【コミック第4巻発売記念短編】名前を付けられない感情②
「ありがとう、私のために怒ってくれて。でも私にとって、私のせいで誰かが罰せられるほうが、どんな罰を与えられるよりも辛いの。だから……分かって?」
アランは納得出来ていない様子だった。悔しそうに下唇を噛み、握った拳は僅かに震えていた。
彼の怒りが、言葉もなく伝わってくる。
だけど、私への理不尽な行いを怒ってくれるだけで充分心は救われているわ。
青い瞳が、本当にそれでいいのかと言わんばかりに私を見つめる。
それを負けじと見つめ返すと、先に視線を逸らしたのはアラン。
大きなため息をつくと、私の横を通り過ぎ、荷物の山に手を置いた。
「分かりました。なら、さっさとこの雑用を終わらせましょう」
「えっ? 終わらせるって……手伝ってくれるの?」
「当たり前です。それくらいは私にもさせてください」
「でも、あなた、お仕事終わったばかりでしょ?」
アランも、今までたくさん働いて疲れているはず。
ゆっくり休みたいはずなのに、これ以上私の不始末に付き合わせて疲れさせるわけには……
だけど彼には私の考えなどお見通しだったみたい。口角の片端を上げると、
「でなければ、今回の件を今すぐ奥様に抗議してきます」
と言ってきた。
ちょっとこれ、脅してるんじゃない⁉
アラン自身が罰せられるのが脅しっていうのも変な感じだけれど、完全に脅しにきてるわよね⁉
でもここまで言われたら、断ることはできない。
理性では分かってても感情では納得できない気持ちを、尖らせた下唇で訴えながらも、私は渋々頷いた。
「わ、分かったわ。じゃあ……アラン、お手伝いお願いします」
「私のような使用人にお願いなどしないでください、エヴァお嬢様。ただ一言、ご命令頂ければ結構ですよ。あなたはクロージック公爵家の御息女であり、正統な血を受け継ぐたった一人の御方なのですから」
「でも……」
「誰がなんと言おうと、貴女様はクロージック公爵家の御令嬢。どうかそれをお忘れ無きよう」
アランは私の前に跪き、胸に手を当てて頭を下げた。
使用人として立場を落された私に対し、彼はいつも敬う態度を崩さない。むしろ私に、公爵令嬢として相応しい振る舞いをするように諭してくれる。
それが嬉しかった。
同時に、
(壁があるみたいで、寂しいかも……)
決して埋まることのないお互いの距離を感じ、一抹の寂しさを覚えてしまう自分もいる。
……何かしら、この気持ち。
最近、不意に湧き上がるようになった感情の揺れに戸惑ってしまうことが多くなった気がする。
ううん、たまたまよ。
ほらアランが、もう荷物の片付けに入ってるわ。
私も任せっぱなしにせず、動かないとね!
心の中で考えを振り落とすと、腕まくりをし、私も大きな荷物を持ち上げようとした。
だけど、
「大きな物は私が運びますから、お嬢さまはそっちの細々した物を運んで頂けますか?」
と、横からひょいっとアランに大荷物を取りあげられ、運ばれてしまう。
す、凄い。
結構重い荷物なのに、あんなに軽々と!
アランはこういう仕事に慣れているのか、動きに無駄がない。事前に小屋の中を見ていて、中に入れる順番も考えて運んでくれたから、小屋の前に置いた荷物を運び込み、片付けるまでとてもスムーズだった。
辺りが薄暗くなる頃には、全ての片付けが終わった。
きっと私一人だったら、夜になるまでかかっていたから、彼には感謝しかない。
私の横で、パンパンッと手を払っているアランに御礼を言う。
「ありがとう、アラン! 暗くなる前に終えることが出来たわ」
「お嬢さまのお役に立てたのなら幸いです」
そう答えながらアランが微笑む。
主従関係からくる言葉だと分かっていても、心の底からそう思っていると錯覚してしまいそうになる笑顔に、何故か動悸が激しくなった。それに耳の辺りも熱い。
今日、そんなに暑かった?
