【コミック第4巻発売記念短編】名前を付けられない感情③
(はぁ……疲れた……)
部屋に戻った私はベッドに寝転がると、大きなため息をつくと同時に、ホッと胸をなでおろした。
アランが罰せられなくて、本当に良かった。
タイミング良く吹いてくれた風のお陰で、彼への罰もうやむやになったし。
地面で転がっていた侍女長とお義母様は、ちょっとだけ可哀想な気もしたけれど、いつも高圧的に接してくる二人があたふたする姿は滑稽で、思い出すと笑いがこみあげてくる。
おっと、他人の不幸を笑うなんてはしたないわ。
お腹に力を込めると、グーッと鳴った。その音に、忘れていた空腹感が急に仕事をしだす。
義母の命令通り、私の夕食はない。
この空腹を、明日の朝まで堪えないといけないの、辛すぎる。
だけど仕方ないわ。
もう一度ため息をつくと、空腹から逃れるためにもう寝ようと、ロウソクを吹き消した。
精霊魔法が生活の一部になっているけれど、私が生まれる前、バルバーリ王国で精霊魔法が使えない事態が発生したこともあり、魔法に頼らず生活するための道具も方法も残されていた。
おかげで精霊魔法が使えない私も、なんとか生活が送れている。
着替えをするため立ち上がったとき、ドアがノックされ、聞き慣れた声が部屋に響いた。
「エヴァお嬢さま、アランです。もうお休みでしょうか?」
「まだ起きているわ。すぐに開けるわね」
慌ててドアを開けると、別れた恰好のままのアランが立っていた。手には、布がかかった小さいバスケットが握られている。
「どうしたの? とにかく中に入って」
「い、いえ! 渡したい物があっただけなので、ここで……」
「届け物? なら尚更中に入って? 中身も確認しないとだし」
「え、あっ、あのっ……こんな時間に、私がお嬢様の部屋に入るのは、ちょっと……」
「どうして? いつもは部屋に入って、色々とお手伝いしてくれるでしょう?」
何故アランが、私の部屋に入るのを必死で拒むのかが分からない。
何かさっきから、こんな夜に〜とか、男である自分が〜とかモゴモゴ言っているけれど、昨日だって日中、私の手伝いのために部屋には入って来ていたし、今更何を気にしているのかしら?
とはいえ、ここで押し問答をしていても時間の無駄。
「ほら、とにかく中に入るっ!」
私は半ば強制的に腕を引っ張って部屋に入れると、ようやく彼も諦めたみたい。
部屋に入ったアランは、始めは凄く困ったような表情を浮かべていたけれど、何か問題でも? と首を傾げながら私が見ると、少しだけ眉根をよせた後、失礼しますと軽く頭を下げた。
ドアが閉じると部屋が真っ暗になった。
(しまったわ。もう寝ようと思って、ロウソクを消したのを忘れてた!)
だけど私がロウソクをつけ直すよりも早く、アランの声が聞こえた。
「世界の根源、悠久に息づく精霊よ。この心と繋がり、強き想いを具現化せよ〈光球〉」
呪文が終わると同時に、部屋に光の球が現れ、狭い部屋を照らす。
精霊魔法で光を灯してくれたのね。
光量は抑えられており、部屋全体を照らすというよりかは、お互いが話すために必要な範囲を照らしてくれている感じ。
アランはバルバーリ式の精霊魔法――ギアスと霊具を使わない。
いつも、精霊たちにお願いをして力を分けて貰う、従来の精霊魔法を使っている。
道具である精霊に媚びる魔法なんてとマルティなんかが馬鹿にしているけれど、私は決してそうは思わない。
精霊を閉じ込めて使う魔法と、精霊にお願いして力を分けて貰う魔法。
どう考えても、後者の方が良いに決まっているし、私が精霊魔法を使うなら、絶対にそっちの方がいい。
「ありがとう。魔法で部屋を照らしてくれて」
「いえ、お気になさらないでください。私がエヴァ様のお時間を頂いたのですから。光も控えておきました。私がここにいることを、あまり知られたくなかったので」
確かに、ロウソクの光しかないこの部屋から、それ以上の光が洩れ出ていたら、不信感を抱かせることになるものね。
それにロウソクの減りが早いと、お義母様に文句を言われるし。
色々と配慮してくれるアランの気遣いには、いつも感謝しかない。それと同時に、そこまで気を遣わせてしまう自分を情けなく思う。
