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「ユヅ!ユヅ!」

遠くに言雪の声がする。がんがんと耳の後ろ側に鈍痛が走る。両膝に地面の感触がする。

どうやら自分は座り込んでしまっているらしい。

身体が重い。これが、肉体という器に囚われている重みだろうか。

ぼんやりとそんな事を遠くに考えていると、言雪の強い声音が楪葉を揺さぶった。とたん急速に意識が覚醒した。移ろいだ視界に映ったのは、必死な顔をして自分を支える言雪と、惚けたように立ちつくしているあの男だった。

「この男…・・。」

今だ感覚が戻らない腕は、他人の物のように言うことを聞かない。その腕をのろのろと上げて、男に向かって指を突き刺した。喉に張り付いたような舌が、とつとつと言葉を紡ぐ。

「楪葉?」

「この男は、警察じゃない…・。」

「え?」

言雪が驚いたように楪葉と男を交互に見返した。男は放心したように楪葉を見つめ返している。その表情に浮かぶのは驚愕と恐怖。何かを恐れているかのように。警棒を持たない手をこめかみにやっている。

「あ、ああ…・・あっ。」

「この男が、お巡りさんを殴って、制服を奪ったんだ…・・。」

「ええぇっ!!」

遠くで聞こえるパトカーのサイレンが徐々にこちらに近づいてくる。

楪葉は重い身体を起こし、言雪の手を借りて立ち上がった。その動きにはっとしたように、男は楪葉を見た。

「な、何をした?」

震える声で問いかけてくる。先ほどまでの狂喜じみた余裕は消え失せている。色を失った唇をわななかせ、言葉を紡いだ。

「俺に、何をしたぁぁぁっ!!」

「ひえっ!」

言雪が楪葉の腕を引っ張った。

ザシュュ!!!

楪葉の靴先ぎりぎりの地面に警棒が食い込む。楪葉もさすがに蒼白になった。

「今度はキレやがった!」

言雪に腕を掴まれて、楪葉は走り出した。相手はなりふり構わず警棒を狂ったように振り回している。

「楪葉、何があったんだよ?」

今だ楪葉の腕を掴んだまま、言雪はわけがわからないと混乱気味に尋ねてきた。男はその場で立ち止まったまま、叫び声を上げながら警棒を振り回していた。これをチャンスにと楪葉達は回り込んで、北側の階段を駆け上がる。男は現実をうまく把握出来ていないようだった。時々動物のような咆吼が聞こえてくるだけだった。

「視えたんだよ。」

「視えた?」

猛スピードで階段を駆け上がる。男が正気に戻る前に少しでも遠くに逃げなくては。

「あいつの過去が見えたんだ。色々と。それで――――――」

楪葉は最後に見えたのは、多分もっとも現在に一番近い過去だ。

「あいつ交番のお巡りさん殴って、制服取り替えてた。」

「ゲッ。マジ変質者?」

言雪は顔を歪める。

「で、あいつのあの反応はなんなわけ?」

「シンクロしたんだと思う。とっさだったせいで『力』の加減できなかったから、オレと同じモノが視えたんで驚いたんじゃないかな。」

終わったはずの、誰も知らないはずの過去をもう一度再現させられて、驚いてパニックを起こしたのだろう。

「そんでお巡りさんは?」

「頭殴られてたけど…・。わかんない。」

「じゃあ、今なってるサイレンってそれ関係か?」

確かに最初は遠くに聞こえたサイレンがさっきよりも近くに聞こえる。階段を上り終え、そのまま土手を突っ切って反対側に降りる。人気の少ない道に出る。ここは新興住宅予定地に指定されているらしく、まだまだ無人に近いのだ。バスのロータリーにある一つ目外灯が薄ら寒い雰囲気を醸し出していた。

「もう、大丈夫じゃない?」

息が続かない。楪葉はついに立ち止まってしまった。言雪もつられたように速度を緩める。膝に手をついて身を屈め、激しく肩を上下させる。その横で言雪は後ろを振り返った。男が追ってくる様子はない。

「警察に電話した方がいいと思うか?」

言雪が言った。首筋を汗が滴り落ちる。それを拭う。

「今日はやっぱ薄着で正解だったかな…。」

最終的に滝のように汗を流すほどに暑くなっている。もっとも結果はOKだが、しかし過程が最悪だった。

「俺、ちょっと電話してくる。」

顔を上げると、言雪が決心したように電話ボックスへと駆けだしている。あれだけ走ってまだ走れるとなると、よほどの体力であろう。先ほども、ほとんど楪葉を引っ張るようにして走っていた。楪葉は感嘆の気持ちだ。

「オレも運動しようかなぁ。」

部活動に入る気はないが、毎日のジョギングやストレッチぐらいした方がいいかもしれない。もし何かあったときの為に――――――と、そこまで考えて苦笑が漏れる。

「なんで、何かあった時の事を考慮に入れて考えてんだろ…・・。」

今日みたいな事がそうそうあるわけはないし、あってはたまらない。額に浮かんだ汗を拭って、そのままアスファルトに座り込んだ。ひやりと冷たい感触が、布越しに伝わってくる。それを気持ち良いと感じるぐらいに身体は火照っていたらしい。時計を見ると、九時を少し過ぎたくらいだった。何時間も追い駆けっこをしていたように思えたが、実際には十分程も経っていない事になる。ぼんやりと空を見上げると、思いの外星がよく見えた。

しゃらりと、銀色の音色が響いた。視線を落とすと右手首に嵌ったブレスレットがアスファルトにあたって音を立てている。微かに楪葉は眉根を寄せた。

このブレスレットは『封じ』だ。レプリカとはいえ、確かに力が埋め込まれている。なのに…・。

「オレが視たのは、あの男の過去だった。」

過去視の場合、視界が灰色がかる。反対に未来視だとセピアを帯びる。透視だと空間が透けて見えるし、霊ははっきりと異質な存在として肌で感じ取ることが出来る。それが、楪葉の力だった。だが、それらは『封じ』を身につけている間は、滅多に視る事はなかった。少なくとも楪葉本人が視たいと意識しない限りは。

「おかしいなぁ。『封じ』が弱まってんのかな?」

本物ではないとはいえ、それでも今までこんな事は一度もなかっただけに不思議に思う。ぼんやりと考え込んでいると、ガシャリと硝子が何かにぶつかるけたたましい音が響いた。はっとして楪葉は顔を上げて振り返った。

「言雪!」

電話ボックスの白い灯りに照らされて、ちょうど出てこようとした言雪と、その言雪にすがりつく誰かの姿があった。倒れ込むように両膝をついたその人物を、言雪が支えている。

「言雪?」

一瞬、先ほどの男かと思ったが、どうやら様子が違う。怪訝に思って立ち上がって歩み寄る。言雪が気配に気付いて顔を上げた。

「ユヅ。」

「ユヅ?透江楪葉?」

言雪に取りすがっていた人物が、高く細い声音を上げて振り向いた。


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