【コミック第1巻発売記念短編】エヴァの隠しごと(前編)
アランは執務室で一人、考え込んでいた。
目の前には書類が山積みになっているが、全く手を付けている様子はない。
追加で書類を持ってきた執務官が、そろそろ仕事進めて頂けないかなあー……と、主――シュトラール公爵家当主を横目で見ながら立ち去って行くが、当の本人はジッと腕組みをして机上を見つめたまま動かない。
アランの頭の中を一杯にしているのは――
(最近……エヴァが俺に隠しごとをしてるみたいなんだけど……)
この一点だった。
◇
結婚してから二年。
ずっと仲良くやってきたつもりだった――のに、最近彼女の様子がおかしい。
お互い多忙な身ではあるが、新婚のときと変わらず一緒に過ごす時間を大切にしてきた。
なのに最近、時間が空くとアランの所に来るよりも、侍女兼護衛として引き続きエヴァの傍にいるマリアと部屋に閉じこもることが多くなった気がする。
いや、マリアだけなら長い付き合いだから分からなくもないが、旧バルバーリ王国領内の精霊魔法教育の普及に尽力し、その後シュトラール公爵家直属の精霊魔術師となったカレイドスまで混ざっているのが解せない。
非常に解せない。
(普通に考えて、その場にいるのはカレイドスではなく俺では? 俺だってマリアと同じくらいエヴァとの付き合いが長いのに)
無意識のうちに親指の逆むけをガリガリしながら、そんなことを思う。
何度かエヴァに、三人で何をしているのかと訊ねたことがある。
しかし彼女は、
「えっ、ええ? た、たまたま一緒にいるだけで、特別なことは、な、何もしてないわっ! か、カレイドス先生に精霊魔法の講義をして頂いているだけよ?」
と、あからさまに動揺しながら答え、さらに追及しようとしても、適当な理由を付けてさっさと話を切り上げられてしまったのだ。
この現場を見た人間が十人いれば十人とも、エヴァの様子があからさまにおかしいと答えるだろう、見事過ぎる動揺っぷりだった。
三人でいる理由を聞くたびに、この怪しすぎる挙動をされるのだから、いくらエヴァの好意に鈍感だったアランでも、さすがに何か隠し事をされていると気付くわけで。
(いや、精霊魔法の講義って……精霊女王たるエヴァが、今更カレイドスに何を聞くって言うんだ。エヴァがカレイドスに教えているならともかく……)
嘘が上手くつけないところが、彼女の素直な部分というか、おっちょこちょいで可愛い部分というか……いやまあそれはいい。
今重要なのは、エヴァとマリア、そしてカレイドスを含めた三人が、アランの知らないところでコソコソ何をしているか、だ。
(やっぱり夫婦に隠し事は良くないと思うし、万が一エヴァの身に何かあったら困る。いや、別に悔しいとかそういうわけじゃない。夫として、領主として、妻や部下たちの行動はちゃんと知っておく必要があるだけで……いや、仲間はずれにされたなんて思ってない。思ってなんて……)
そこで思考を止めると、アランは部屋に響き渡るくらい大きな溜息をついた。そして、今まで視界に入っていなかった書類の山に気付き、さらに大きな溜息をつくのだった。
◇
三人の行動が気になって仕方がないまま、さらに数日が過ぎた。
廊下を歩いていたアランがふと窓から外を見ると、城から一人の女性が出てくるのが見えた。服装から貴族のようだが、帽子を被っているため顔までは見えない。後ろの従者が、大きな荷物を抱えているのが印象的だった。
用事を終えて帰るらしく、入り口に待機させていた馬車に女性が乗り込むと、馬車は走り出し、正門をくぐり抜けて消えていった。
(さっきのは一体誰だ? 身なり的に、そこそこ格の高い貴族のようだけど……)
少なくとも、今日会ったアランの客ではない。
となると、
(エヴァの客か? いやでも、俺、何にも聞いていないし……)
来客がある場合、エヴァから事前に報告があるはず。
単に言い忘れただけか、それとも……
丁度そのとき、アランの傍を侍女が通りかかった。領主の存在に気付き、スッと廊下の脇に寄って深々と頭を下げる侍女に、アランは心の内を隠すようにさり気なく話しかけた。
「さっき城から貴族女性が出ていくのが見えたが……エヴァの客か?」
アランに質問に侍女は少し考えたのち、軽く目を見開き、大きく頷いた。
「フリューシュ伯爵夫人でございますね。仰るとおり、エヴァ様のお客様でございます」
「フリューシュ伯爵……確か、数多くの芸術家を輩出している家門だったな。それで……一体エヴァに何の用だったんだ? それも伯爵夫人自ら出向いてくるなんて」
アランの記憶が正しければ、フリューシュ伯爵家は、絵や音楽、詩や小説などの文学など、あらゆる芸術的分野で名を馳せている一族だったはずだ。
彼らから生み出される芸術品を買い求める顧客は、他国の王族から裕福な商人など幅広い。
ということは、フリューシュ家が作りだした芸術品にエヴァが興味を示し、購入のために夫人を呼んだのだろうか。
それぐらいしか訪問の理由が考えられなかったが、侍女から返ってきたのは、アランの予想とは全く違う答えだった。
「なんでも、エヴァ様が絵を習いたいと、絵画に造詣深いフリューシュ伯爵夫人にお声をかけたそうですよ」
「えっ? エヴァが絵を?」
寝耳に水だと言わんばかりに、アランは目を丸くした。
(え? まさか、描く方だったなんて……)
侍女の後ろ姿を見送りながら、先ほど窓から見たフリューシュ伯爵夫人の姿を思い出す。従者が抱えていた大荷物が恐らく、絵画に必要な道具類だったのだろう。
それにしても突然絵を習いたいなど、どういう心境の変化だろう。
アランと一緒にいるときには、全くそんな話はしていなかったというのに。
(まあ……習うこと自体は別に悪いことじゃないんだけど……)
城に閉じこもることが多くなったエヴァに、趣味が増えることは良いことだ。
結婚式のときに誓った通り、彼女が望むこと、やりたいことは叶えてあげたいと心から思っている。
だけど問題は、アランに何の相談もないという部分だ。
言葉に言い表せないモヤモヤを胸の内に抱えながら、窓に映る自分の情けない顔を見て、さらに何とも言えない気持ちになるのだった。




