【コミック第1巻発売記念短編】エヴァの隠しごと(後編)
◇
アランに何か隠し事をしている件以外、エヴァの様子に変化はなかった。
一緒にいるときはいつも嬉しそうにしているし、たわいのない会話も弾む。前世では得られなかった穏やかな時間が、ゆっくりと過ぎていく。
とはいえ相変わらず、マリアとカレイドスとの密談(?)は続いているし、何しているのかを訊ねると挙動不審になってしまう。
それに、フリューシュ伯爵夫人も頻繁にエヴァに会いに来ているようだ。
まあフリューシュ伯爵夫人のことについては後日、アランに伝えるのを忘れていたとエヴァに謝られたため、即許したが。
(まあ言ってくれればいいんだ。言ってくれれば……)
フリューシュ夫人の件はさておき、アランの足が、いつもエヴァたちが密談をしている部屋の前で止まった。
三人が何をしているのか、今日こそ暴いてやろうと思ったのだ。しかしいざ部屋の前にくると、その意気込みも小さくなってしまう。
(俺って、器の小さい男なんだろうか……)
エヴァのやりたいことを叶えたいと思っているくせに、そこに自分がいないのが許せないなど、幼稚すぎて嫌気がさす。
そのとき、扉の向こうから歓声と拍手が聞こえてきた。エヴァの声だ。聞き間違えるわけがない。
だが分かるのはそれだけで、会話の内容まではさすがに聞こえない。
何かに対しエヴァが喜び、マリアとカレイドスが拍手をしている。そんなところだろう。
しかし次の瞬間、
「エヴァちゃん⁉」
「エヴァ様、そこはっ‼」
マリアとカレイドスの只ならぬ叫び声が耳に入った瞬間、アランは部屋に踏み込んでいた。
青い瞳に、エヴァに駆け寄るマリアとカレイドスの姿、そして自分の手のひらを見つめ、固まっているエヴァの姿が映る。
真っ赤に染まった手のひらが――
「エヴァっ‼」
「あ、アラン⁉」
赤く染まった自身の両手を見つめていたエヴァが、ハッと顔を上げてアランの方を見た。
マリアとカレイドスも、アランの存在にたった今気づいたようで、さらに二人分の視線が集まる。が、アランはエヴァの方に大股で歩み寄ると、赤く染まった手を取った。
ギリッと奥歯を噛みしめ、マリアとカレイドスに鋭い視線を向けながら厳しく問う。
「……どういうことだ、これは! 一体エヴァに何があった‼」
「ま、待ってアラン! これは……」
「誰か! 誰か今すぐ医者を呼べ‼」
「だから待ってってっ‼」
主の怒りに凍り付くマリアとカレイドスを庇うように、エヴァが間に入った。何とか話を聞いてもらおうと叫んでいるが、アランの耳に届いていない。
騒ぎを聞きつけ、騎士や侍女たちが集まってきた。エヴァの手を見た侍女長が瞬時に事態を把握し、主治医を連れて来るように指示を出す。
知らせを聞き、飛んできた主治医が、エヴァの状態を診察し始めた。エヴァの手を開いたりひっくり返したりする様子を、アランが傍で固唾を飲んで見守っている。
やがて、いいですよ、という言葉とともに、主治医がエヴァの手を離した。
エヴァは大きく息を吐き、アランが震える声で主治医に訊ねた。
「ど、どうなんだ? エヴァの様子は……こんなに血が出ているんだ! きっと大怪我を……」
「ただの絵の具ですね」
「だから絵の具で怪我――…………って、え? はっ? え、えの、ぐ?」
緊迫していたアランの表情が、一瞬にして崩れた。
聞き間違いか? という心の声を顔に出す主に向かって、主治医は無常なほど冷静に返す。
「はい、絵の具です」
「……血、では?」
「赤い絵の具ですね」
「…………」
「……だから、話を聞いてって言ったのに……」
主治医の言葉に呆然とするアランに、エヴァは大きな溜息をつくと、マリアが横から差し出した洗い桶に手を入れた。
桶の中で手を洗い、水から出した両手には、どこにも怪我はなかった。
◇
「アラン、ごめんなさい……心配かけちゃって……」
「い、いいや、俺も先走ってしまってごめん……」
「ううん。アランが驚くのも仕方ないわ。だって私の両手、自分でも驚くぐらい真っ赤だったもの。本当にごめんなさい……」
