表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

前編

 この町の雨は、止むことがない。その大量の雨水、酸と重金属を含んだ汚染水の処理のために地下には巨大な処理施設、通称大プールがあり、透水性舗装と地下の大規模雨水網によって遅滞なく、とは言いがたいものの大きな水害なども引き起こさず雨水は大プールに送り込まれ続けていた。それらの設備が多くの空間を占めているため、この町には地下階や地下施設などは存在しない、というのが住人の一般的な見解であった。なにより、人口に対して十分にある地上施設や果ての見えない上層階の存在は、人の意識をあまり地下に向けることもなく、せいぜいメンテナンスや多少の収納に使う一階の床下程度がこの町の住人の普段意識する足下の世界であった。


「それにしても、よく降るねぇ」

ここしばらく続く土砂降りにげんなりした声でぼやくのは、和装に二本差しの侍風のシルエット。顔は傘に隠れて見えない。

「降るのはもう、そういうもんなんだって」

もう一人の声がするが、人影はほかにない。

「そういうもんなのは仕方ないけどね、ちょっと降り過ぎじゃないかい」

雨が激しく傘に当たり、ざぁっという音を立てている。

「天気に文句言っても仕方ねぇよ」

「そうなんだけどねぇ」

そう言いながら傘を斜めにして空を睨む。傘の下から覗いた顔は、青灰色の毛をした猫。

「……なんか癪じゃあないですか」

その口から舌がぺろりと出る。

「ま、文句が出るのも仕方ねえか」

時折優しさを見せていたこの町の雨が、優しさを忘れて何日たつだろう。聞き取れはしないが、上空でバルーンが流している広報によると、大プールの処理能力の限界が多少気になる程度には、異常事態なのだそうだ。だからだろうか。この二日ぐらい、町を歩いていると、時々アイアン菩薩スタイルの人を見ることが多くなった。

「そういえばあれってなんで菩薩なんだろうな」

「ああ、地蔵菩薩だからでしょう」

金属の塊のような重ボディ。丸い頭部には福耳とトリプルアイ。頭にはカーボンファイバー編みの網代笠をかぶる。

「そうなん?なんでアイアンジゾーじゃないん」

「知りませんよそんなの」

雨に打たれてはいるが、メタル者と違いしっかりコーティングされたボディは浸食されることもない。その強固さ故に、ひたすらおなじ場所に立ってデジタル托鉢を行う者も多い。

「別に外に出て功徳を積んでも、それで大プールの容量が増えるわけでもないでしょうに」

「そういや」

傘がふと何かを思い出して、

「坊さんと言えばさ、以前はモノアイ虚無僧が流行ってたよな。あれどこに行ったんだろうな」

それを聞いた猫が深い溜息をつく。

「一体何年前の話をしてるんですか……」

ちなみに大手バイオニックイグサプラントの老朽化にともない天蓋が高騰したため下火にはなったものの、今もモノアイ虚無僧がいなくなったわけではない。珍しい存在にはなっているが。

「まあ、いずれにせよ我々には関係ない話ですよ。妖怪は祈ったりしないですしね」

そう言う猫の顔はどことなく懐かしそうだった。


「何か騒がしいね」

揉め事の気配を感じて脇道へと吸い込まれる猫。

「あっ猫の人」

面発光素子を光らせたメタル者が振り返った。半分以上の素子が光らなくなっているのは、どこか配線か制御回路を傷めてしまったのだろうか。

「何もこんな土砂降りの中そんな格好でうろうろしなくても」

その痛々しい姿につい猫が言ってしまう。しかし

「こんな雨だからこそ、だぜ」

メタル者にとってはこういう時こそ根性の見せ所というものらしい。猫はそのメタル者の奥の何者かに目を移す。

「おやおや、坊さんに絡んでたのかい?」

金属の塊のような体と、カーボンを編んだ笠。そして手に持った錫杖。

「この坊さんが絡んできたんだよ!」

「ふむ……」

ヒゲを弾きながら近付く猫。メタル者の間を素通りする。

「お、おい、あぶな」

猫の鼻先に錫杖が突き出された。

「憑かれている訳でもなさそうですが……」

少し顔を後ろにずらして錫杖を避けた猫。目の前の錫杖に雨水が伝うのが見える。アイアン菩薩の持つ錫杖はすべてが金属、主にウォルフラム合金でできている。つまり、硬くて重い。

