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また吸い寄せられるようにボールが放物線を描いてゴールポストに吸い込まれていく。それと同時にガッツポーズを出したのは言雪だ。運動全般が得意で、小学校の頃からバスケ部に所属している彼は、部活外でもバスケをする事をこよなく愛していた。放課後の3ON3に楪葉を誘うのもいつも彼だった。

楪葉は小中と、現在に至るまでずっと帰宅部だった。さしてやりたいことがなかったという理由で、時間の無駄だとか疲れるからとか、そういう不健全な理由では決してない。

学校は、普通に嫌いではない。少し好きよりにあるかもしれない。そこへ行けば友達がいるからだ。

特に今通っている城東学園は、気に入っている。県内でも有数の進学校であるくせに、生徒の自主性に任せた校風は、規則が緩く生徒と教師が友人のようにアットホームなのだ。

縛られていないような気がして、息継ぎがしやすい学校だった。

だけれどかつては登校拒否まで起こしかけていた自分がそんなふうに変われたのは、綸がいたからだとも思う。

「君達!!」

通算十五回目のシュートを言雪が決めたとき、河原へと降りる階段から男の甲高い声が聞こえた。楪葉はボールを追っていた目線を外し、声の方へと向ける。ちょうどライトの明かりがとぎれる位置に、小柄な男が立っているのがわかった。薄暗がりの中、ぼんやりと浮かぶその服装は、警察の物だ。誰かがチッと舌打ちした。巡回中の警察かなにかだろうか。ころころと転がってくるボールを拾い上げ、言雪が楪葉の隣に並ぶ。男はゆっくりな足取りでこちらへとやってきた。

「君達、今何時だと思ってるんだね?」

居丈だかな物言いで、男は光の中へと踏み込んできた。明かりに照らされた顔色は赤みを帯びた猿の尻のようである。ぎょろぎょろと動く目が、卑屈そうに他人の粗を探していた。

「子供がいつまでも外で遊んでいい時間じゃないだろ?帰って勉強でもしたらどうだね。」

言葉はそれほど激しくはないが、声音は上から弱者を押さえ込むような響きが込められている。

「帰りなさい。」

男はもう一度繰り返した。階段付近に溜まっていた少年達は、しばらくの間お互いの顔を見合わせてそわそわしていたが、結局男の言葉に動かされるようにして、草原に投げ出してあった鞄を手にとって、階段を上っていってしまった。広場には他にも大学生のグループがちらほらいたが、男はなんの躊躇いもなく楪葉達のいるバスケットコートに近づいてきた。

他にも高校生は広場に混じっているが、あいにくと制服を着たままなのは楪葉達以外に見受けられない。ちゃんと選別をしているという事だろう。そういうことがイヤらしい。楪葉達が未成年であることを知って、強い立場に立てるからこそ、男は近づいてくるのだ。

「最近女子高生の殺人事件も多発している。遅くまで遊んでいては親御さんが心配するんじゃないかね?」

ねっとりと粘着質にまみれた声音だ。楪葉は内心で身震いした。少年達は、押し黙って男を見た。彼は、警棒を右手に持ち、ひたひたと左手に打ち付けている。楪葉は酷く嫌な予感がして一歩、後ずさった。

「どうした、帰らないのかね?それじゃあ、悪い子だ。お仕置きが必要だねぇ。」

にやりと男は笑った。黄色いヤニばんだ歯が、ライトの明かりに照らされててかてかと光っている。

「おかしくねぇか?」

言雪が楪葉の耳元で囁いた。驚いてそちらを見ると、彼は睨み付けるように険しい表情で男を見ている。

「何が?」

「時間がだよ。まだ九時を過ぎてもいないのに、補導なんてさ。今までなかったじゃねーか。それに、お巡りの顔が違う。」

楪葉は、もう一度男の顔を見た。歳は三十をいくらか過ぎた頃だろうか。眉毛は太く、無精髭も濃い。その顔に全くの見覚えがなかった。

広場の近くには交番がある。そこに勤めているのは、昔からいる壮年の男で、気さくな性格をしていた。あまり遅くなりすぎなければ夜広場で過ごすことを咎めることはせず、繁華街で下手に犯罪に走るよりはよっぽど健康的で健全だとよく言っていた。だから、楪葉達はこの広場で遊ぶようになったのだ。

確かに違う。この男は、はるかに若い。楪葉は眉根を寄せた。怪しい。言雪の言葉を聞いた以上に、男が醸し出す雰囲気が、楪葉に何かを訴えた。

「おや、君達はもしかして城東学園の生徒じゃないか?だめだなぁー。そんな子たちが夜遊びなんて。先生がなんて言うか。ああ、そうか。君達は落ちこぼれなんだね。勉強に付いていけず、取り残された落ち零れ。」