皆が立ち去り二人っきりになった部屋で、アランとエヴァはソファーに向かい合って座りながら、ペコペコと頭を下げていた。
エヴァの説明によると、赤い絵の具を広げたパレットがあることに気付かず、思いっきり両手を置いてしまったらしい。
軽くパニックに陥ったエヴァが汚れた手で他の物に触れようとしたため、マリアとカレイドスが制止の声をあげ、それを聞いたアランが部屋に飛び込んだ、というのが真相だった。
真っ赤になったエヴァの手を見て、理性が即座に仕事を放棄したことを恨めしく思うが、済んでしまったことを悔いても仕方が無い。
ちなみに、マリアとカレイドスには謝罪済みだ。
「エヴァ……俺に、何か隠しごとしてる……よね? 最近、マリアとカレイドスと一緒にいたり、急に絵を習い始めたのも関係してるよね?」
ずっと自分を悩ませていた疑問を思い切って口に出すと、エヴァは大きな瞳を更に見開いた。唇が、嘘……と動く。
「き、気付いていた……の? どうして? 私、完璧に隠していたつもりだったのに……」
「どうしてあれで、気付かれないと思ったかな……」
ワナワナと唇を震わせ、まるで奇術を見せられたような驚きようを見せるエヴァに、アランは苦笑いをするしかなかった。
エヴァはエヴァで、これ以上隠し立ては出来ないと観念したのだろう。
「まあ、丁度完成したところだし……」
と呟くと、テーブルの上に置いてあった布を開いた。
そこにあったのは――
「……絵本?」
「それ、私が描いた絵本なの」
「えっ? これをエヴァが⁉」
思わぬ発言に、アランは絵本を二度見した。彼の反応が面白かったのか、エヴァの唇から小さな笑いが洩れた。
「ふふっ……アラン、ずっと前に、ユニスの絵本を見せてくれたでしょう?」
「ユニスって、ユニス・ラド・ヴァルクのことだね」
ユニス・ラド・ヴァルクとは、アランとエヴァの前世である、ルヴァン王と精霊女王エルフィーランジュとの間に生まれた娘――ティオナの孫であり、今でもフォレスティ王国内で読み継がれている絵本の原作者だ。
アランの言葉に、エヴァが頷く。
「自然と精霊の大切さを、もっともっとたくさんの人に知って貰いたいなって思ったの。それを伝える手段として、絵本はとてもいいんじゃないかと思って」
「絵本となると読むのは小さな子どもだから、幼い頃から自然と精霊の大切さを伝えることが出来るってわけか」
「それに絵本なら文字が読めなくても絵があるから、国を超えて読んで貰えるかなって」
「なるほどね。だから、カレイドスやフリューシュ伯爵夫人に相談していたのか」
「ええ。カレイドス先生には精霊の大切さをどう伝えたらいいのか、そしてフリューシュ夫人にはどういう絵が分かりやすいかなどを協力して頂いたの」
「そっか。素晴らしい思いつきだと思うよ。だけど……俺にも協力させて貰いたかったな」
アランが少し寂しそうに言うと、エヴァはシュンッと縮こまった。
「ごめんなさい。アランをビックリさせたくて内緒にしてたの。初めての絵本が出来上がったら、一番にあなたにプレゼントしたかったから……だけどまさか、私が隠しごとしてたのがバレてたなんて……不安にさせて本当にごめんなさい……」
再びエヴァが頭を下げた。
どうやら本気で、絵本の件をアランに隠し通せていたと思っていたらしい。
きっと彼女のことだ。
アランの反応を楽しみにしながら、絵本制作に精を出していたのだろう。それに出来上がった絵本を一番に自分にプレゼントしたかったと言われたら、怒りたくても怒れないわけで。
だから代わりに、
「……もし次、新たに絵本を作るときは、俺も仲間に加えること。いい?」
「うんっ、分かったわ。絶対ね?」
申し訳なさから泣きそうになっていたエヴァの表情が、パッと明るくなった。
(惚れた弱み……と言うしかないよな……まったく……)
その笑顔を見て、エヴァの隠しごとを完全に許してしまった現金な自分を笑うしかない。
手の中にある絵本を改めて開いた。