「そう言えば、あれから大丈夫だった? お義母様たちに、何か言われたりしていない?」
私とアランへの罰は、さっきの騒ぎによってなかったことになったけれど、落ち着いてから義母たちの気が変わることも充分考えられる。
しかし、アランは苦笑いをしながら首を横に振った。
「大丈夫でしたよ。それに奥様の怒りは今、あの侍女長に向かっているらしいですから」
「え? どういうこと?」
彼の聞いたところによると、お気に入りのドレスを破られたお義母様は怒り心頭だったらしい。さらに転んだ拍子に壊れたネックレスも侍女長のせいにしているらしく、恐らく侍女長はクビになるか、使用人に降格になるんじゃないかという噂なのだそう。
元々、平民の使用人を馬鹿にしていた彼女は評判も悪く、すぐに噂は屋敷中に広がったのだという。
それに千切れたネックレスの宝石が全て見つかっていないらしく、明日は使用人総出で探さなければならないと、アランは不服そうに付け加えた。
「今回の件は、《《たまたま》》運悪く奥様たちに砂埃がかかっただけですし、私たちが何かしたわけじゃないですから。奥様のことですから、ネックレスとドレスが直り、侍女長の処罰が決まれば忘れますよ」
「それなら良かったわ。それで、こんな時間にどうしたの? ここにいることも、知られたくないようだけれど……」
「お休みするところ申し訳ございません。これを届けたくて……」
そう言ってアランは、手に持っていたバスケットを渡してきた。不思議に思い、覆っていた布を取って中を見ると、今まで止まっていた胃が突然動き出し、キューッと小さな音を立てた。
中にあったのは、パンとリンゴだった。
ただのパンではなく、丸い形の真ん中に切り込みが入っていて、火を通した野菜が挟まっていた。リンゴだって食べやすいように種が取り除かれて、一口大に切られている。
カゴの中身を凝視している私の耳に、笑いを堪えたようなアランの声が届く。
「エヴァ様が理不尽な理由で夕食を抜かれているとマリアに話したら、こっそり用意してくれました」
マリアも私に親切にしてくれる使用人で、アラン同様、ルドルフの紹介でクロージック家にやって来た人物。いつも明るくて一緒に喋っていると元気を貰える、そんな女性だ。
「そしてこれはルドルフからです」
バスケットとは別に差し出されたのは、手のひらに収まるほどの瓶。中を見ると、指の先ほどの乾燥した赤いものが詰まっていた。
「干し果物だそうです。市場に行ったとき、珍しいからと買ってきたのだとか」
「わぁっ! これ前に貰ったけど、小さいのに凄く甘くて美味しかったの! パンとリンゴも美味しそう! 明日、二人にお礼言わなきゃ」
「はい、言ってやってください。二人とも喜ぶと思いますから」
「ええ、もちろん。だけど――」
夕食が入ったバスケットと干し果物が入った瓶をギュッと握ると、心が温もりで満たされていくのを感じた。
ここでの暮らしは辛い。
けれど私のことを見捨てず、助けてくれる人たちの存在のお陰で、私は心折れずに生きていられる。
「アラン、ありがとう。今日の件だけじゃなく、いつも私を助けてくれて」
精霊魔法の優しい光に照らされたアランに向かって、日頃の感謝を伝えた。
青い瞳が、大きく見開かれた。
だけど、
「……いいえ。勿体ないお言葉です、エヴァお嬢さま」
彼の驚きは、優しい笑みへと変わった。
心がキュッとなる。
ついさっきまで規則正しく動いていた心音が、トトトッとリズムを変える。
この笑顔をもっと見たいのに、目を逸らしてしまいたくなるような気恥ずかしさ、そんな矛盾した気持ちが湧き上がる。
(……何で、かな?)
マリアとルドルフも、感謝を伝えたい大切な人たち。
だけど一緒にいても、笑顔を見ても、こんな気持ちにはならないのに、とっても不思議。
「お嬢さま? どうかなさいましたか?」
「え? ううん! な、何にもないわっ!」
「それならいいんですが……」
急に話しかけられ、私は慌てて首を横に振った。
ほら、アランが怪訝そうに私を見てるわ。
しっかりするのよ、エヴァ!