「頼むから俺で受けないでくれよ」

「善処はしてみますよ、たぶん」

そうは言ってみたものの、あまり刀で受けたいものでもない。雨に濡れた笠の下で、三つのレンズにそれぞれ猫の顔が映る。

「何なんですかねぇ」

その顔を雪駄の裏で押し、トンボを切って距離を置く。

「功徳を積まねばならん」

鉄の地蔵が初めて声を出した。

「悪しきものを討ち、功徳を積むのだ」

その声を聞いた猫が顔をしかめる。

「お地蔵さんはそんなこと言わない」

「お前はお地蔵さんの何なんだよ」

手に持った傘から突っ込みが入る。

「何って……ファン、っていうのかね」

刀の柄に手をかけながら、まだ言葉には多少の余裕がある。

「とりあえず子供たちは帰りなさい」

そう言いながら、手が少し迷い、脇差しの方に移る。

「斬れる気がしないねぇ」

話しながら錫杖をかわす。

「面白いことを言うじゃないの」

「別に冗談言っちゃいないんだがねぇ」

茶化してくる傘に、猫が思わず溜息をつく。手はまだ迷っている。得物の選択に迷っているのか、それとも。

「ま、姿形はお地蔵さんでも、子供たちに手を出そうってんなら、まごうことなき偽物ってこった」

自分の中の何かを吹っ切るように猫が言い切った。

「なるほど解釈違いってやつだな」

傘も面白がるように言う。空を切る錫杖。

「そうそれそれ、それだよ」

「悪しきものを討つ」

鉄地蔵の背中から何かがせり上がる。

「徳を積む、そして」

せり上がったそれの中で何かが回る。さらに両脇から蛇腹のようなものが出て、伸縮している。

「救いを」

蛇腹に折り畳まれたものも、回転しているものも、経典が書かれている。それを回したり伸縮させたりすることで、一回転、一伸縮の度に一回の読経と同等の効果があると、そう信じる人間は今なお存在し続けている。

「救うのはお前さんじゃないのかい。口を開けて救いを待つのかい」

そう言いながら周囲に目をやる。メタル者たちの姿はすでに見えなくなっていた。

「そんなので功徳が積めるものかい。悪いが、壊させてもらうよ」

そう言うと猫が脇差しを抜く。傘の下で、刃が濡れたように妖しく光る。そのまま滑るように近付いた猫の体が、鉄地蔵に密着する。

「そんなものでこの鉄の体が……」

「貫けない、と思ったかい?」

鉄地蔵の声は途中で途切れた。背中に背負った徳を積む機構も、ついでに刺し貫かれて動きを止める。

「……おや」

機能停止した鉄地蔵に密着したまま周囲を伺う。同じカーボンの笠をかぶった鉄地蔵が三体。

「面倒ですねぇ」

くいっと傘を動かす。傘の周囲に水滴の花が咲いた。

「待たれよ。我々は」

「そこの同門を連れ戻しに来たのみ」

「見逃してはいただけないだろうか」

口々に話す鉄地蔵たち。

「同門……ねぇ」

密着していた鉄地蔵から身体を離し、脇差を鞘に戻す。

「そちらからちょっかい出してこないなら、別に好きにすればいいさね」

「かたじけない」

軽く会釈すると、動かない鉄地蔵をほかの三体が囲んで引きずり始めた。

「見える範囲では子供に手出ししないで欲しいねぇ」

「子供ですか、あれが……」

「いえ、気をつけますよ。あなたに見える範囲では、ね」

「壊されてしまうと後が大変ですし、ね」

返事は三者三様だったが、とりあえずことを構えるつもりはないと見て、猫はそのまま鉄地蔵たちを見送った。


「見える範囲では、だと、節穴どもがよく言うじゃないか」

「大人しくアジトに帰るようだし、まあ良いんじゃないの」

猫は鉄地蔵たちの少し後ろを、足音も水音もたてずに歩いていた。土砂降りの中なのだが、傘にはねる雨の音も今はしていない。

「おや、あんなところに」

規格化された四角いゴミ箱と壁にいくつもの排気口、そして目立たない扉が並ぶ裏通りに、なんの脈絡もなく、扉のない出入り口があった。鉄地蔵たちは当たり前のようにそこに吸い込まれていく。

「うん?」

鼻をくすぐるにおいに猫が妙な顔をする。懐かしい記憶を呼び覚まされそうな、そこにノイズが入るような。

「沈香のような何か……でも違うねぇ」

猫が顔をしかめながら鼻をひくひくさせる。

「おおかたどこかのドクターがそれらしく合成したんだろうが」

傘も漂うにおいに反応する。ノイズを感じさせる混ざりものの正体はわからない。

「においを感じるような人間なんてもうほとんどいないだろうにねぇ」

人に向けたにおいでないなら、それは信仰のためのものなのだろう。自分達には感じなくても、それを焚くことに意味がある、というところか。

「……っと、追いかけなきゃあね」

どこに入ったかはわかっていても、中が複雑な構造をしていれば見失うかもしれない。そう思い猫は音もなく鉄地蔵たちの後を追った。

「なるほどこれは……」

外から雨水が入らないように、入ってすぐの所には三段程度の上り階段があったのだが、それを越えた先にあるのは、非常に急な傾斜を持つ、長い長い下り階段だった。

「傘立てはないが……どうする?」

傘を畳みながら猫が問う。一階の床下程度の話では済みそうになかった。

「扉も傘立ても無いなら、持っていってもらいたいね」

「そりゃまあ、かまいはしないがね」

畳んだ傘を振り、水を切る。

「さて、へびがでるか、じゃがでるかっと」

「それじゃどっちも蛇じゃねぇか」

あきれた声は、手に持った傘から返ってきた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=129559689&size=88
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