精霊が視える少女が、彼らの助けを借りながら、世界の色んな場所を訪れる話だ。精霊と自然、人間との共存の大切さが、温かな色使いと優しい言葉で描かれている。
絵本という短い物語ではあるが、エヴァの気持ちが溢れんばかりに詰まった一冊だ。
読み終わると、自然と口元に笑みが浮かんだ。
絵本を閉じ、緊張した面持ちでこちらを見つめているエヴァに微笑みかける。
「一番に読ませてくれてありがとう、エヴァ。とても素敵な物語だったよ」
「よっ……良かったぁ……で、でも……何だか恥ずかしいわね? 私の心の中が覗かれてるみたいで」
アランに褒められてホッとしたからか、今になって自分の創作物を家族に見せる恥ずかしさが湧き上がってきたようで、真っ赤になった頬を両手で押さえている。
エヴァの言いたいことは、分からなくもない。
この絵本には、普段表立って口にしない彼女の精霊を大切にする熱い気持ちが、存分に込められているからだ。
分からなくもないが、
「そう? 俺はもっとエヴァの心の中を覗いてみたいけど?」
「えっ? あっ、えええっ⁉」
アランの発言に、エヴァの顔全体が一瞬にして真っ赤に染まった。下ろした銀髪の隙間から見える耳たぶまで真っ赤だ。
一目見ただけで、彼女の心が恥ずかしさで一杯一杯なのが分かるが、アランは追い打ちをかけるように言葉を重ねる。
「エヴァが常日頃、何を考えているか、何を大切にしているか、何に興味があるのか……皆が知らない君のことを、もっともっと知りたい。誰も知らないエヴァの心の奥底まで、俺だけは知っておきたいと思ってるんだけどな」
全てを伝え終えたときには、エヴァは両手で顔を覆ってしまっていた。
羞恥が限界を超えてしまったようだ。
隠しごとをされた仕返しが出来たと、心の中で勝利宣言をする。
しかし、
「じゃあ……これからも私の一番の理解者でいてね、アラン」
指の隙間からこちらを覗くエヴァが恥ずかしそうに、だけどどこか嬉しそうに微笑んでいる。その微笑みに、今度はアランの頬が熱を帯びる。
してやったつもりが、いつもエヴァにしてやられてしまう。
無自覚なところが、本当にタチが悪い。
だからこそ、もっともっと彼女を知りたいと思ってしまう。
新たな一面を見て、知って、深みにはまってしまう。
その気持ちは、エヴァに片想いをしていたときから結婚をした今まで、ずっと変わることはない。
これからも――
「そういえばエヴァ。もう一人、大切な読者を忘れていると思うんだけど」
エヴァの隣に座り直したアランが、彼女の腹部に手を置いた。
新たな命が宿る、大きなお腹に。
紫の瞳が細められ、口元に笑みが浮かぶ。
「そうね。この子も楽しんでくれると嬉しいわ」
「大丈夫。きっと気に入ってくれるよ」
アランの手の上にエヴァの手が重なり、互いの指が絡み合うように繋がった。
近い将来、ここにある小さな温もりを思い浮かべながら――
エヴァがアランにプレゼントした初めての絵本は、生まれた三人の子どもたちのお気に入りとなって、ページがボロボロになるまで読まれた後、子どもに与える精霊魔法教育の入門書として長きに渡って読まれる作品となった。
が、
「あっ、そう言えば、子どもはお腹にいる時点で外の音が聞こえているらしいから、今からでも絵本を読み聞かせしてもいいんじゃないかな!」
「そ、それはまだ早すぎるんじゃないかしら……」
そこに至るのは、まだまだ先のお話。
<了>
『精霊魔法が使えない無能~(コミカライズ)』コミックス第1巻が本日12/25に発売されました!!!!!
これも全て、コミカライズをご担当頂いた多花葉先生、関わってくださった皆さま、そして作品を応援頂いた皆様のお陰です!!
本当にありがとうございます!!!!!!!!!!
たくさんの方に読んで頂けると、本当にほんとーーーに嬉しいです♪
販売元等は、下にある告知ページからどうぞ✧
コミカライズのエヴァたちも、どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m
最後までお読み頂き、ありがとうございました♪




