【コミック第3巻発売記念短編】久しぶりの再会③
「ノーチェ兄さん……これは一体どういうことだ?」
どんよりと重たい空気の中、その空気に激情を込めてさらに重くしたようなアランの低すぎる声が、ここにいる者たちの鼓膜を打った。
名指しされたご本人は、
「アラン、どうした? 突然部屋に飛び込んできたかと思ったら、こんな場所に呼び出して……」
と困惑されながら、私とアランに視線を向けていらっしゃる。
謎の視線の主がノーチェ殿下だと知った瞬間、アランは殿下の自室に突撃しに行ったのだ。
それはそれは、怖い形相で……
丸テーブルについているのは、アラン。その隣には私が座り、後ろにはマリアが控えている。アランと真っ直ぐ対面する形でノーチェ殿下が座り、彼の後ろにはレフリアさんとフリージアさんが立っていた。
少し離れたところからは、万が一に備えて同席をお願いしたルドルフが見守ってくれている。
ノーチェ殿下は、呼び出された理由に心当たりがないご様子。だけどアランは疑わしそうに眉根を寄せ、指先でテーブルをトントンしながら兄君を睨みつけた。
「しらばっくれるのは止めてくれ。全て分かっているんだから」
「いや、ほんと何の話だ? お前の言っていることが、全く以て理解できないんだけど……」
「コソコソ隠れて、俺と一緒にいるエヴァを盗み見していただろ‼ 一体何を企んでいるんだ‼」
ビシッと音が聞こえそうな勢いで、アランはノーチェ殿下を指差した。しかし殿下は動じることなくゆっくりと腕を組むと、涼やかな表情をアランに向けた。
「じ、じじじじっ、自分が、え、ええ、え、え、エヴァを、ぬ、ぬぬ盗み見して、る? まったく、み、みに覚えが、ないなっ!」
「動揺しすぎだろっ‼ 誤魔化すなら、もうちょっと頑張ろうか‼」
落ち着いた表情を浮かべているのに、まるでガタガタする道の上で話しているように声を激しく揺らす殿下に、アランの激しい突っ込みが入る。
うっと声を詰まらせたノーチェ殿下が、後ろにいるレフリアさんに視線を送ると、レフリアさんは僅かに首を横に振った。それを見て、ガタガタした声を出していた殿下の唇に、薄い笑みが浮かんだ。足を組み直し、悠然とした態度で問いかける。
「で、自分がエヴァを盗み見していた証拠はどこに? 証人でもいるのかな? ふふっ、いるわけないだろうな?」
「兄さんが大好きな、光と闇の大精霊サマからのご報告ですけど?」
「……ごめんなさい。見てました」
自信満々な態度から一変。
呆気なさすぎる自白だった。
肩透かしを食らったからかアランから、
「認めるの早すぎないか⁉」
と突っ込まれていたけれど、殿下は諦めたご様子で、
「……偉大なる大精霊に見られていたとなると、もはや言い逃れは出来ないだろ」
と、虚な目で宙を見つめていらっしゃった。
でもどうして私たちを盗み見していたのかしら?
ノーチェ殿下は、再会してからずっと私を避けていらしたのに……
今から語られる事情を一言一句聞き洩らすまいと、私は殿下を見つめた。私からの視線を感じ取ったのか、ノーチェ殿下も私を見つめ返す。
互いの視線が交わり合った瞬間、
「あああああああああああああ‼ 無理だっ‼」
もの凄い勢いでノーチェ殿下がテーブルに突っ伏された。あまりにも勢いが良すぎて、テーブルが揺れ、上に乗っていた茶器類が大きな音を鳴らす。
この部屋にいる誰もがノーチェ殿下の行動が理解できず、突っ伏している殿下の頭を見ているしかなかった。
呆れたように小さなため息をつくフリージアさんと、やっちまったか、と言わんばかりに右手で髪を掻いているレフリアさん以外は……
この空気の中、動いたのはフリージアさんだった。
「エヴァ様、申し訳ございません。殿下の挙動が、あなた様に不安とご迷惑をお掛けしたことを、殿下に代わって心より謝罪申し上げます」
「あ、いえ……フリージアさん、あのっ、私、ノーチェ殿下に何かしてしまったのでしょうか? 無理と言われるほど何か怒りを買うことを……」
「違うんっすよ、エヴァ様! その逆なんです‼ 殿下、久しぶりにエヴァ様にお会い出来たのが嬉しすぎて、顔合わせられなかっただけなんっす! ほ、ほらっ、好きな子だからこそ避けちゃうってあるじゃないっすか!」
私の問いかけに答えてくれたのは、レフリアさん。テーブルに両手をつき、身を乗り出しながら必死に説明をしてくれたのだけど、
「エヴァが、す、き……? へぇー……」
レフリアさんの発言に、ドス黒いオーラを何故か背後から立ち上らせながら、アランが椅子から腰を浮かせた。