くつくつと男は笑った。薄い唇を舐めようと、赤い舌が突き出された。その瞬間だった。男は突然、楪葉達に向けて警棒を振り下ろしたのだ。

「非行少年には体罰が一番だぁ!!」

「うわっ!」

風を切る音が耳の横を掠める。警棒はとっさの判断で左右に飛んだ楪葉と言雪の間を切り裂いた。

「私はねぇ、君達が憎くてこんなことをやってるんじゃないんだよぉ。これは、お仕置きなんだ。君達はぁ、ちゃんと躾ておかないと、平気で犯罪に手をそめるからねぇ」

濁った目が、うつろに笑んで見回す。おかしいという範疇を越えている。異常だ。

「こいつ、アブねぇ!」

誰かが叫び、蜘蛛の子を散らすように場が騒然とした。こちらの様子を窺っていたらしい他のコートの少年達も、状況を判断して逃げ出す。もちろん楪葉も言雪も逃げだそうと、身体を反転させた。前方にはコート同士を分けるための、丈の低い花壇が植え込まれている。

それを、勢いつけて飛び越えた。

「悪い子だぁー!悪い子だぁー!!」

口の端に泡を飛ばしながら男は追いかけてきた。背中に不気味な怒鳴り声がぶつかる。

どうやら相手を楪葉達に絞ってきたらしい。

「あいつ、ぜってーお巡りじゃねーぜ。異常者かジャンキーだ。ラリってやがる」

隣を走る言雪が切れ切れに言った。広場には身を隠す場所がいっさいない。何とか階段を駆け上がり、川原を出なくてはならないのだが、その階段を背に男がこちらに向かって走ってくる。

「って、どーするよ!階段上がらなきゃ、広場から逃げらんねーじゃんか。」

言雪は言葉の割には口調は余裕を感じられる。運動で培った体力と、生来の度胸の良さがそうさせるのだろう。楪葉はちらりと背後を窺った。男は今だ警棒を振り回しながら駆けてくる。

血走った目が、何とも恐ろしい。

(今日は絶対ついてない。)

走りながら楪葉はそんな事を思った。朝からかわいそうな子供の霊を視て、夜は頭のおかしな警察に追いかけ回されている。滅多にない出来事の連続に、まるで宝くじで一等賞に当たったのと同じくらいの配当だろうかと場違いにも思う。

「ユヅが綸さんの悪口なんていうから、こんな事になったんだ!」

川原に降りる階段は、北と南の端に一つづつしかない。北の階段の手前にあるのがバスケットコートだ。南側にはスケボー用のスペースの手前にあり、車が通れる程の広いスロープが一緒になっている。しかし、そこまで走り続けるには、かなりの体力が必要だと判断した。

「なんでっ。それはたんなる…・八つ当たりっ!」

最初に息を切らすのは、体力的に楪葉の方が早い。反対に男の方は今だスピードを緩めずに追いすがってくる。

 言雪は周囲に視線を走らせた。川原の右側はもちろん黒い水面をたゆらせている河だ。

なら、左側は。急な坂の土手になっており、コンクリートで固められている。

そこを駆け上がれば…・・。

しかし、登っている間にあの男は追いついてしまう。

そんな事を考えていると、急に足下をとられて言雪は転んでしまった。誰かが置き忘れた野球ボールがここころと転がる。顔から落ちるのを避けて突き出した両手に石礫が擦れて食い込む感触がわかった。

「言雪!」

驚いた楪葉が蹈鞴を踏んで振り返る。

「あはははははははは!!!!!」

背後で馬鹿げた笑い声が聞こえる。

「ユヅ、馬鹿、逃げろ!」

 しかし、楪葉は首を振った。慌てて言雪に駆け寄って助け起こす。彼が何を思ってそんな事を言うのかはわかっている。言雪の優しさは嬉しい。もし、自分が言雪と同じ立場だったなら、同じ事を言っただろう。しかし、ここで友人を置いて逃げるような事は、自分のポリシーに反する。苦楽は共にするというのが、楪葉のモットーだった。背中のすぐ近くで、何かが空を切り裂く音がした。言雪に肩を貸しながら背後を窺うために視線を走らせる、その瞬間楪葉は言雪を突き飛ばしていた。

「わっ!」

先ほどまで言雪がいた場所を、警棒が叩き付ける。黒い土が飛び散った。鼻先を泥臭い匂いが掠めた。

「ほーら、どうしたんだ?逃げないのかぁ?」

「っつ…。」

反対側に突き飛ばされてつんのめった言雪が、大きな悲鳴を上げた。

「馬鹿、ユヅ!急に人を突き飛ばすな!びっくりすんじゃねーか!!」

「助けてやったんだってば!」

「助けるってのは、もっと優しくするもんなだよ!」

文句を言いながらも、言雪は身体を反転させて立ち上がる。楪葉もそれに習って、体勢を立て直そうとしたその時だった。

警棒を勢いよく打ち付けたせいで、前屈みになった男の制服に目がいった。暗い濃紺の警察の制服。テレビや遠目では馴染みがありそうなそれは、実際に近くで目にするのは初めてだった。

その制服に赤黒い飛沫が散っている。

ほとんどが布の中に染み込まれて黒く染まっていたが、ごく少量が染み込まれる事はなく、ぬめぬめとてかりを帯びていた。

遠くでパトカーのサイレンが鳴っている。

それを、嫌に遠くの現実感の薄い出来事のように聞いていた。

(え…・?)

突然体の中を何かが下から上へと駆け抜けた。突風のような圧力を感じて、とっさに目を閉じる。急速な浮遊感。今まであった肉体という重みが消えたのだと気付いた。

その次に瞳を開けたとき、そこは灰色にくすんだ世界だった――――――。


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