これ以上彼の前で情けない姿を見せたら、また心配させちゃう。
(もっと……強くならなきゃ)
私は、この国の王太子であるリズリー殿下に嫁ぎ、いずれ王太子妃としてこの国を守っていかなければならないのだから。
ほとんど顔を合わせることもなく、合わせてもぞんざいな態度をとる婚約者を思い出し、心に不安と痛みが走る。
だけど、結婚なんてまだ先の話。
その頃にはきっと、今の環境も、殿下の態度も変わっているわ。
そしてこの国のために、もっともっと忙しくしているはず。
(……きっと)
だから今は、このささやかな幸せを大切にしたい。
大切な人との時間を――
「そうだわ! 私一人じゃ寂しいから、アラン、一緒に食べない? ルドルフから貰った干し果物、分けてあげる」
「えっ? あ、あの?」
「あ、だけどあなたが座る場所がないわね。行儀が悪いけれど、ベッドに座って一緒に食べましょうか。こぼして汚しちゃうような食べ物はないし」
「べっ、ベッドの上で一緒って、ちょっ、ちょっとあのエヴァ様、それはさすがにまずいのでは……」
「ん? 何がまずいの?」
「あ、えっと……ですね……ええっと……ほ、ほら、私の服も汚れてますし……」
「そんなこと気にしてたの? 平気よ、私もまだ着替えてないから」
「そういうことじゃ……」
あれ?
アランが頭を抱えてしまったわ。あ、もの凄く大きなため息をついてる。
それに心なしか、顔も赤い?
私の見間違いかしら?
色々と考えを巡らしている私の視界に、呆れたように肩を落とすアランが映った。何か言いたいのに言えない、そんな気持ちを顔に出しながら、額を押さえている。
だけどフッと両肩から力を抜くと、自身のポケットを探った。
「……これ」
私の前に、何かが差し出された。
それは、私がルドルフから貰った物と同じ瓶。だけど中身は黄色。
瓶を受け取り、彼に視線を向けると、青い瞳が優しく細められた。
「ルドルフがくれたんです。お食事をお持ちしたら、お嬢様はきっと一緒に食べようと仰るだろうから、これでも食べてご一緒しろって」
この言葉に、今度は私が目を丸くした。すぐに笑いが込み上げてくる。
「ふふっ、ルドルフには私の行動がお見通しだったのね?」
「……みたいですね」
「それにアランの方は、味が違うのかしら? 気になるわ」
「なら、味見しますか?」
「うんっ‼」
ニッコリと笑って頷くと、彼も釣られたように小さく笑った。でもすぐさま、使用人としての顔へと戻る。
「あ、でも、いっぺんに食べちゃ駄目ですからね? 日持ちするので、少しずつ召し上がってください。あと食べるのは、夕食を召し上がってからですよ? 干し果物はあくまで菓子ですから」
「んー……でも疲れてるから、先に甘い物をとった方が良いと思うのよね」
「あっ、お嬢さま‼」
アランが声をあげたけど、時すでに遅し。
瓶のコルクを抜くと、中の果物をポイッと口の中に入れた。粘度がある食感と、甘味が口いっぱいに広がった。
甘くて美味しいっ!
干し果物を堪能する私を、アランが諦めたようにため息をついた。
だけど、
「……今日だけですからね?」
と言って笑みを浮かべると、バスケットをベッドの上に置き、用意した敷物の上に食事を並べてくれた。
私がベッドに腰掛けると、彼も失礼しますと頭を下げ、バスケットを挟んで私の横に座る。
「それにしても、アランって力持ちなのね? あんなに大きな荷物、どんどん運んじゃうし。私、自分の筋力には結構自信あったんだけど」
「ああ、あれは魔法で筋力をあげていたんですよ。別の仕事で使った魔法の効果が、まだ残っていたみたいで――」
たわいもない話が出来ることが、
そんな相手がいることが、
堪らなく嬉しい。
無能力者だと嘲笑われる私を気にかけ、大切にしてくれる存在がいることだけで、私の心はいつも救われている。
『エヴァお嬢様は、エヴァお嬢様です! 誰がなんと言おうと、貴女様の価値は変わりません! 誰が何をしても、貴女の誇りや心の自由までは奪えないのですから!』
いつかアランが私にかけてくれた言葉も――
それなのに、心は時々変な反応をして私を困らせる。
ほら、今だって。
アランが笑いかけてくれて嬉しいのに、それを素直に受け入れられない自分がいる。
私を見つめる眼差しで、胸が一杯になる自分がいる。
(いつか、理由が分かるといいのだけれど……)
マリアやルドルフには感じない、アランに対してだけに起こる、まだ名前を付けられない感情。
甘かったはずの干し果物の後味が、少し苦く感じた気がした。
その感情に名前が付けられるのは、もう少し後のお話。
<了>
ここまでお読みいただきありがとうございました♪
少しでも楽しんでいただけたのなら、幸いです。
コミカライズのコミック第4巻も、
是非よろしくお願いいたしますm(__)m




