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暗がりの公園のベンチに腰掛けて、彼女はとつとつとしゃべり出した。
遊音の通う高校は私立聖ヘレナ女学院という名門校だった。昔は良家の子女などが多く通ったという学校は、伝統と格式に彩られた学舎だった。その学校へ遊音が志望を希望したのは、ひとえに制服が気に入ったからである。ちまたではあまり見かけない薄い水色のセラー服。胸の所で交差するリボンの中央には校章の百合の形をしたボタンで止めてある。スカート丈はそれほど短くはないが、プリッツが普通のよりも少なく、ふんわりと広がったのが特徴的で特に気に入っていた。私立とはいえ、昔のように良家の子女などという存在も、天然記念物並に減少した結果、学費も一般の私立並に低価格化され、今では中流階級の学生が机を並べているのが当たり前になってしまっている。名前だけが浮き足立っている中で、両親は遊音の希望にさして反対することもなく―――、むしろ喜んでくれた。学力的にも成績の悪くなかった遊音は、すんなりと合格通知を手に入れる事が出来た。しかし、最初の内は可愛い制服に喜んでいた遊音も、元名門女子校という看板を掲げる学校の、無駄に多い規則には入学一ヶ月で早辟易してしまっていた。キリスト教の精神を掲げるその校風は、毎朝の礼拝、日曜日のミサ、シスターや神父のお説教。目上の者を敬い、常に淑女でいるようにと教え込まれる。ましてや、聖ヘレナ女学院は、中等部から持ち上がりの生徒も多く存在し、彼女たちの大半は徹底したお嬢様に育て上げられていた。元来がお転婆で行動的な遊音には、どうしても馴染めない校風だった。理不尽な規則に縛られ、溶け込めないクラスメートに、自分で選んだ学校だからと親に相談できないストレスとで、毎日が死にそうなほどに暗く沈んだ日々がただゆっくりと過ぎていった。そんな中で、遊音は彼女と出会ったのだ。
名前をは針生初花。
中等部からの持ち上がり組の一人であったが彼女を、遊音が誰よりも好きになったのは、優しく繊細な人柄からだった。彼女はいつもひっそりと教室の中に存在していた。それは、暗いとか沈んでいるとかいうのではなく、存在自体が儚げで穏やかだった。
まるで野に咲く花のように。
空気のように希薄な存在感は、しかし一度目を止めればいつまでも視線を向けてしまいたくなるような優しい清純さがある。そのくせ、意志ははっきりしている。お嬢様連中の右に習え的な考え方でも、穏健派的なタイプでもない。自分で決めて自分の意志でそこにいるのだと、迷わず主張するその強さに惹かれた。派閥を組むのが好きな女の子連中の中にいて、どのグループにも属さなかったのは遊音と彼女だけだった。気が付けばいつも一緒にいるようになった。なぜか会話もあった。急速に縮まっていく仲に、戸惑いよりも嬉しさの方が大きかった。今までのような気安い遊び友達のような関係ではない。深いところで静かにたゆたうような友情に、遊音は心の奥から嵌っていった。気が付けば彼女は、遊音のよきパートナーであり、親友になっていた。
そんな彼女を介して、遊音には徐々に友人が出来るようになった。最初は箱入りのお嬢様だとばかり思っていたクラスメートたちが、実は自分とそう変わらない思考の持ち主だと気付いたからだった。ありがたいシスターのお説教を退屈だと感じたり、毎朝の礼拝でお願いすることは、日々の感謝よりも早く彼氏が出来ること。アイドル談義や、家族への不満、そんなごく当たり前の顔を彼女たちも持っていたのだ。勝手な色眼鏡を付けて、敬遠していたのは遊音自身。そして、そんなつまらない世界にいた遊音を、広い世界へ引っ張り出してくれたのは初花だった。
「あんなにつまらなかった毎日が初花のおかげで、嘘のように変わったわ。友達もたくさん出来た。毎日が楽しくて、一日がこんなに早く過ぎる物だと思わなかった。女子校だけど、男の子のいない気安さがすごく私にはあったんだと思う。」
淡々と彼女は語る。言葉の中で、遊音がどれほど初花を慕い、感謝しているのかわかる。つまらなかった日常がバラ色になった。しかし、そう語る彼女の顔はますます暗くなっていった。
「だけど…・事件が起きたの。」
「事件?」
こくりと小さく頷いた。街灯の光が彼女の頭上に降り注ぎスポットライトの中に照らされた女優に見せる。でも、そこは場末の三流劇場でしかない。
「初花と仲良くなりだした頃からかな。いつも視線を感じるようになったの。じっと誰かに見られてるような、そんな感じ。でも、振り返ってもどこにもないくて。最初は気のせいだとおもったわ。もしかしたら、私の自意識過剰なせいかもしれないって。だけど、視線はどこにいても、いつも感じるの。教室にいても部活動をしてても、放課後も、家の中にいるのに感じたこともしょっちゅうよ。」
「ストーカーか?」
言雪が眉根を寄せる。遊音は頭を振った。細い髪が肩先でさらさらと揺れた。