いやでも、もう日も落ちてきてるし……
不自然な動悸に対する疑問は、後ろから聞こえた足音と、アランの視線が突然鋭いものに変わったことによって、たち消えることとなった。
「エヴァ、そんなところで何をしているの?」
「……お義母さま」
振り向くとそこには、義母と侍女長の姿があった。彼女達の後ろには、数人の侍女が付き添っている。
「エヴァ様? 私が言いつけた仕事は、終わったんでしょうね?」
侍女長が、私とアランを睨みつけた。
どうやら私がここでサボっていると思われているみたい。彼女もまさか、もうすでに罰として押しつけられた仕事を終わらせているとは、思ってもみなかったのだろう。
だから胸を張って堂々と言ってやった。
「ええ、ついさっきだけれど終わったわ」
証拠にと物置小屋の扉を開けて中を見せると、まるでパズルのようにきっちりと収まった家具や道具達を見て、侍女長が目を丸くした。
だけど何かに気づいたように、アランに厳しい視線を向ける。
「もしかして……そこの使用人に、代わりにさせたんじゃないでしょうね⁉」
「確かに彼にも手伝って貰ったけれど、私も一緒に片付けたわ!」
確かにアランに手伝って貰ったけれど、私だって彼に負けないようにしっかり働いたはず。
……働いたわよね?
急に不安になって、彼の意見を聞こうとアランの顔を見た瞬間、喉元にあった言葉が引っ込んでしまった。
前髪の隙間から見える青い瞳が、恐ろしいほど冷たい。相手の首元に刃物を突きつけているような鋭利さで、侍女長をジッと見つめている。その視線だけで、相手を射殺してしまうような気迫があった。
侍女長をとらえる視線は冷たいのに、近付くのも躊躇ってしまうほどの、底知れぬ怒りがピリピリと私の心を震わせる。
彼の瞳に映っているもの全てを、敵だと認識しているような――
(アラン……怒っているの?)
緊張のため乾いてしまった口内を、無理矢理絞り出した唾液で湿らせた。
侍女長も、彼から放たれる異様な気配に気付いているみたい。さっきから、何よ……とかブツブツと呟きつつも、アランと視線を合わせようとしない。
そんな中、
「エヴァお嬢さま」
「え、は、はい⁉」
突然アランに話しかけられ、答える私の声が裏返ってしまった。けれど彼は気にした様子なく、侍女長を睨みつけながら問う。
「先ほど、ここの片付けを命じられたとお聞きしましたが、【一人で】という条件は付けられましたか?」
「い、いいえ。特にそんなことは、聞いていないけれど……」
「ありがとうございます」
彼の視線が私をとらえた。
先ほどまであった冷たさは、どこにもない。私が知っているアランで、緊張していた心が安心で緩む。
だけど再び侍女長の方に向き直った時には、冷たい彼の表情に戻っていた。
「とのことだ。【一人で】という条件がなかった以上、手伝って何が悪い?」
「こ、これは、ちゃんと仕事が出来なかったエヴァ様への罰なのよ⁉ それを他人が手伝えば意味がないでしょう‼ そ、それにこの私に対し、反抗的な態度は何なの⁉」
クロージック家で働いている侍女たちは貴族出身が多く、プライドも高い。
彼女たちをまとめ上げる侍女長は、特に常日頃から平民の使用人を見下していた。だから平民のアランに屁理屈のような口答えされて、もの凄く腹が立ったみたい。
それに彼女は、サンドラ義母さまのお気に入り。
だからこそ、侍女長という地位に上りつめたのだけれど、これ以上彼女を怒らせれば、アランが罰を受けてしまうかもしれない。
慌てて彼の発言を止めようとしたけれど、その前に義母が口を開いた。
……嫌な予感がする。
「お前、名は?」