怒るアランに、彼を止めようとするマリア。レフリアさんは恐怖で戦き、フリージアさんは諦めた様子で目許を手で覆っている。ノーチェ殿下は殿下で、頭上で起こっている混乱には全く触れず突っ伏したままだ。
ど、どうしよう……
誰かこの場を鎮めて――
「世界の根源、悠久に息づく精霊よ。この心と繋がり、強き想いを具現化せよ<氷の風>」
私以外の人たちの髪や服がフワッと動いたかと思うと、皆が体をブルッと震わせた。
どうやらルドルフが混乱を鎮めるために魔法を使ったみたい。大精霊が守ってくれたお陰で、私に冷気は届かなかったけれど。
立ち会い、お願いしておいて本当に良かったわ。
私にこの場を収める力なんて、ないもの。
寒がっている皆さんの耳に、ルドルフの、穏やかでありながらも有無を言わせない重い声が届く。
「少しは頭は冷えましたかな?」
「あ、ああ……すまない、ルドルフ……」
「も、申し訳ないっす、ルドルフ様……」
文字通り頭を冷やされて正気に戻ったアランとレフリアさんが、ルドルフに謝罪した。謝罪されたルドルフは目尻を下げながら、気にすることはないと首を横に振る。
そして細めた瞳を、ノーチェ殿下に向けた。
きちんとご自身の口から全てを明かせと言わんばかりに。
ルドルフの意図を感じ取ったらしく、ノーチェ殿下は意を決したように表情を改められた。
「精霊女王は自分にとって、この世界で最も尊ぶべき偉大なる存在。そんな存在が、自分と生きる時代を同じくしている――それだけでも来世の運全て使い切ったくらいの奇跡なのに、認知されるだけでなく、言葉を交わしているなど……メンタルが……もたないのです……」
……意味が、分からない。
ポカンとしている私に、レフリアさんが慌てて補足を付け加える。
「あ、だ、だからですね! ずっと精霊を研究してきた殿下にとって、精霊女王は憧れの存在なんっすよ! ほら、エヴァ様だって、ずっと憧れていた人に話しかけられたら、嬉しい気持ちもあるけど、戸惑いません? 何を話したらいいか困りません? 恥ずかしくて目を合わせられないとか、ないっすか? 簡単に言えば、そ、そんな感じっすよ!」
「……分からなくもないですけど。でもノーチェ殿下は前まで、私に普通に接しておられましたよね?」
「あのときは、国の一大事でしたからね」
キリッと表情を引き締め、ノーチェ殿下がお答えになった。
そ、そういうものなのかしら?
「しかし平和を取り戻した今、思ったのです。やはり自分は推しに認知されず、遠くから見守っているくらいの距離感が良いのだと」
お、し……?
「遠くから見守るって……もしかしてエヴァと俺が一緒にいるとき、隠れてコソコソ盗み見していたのも……」
「今世で幸せになろうとする精霊女王と初代国王を見たいが、二人の邪魔は決してしたくない。その結果が、静かに遠くから見守る、という形をとった。それだけだ」
「え? 別に隠れなくてもよくない? 普通に話しかけてくれればそれで……」
「二人の世界に第三者は不要。自分は壁となり、二人の幸せを見守っていられれば満足だ……」
「その結果、推しを不安にさせてどうするんだよっ‼」
恐怖で目を見開きながらアランが叫ぶと、状況についていけず、ポカンとしている私に向かって、深々と頭を下げた。
「ごめん、エヴァ……ノーチェ兄さん、昔はあんなのじゃなかったんだけど、トウカ王国に行ってからおかしくなっちゃったみたいで……」
「何だと、アラン。トウカ王国は、全力で推しの発展と幸せを願う、とっても素晴らしい国なんだぞ」
「ごめん、本当にごめん……エヴァ……嫌だよな? こんな意味の分からない兄が家族になるなんて……」
「いやちょっと待てアラン、そこまで言う? 流石の自分も傷つくんだけど……」
「自業自得だ、ノーチェ」
この部屋になかったはずの声が突然聞こえ、皆の視線が一斉に、開かれたドアの傍にいる黒髪の男性に注がれた。
そこにいたのは――
「「イグニス兄さん⁉」」
アランとノーチェ殿下の叫び声に、うるさいと言わんばかりに陛下は眉を潜めた。
この国の主の突然の登場に、アランとノーチェ殿下以外の者たちが、慌てて陛下の前に出て、跪き頭を下げる。
しかし陛下はすぐさま私たちに元いた場所に戻るように告げると、アランとノーチェ殿下が見える位置に椅子を用意させ、座られた。
そして両腕を組み、圧倒的威圧感をもって、弟たちに代わる代わる視線を向けた。
「……で? 一体これはなんの騒ぎだ? ノーチェ、アラン?」




