見つからないでしょうし……殿下に捨てられたことで、この先、どうしたって不幸がついてまわります。こんなに可哀想な人を追い出すなんて、私にはできません」
「リリア。君はなんて優しいんだ」
さっきから同じことしか言っていない。
未来の国王になろうとしているお方の、語彙力の貧弱さに思わずため息が出そうになる。
「ですから私の下仕えにするというのは如何かしら?」
「素晴らしい提案だ!」
どこが?
初めて会った相手のことを一生不幸だと決めつける女性のどこが優しいのかも、婚約者を横取りした挙句、召使いにしようだなんて提案のどこが素晴らしいのかも、私には一生理解できそうにないのだけれど。
「性根が腐った人間ではあるが、王妃教育を受けていた。リリアが王妃になるためのサポートをするくらいならできるだろう」
「まぁ、嬉しいわたくしも心強いわ!」
殿下に答えるなり、リリア様はチラリと私を覗き見てきた。
人を小馬鹿にした勝ち誇った顔。
私がリリア様に向けようものなら、罵詈雑言を浴びせられるに違いない、そんな笑顔。
「でも、フェリーチェ様、なんだか不服そうでいらっしゃいますわ」
「文句など言わせはしない。誰にも必要とされないクズを、リリアの大空よりも広く澄んだ心で拾ってやるのだぞ。むしろ、ありがたく思ってほしいくらいだ」
「そうですわね、ありがとうございます」
会場に時折入り込んでくる冬のすきま風よりも寒いやり取りが終わると、殿下の後ろに隠れていたリリア様が一歩前に出て、嘲り笑いながら私を見下ろした。
「では改めまして、フェリーチェ様。身から出た錆とはいえ、まだお若いフェリーチェ様ですから、この先の長い人生結婚相手も現れず、生き甲斐もなく朽ちていくのはあまりにもお可哀そうだと思いますので、どうしてもと仰るのでしたら――」
「――リリア様に、喜んでお仕えさせていただきます!」
「へ?」
「ですから、わたくしフェリーチェ・クレメンスはリリア様に喜んでお仕えいたしますわ」
口をぽかんと開いて間抜けな顔を晒すリリア様。
吹き出してしまいそうになるところをグッとこらえて、私は王妃教育で磨き上げてきた最高の笑顔を浮かべてみせた。
返事も、絶対に嫌がっていると勘違いされないように、とにかく明るく元気よく。
「殿下、本当に今までありがとうございました。そしてリリア様、わたくしを助けてくださり、ありがとうございます! この御恩、かならず返してみせますわ!」
「……何を言っているのかしら」
「負け惜しみだろ。おい、わかっているとは思うが王宮においてある荷物をまとめて出ていってくれよ」
会場をあとにする。
背後から二人の嘲笑がいつまでも聞こえてくる。
どうぞどうぞ、いくらでも馬鹿にしたらいいわ。
どうしたところで、私の気持ちはまったく変わらないから。
会場から離れ、凍てつく冬の空気に全身が包まれた瞬間。
「婚約破棄、万歳!!!!」
力いっぱい叫ぶ。
今まで衣食住その他諸々ありとあらゆる我慢をしてきたが、もう欲望を抑え込む必要はない。
殿下の気が変わらなくてよかった。
やっぱりやめたと言われたらどうしようかと、気が気じゃなかったんだから。
さっそく明日の朝から、リリアに仕えることになるみたい。
急いで荷物を片付けて、明日の準備をしないとね!