今までやりとりを見ていた義母が、アランの名を訊ねた。だけど彼は臆した様子なく、淡々と答える。
「アラン・ルネ・エスタ」
「……ああ、そう言えば、あの庭師が連れてきた男女の片割れが、そんな名前だったわね」
庭師――ルドルフのことだわ。
お父さまが生きていた時から、ずっとクロージック家に仕えてくれている庭師のお爺さんで、今でも私を公爵令嬢として扱ってくれる数少ない人物。
とっても穏やかな優しい人で、私が会いに行くと、いつも笑顔で迎えてくれる。
彼が育てた植物や木々は、他の人が育てるよりもとても元気で丈夫に育つのが、いつも不思議なのよね。
その腕があるからこそ、お父さまが亡くなってからすっかり雰囲気の変わってしまったクロージック家でもクビにされず、働けているのだけれど。
義母が意地悪く笑った。
この表情、見覚えがある。
さっき私に追加で罰を与えたときと、同じ顔。
アランにも、罰を与える気なんだわ。
生意気な使用人を罰することが出来るし、私への見せしめにもなるから。
同じことに気付いたのか、侍女長の顔にもざまあみろと言わんばかりの笑みが浮かんでいる。
血の気が引いた。
だけど無情にも、サンドラ義母さまが口を開く。
「お前のような生意気な使用人には――」
私への罰なら、いくらでも受ける。
だけど、親切心で手を貸してくれた彼が罰せられるなんて、そんなの絶対に間違ってる‼
(駄目っ‼ お願い、それ以上言わないでっ‼)
その思いで心がいっぱいになった瞬間、突然、地面の砂を巻き上げるように強い風が吹いた。というか、義母と侍女長に向かって吹き抜けていったように、私には見えた。
砂埃がまともに直撃した義母たちが、目を押さえながら咳き込んでいる。どうやら、思いっきり砂埃に目と喉をやられてしまったみたい。
「めっ、目が痛いわっ‼ ゴホッ……は、早く水をっ‼ 何とかしなさいっ‼」
「奥様っ‼ そんなに動かれると……きゃあっ‼」
目が見えず、ふらついたお義母様にぶつかられた侍女長が地面に転んでしまった。倒れる直前、思わず義母のドレスを掴んでしまったようで、ビリッという布が裂ける音とともに、義母も転倒の道連れとなってしまった。
その拍子に、お義母様の首に掛かっていた高価なネックレスが千切れ、宝石のきらめきが四方八方に散らばる。
他の侍女たちが助けようと動こうにも、彼女たちも砂埃で目がやられてしまったみたいで、右往左往していた。
(な、何なのこの光景は……風が吹いただけなのに……)
一陣の風が引き起こした地獄絵図を前に、私は茫然と立ち尽くすしかない。
どうしようとアランの方を見ると、すでに私を見ていた彼と視線が合った。
もの凄く驚いた表情をしていた。瞳を激しく瞬かせながら、私の顔を穴が空くんじゃないかと思われるほど見つめている。
不思議なのは、彼の注意が、一切お義母様たちに向けられていないこと。
目の前の騒ぎに驚いているのではなく、私を見て驚いているような――
え?
私……何もしてないわよね?
そうこうしているうちに、騒ぎを聞きつけ人が集まってきた。
転がっていた義母と侍女長は助けられたけれど、まだ目が痛いみたいで、転ばないように両脇を支えられている。
立ち去ろうとした二人に、私は慌てて声を掛けた。
「あ、あの、お義母様‼ 私、言いつけ通り荷物を片付けたので、これでもうよろしいでしょうか?」
「もうそんなこと、どうでもいいわ‼ 今後、気をつけなさいっ‼ そこの使用人もっ‼」
さっさと部屋に戻り、治療を受けたかったのだろう。
義母はそう吐き捨てると、両脇を支えられながら屋敷の中に戻っていった。
そんな彼女たちを、私とアランは深々と頭を下げて見送った。




