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くるくると視界が揺れて歪んで回っている。まるで小さい頃に乗ったメリーゴーランドの上から世界を眺めているかのようだ。耳横では、変な音楽が流れていた。アコーディオンの音に似た、古くさいメロディーだった。
灰色がかった視界の中で小さな子供がよちよちと歩いている。楪葉はその子供に手を伸ばして抱き上げる。愛おしいという感情が胸の中を駆け抜ける。
子供のために、この世界中の全てを慈しんでしまいたいと、優しい気持ちが生まれた。胸の中に甘くて酸っぱい、例えるならオレンジのような味が埋まっている。
とたん、場面が変わった。優しさも喜びも、愛しさも薄れて悲哀が埋め尽くされる。
世界は、先ほどの場面よりも少しだけ色が増して深くなった。
畳の部屋。仏間。中央に敷かれた布団の上で誰かが眠っている。
だけれど、顔は見えない。白い布が被さっているからだ。
子供がきょとんとその誰かを指さし、楪葉は歯を食いしばるように俯いて子供の右手を握っていた。
絶望的な気分の中で、子供だけが拠り所になった。
愛おしさの中には、深い深い後悔が埋まっていた。身体の中が空っぽになって、海の塩水で揺れているようだった。塩辛い。
世界が勝手にまた、巡る。くるくるくると。
深い絶望。怒り嘆き悲しみ。憎悪。
楪葉は泣いている。激しく身を切られるように。
その腕に冷たくなった小さな躯を抱いて、嗚咽を漏らしている。痛み。身を切られるような痛みを心臓に感じて、楪葉は息を止めた。頭の中に流れ込んでくる意識は汚物を垂れ流してヘドロのたまった河のように歪んでいた。
その感情に耐えられなくなって、ああと、楪葉が呻いた瞬間突然視界が少しだけクリアーになった。先ほどまでの景色に同化したような感覚が遠ざかり、どこか遠くからテレビのブラウン管越しに見つめているような感覚に変わった。
男が一人交番の中で手持ちぶさたそうに椅子に座って何かを読んでいる。その顔に見覚えがあった。警察の制服を着た壮年の男は、広場の側にある交番のお巡りだ。目尻の下がった人の良さそうな顔が特徴的だった。彼は、この交番にいつも一人で詰めている。
ふと、彼は読んでいたモノから顔を上げた。入り口を見る。そこに、40前後の男が困ったような表情で立っていた。こんこんと三回ガラスの窓をノックする。
『どうしました?』
彼は慌ててドアに近づき開けると、穏やかな声で話しかけた。
『実は車の鍵を落としてしまいまして。すいませんが、探すのを手伝っていただけませんか。一人では心許なくて。』
『それは、大変ですね。』
彼はすぐに快く承諾した。その青年と連れだって深い闇の方へ歩いていく。
(駄目!そいつと一緒に行っちゃいけない!!)
とっさに楪葉は叫んだ。叫んだが、声は彼らに届かない。
懐中電灯を持って、彼は人通りのほとんどない暗がりへと案内される。何の疑いも持たず、男が指さした辺りに身を屈めている。その背後であの青年が太い木の棒を振り上げているとも気付かずに。
(危ない!!)
絶叫が発散されずに体内で弾け飛ぶ。目の前で白い光が爆発した。
視界を奪われ、頭の中が真っ白になった。