女神④
「ところで、君は合気道ができるのね」
「そのプロフィールに書いてあるのか?」
「ええ、そうよ」
スタイルのいいサイコな自称女神が書類を自慢げにひらひらさせている。
「強い男は私好きよ。私知ってるわ、合気道のすごさ。合気道の師範に数人の弟子たちが立ち向かっていくと、師範は身をさっと小さく動かすだけで弟子たちがばったばったと倒されていくのよね」
「あれはパフォーマンスだぞ。実際はあんな戦いは無理だ」
夢を壊すようで悪いが、あれを信じてはいけない。そもそも女神なら嘘と真を見抜く力を持っていてほしい。
「え!? あれパフォーマンスなの!?」
そういうリアクションは純粋でかわいいと思うが、女神としては失格だろう。
「ま、まあいいわ。とはいえ君は格闘家。異世界は地球と違って魔物がいるから実力行使に出なくてはいけないことがあるのよ。その強さで相手をバンバン倒してちょうだい。先手必勝よ」
こぶしを握り締めて、言ってやったり的な顔をしているけど、このスタイルのいいサイコな自称女神、また勘違いをしているようだ。
「あの、女神さん……」
「何かしら?」
きょとんとした顔がかわいい。そんなことはどうでもいいが。
「いや、あの、その、俺は合気道を護身術としてやっていたから、先手必勝ってわけではないんだよ……」
「え、どういう意味?」
「俺は基本的には専守防衛で……まあいいや。とにかく、護身術として習っていたから、先手ではない。やられそうになった時に使う、カウンターみたいなものだ」
スタイルのいいサイコな自称女神はぽかんとしている。何なのこの女。
「え、じゃあ戦いを挑んだりしないの?」
「しない。戦いを避けるためにやっていた」
「オーマイゴッド」
女神ならそれを言うなと心の中で全力でツッコミを入れた。声に出さなかったのは幸助なりの優しさだ。
「さてはリサーチ不足だな?」
何に選ばれたのかはわからないが、ずいぶんずさんなリサーチのようだ。
個人情報を手に入れただけで満足してしまったのだろう。おそらく参考書を買っただけで勉強をした気になるタイプだ。
「そ、そんなことはないわ。君は私のお眼鏡に適った勇者よ」
「え、何? 勇者? どういうこと?」
転移の話を理解したばかりなのに、また新しい情報が入った。
「ラノベの異世界ものでは大体そうよ。大体の転移転生される者は秘められた力があるのよ。君にも授けるから楽しみにしていてね」
秘められた力ってなんだろう。人間は脳みその十パーセントしか使っていないと言われている。今持っているものも使いこなせていないのに、能力を授けられた方々はそれを使いこなせているのだろうか。
「なぜ勇者なんだ? 職業選択の自由はないのか? 公共の福祉に反しない限りで選択したいんだけれど」
「ないわ。異世界なんだから日本国憲法第二十二条第一項は適用されないわ。そもそも日本国憲法も国連憲章もないわよ。それに転移転生の相場は勇者って決まっているのよ。あ、でもそんなこともないか……最近は鍛冶職だったり、悪役令嬢だったりすることもあるわね」
ああ、確かにそうだよね、とはならない。鍛冶職は辛うじてイメージできるが、アクヤクレイジョウって何だ? 漢方だろうか。なんとなくだが、副作用が強そうな気がする。
「でもまあそれだったら勇者の方がイメージがしやすいかな」
「そうでしょ? ゲームでやったことあるでしょ?」
「どうだったかな? 俺が好きなのは三国志とか信長の野望とかなんだよな。あ、あとどうぶつの森とか……シミュレーションが好きだな。まあドラクエとかFFなら友達がやっているのを見たことはあるかな」
「なんでよ! 普通やるでしょ男なら!」
ジェンダー発言。まあ気にしないけど。
しかし、もしこのスタイルのいいサイコな自称女神がオリンピック競技大会組織委員会会長だったら、不用意な発言で辞任に追い込まれるかもしれない。危なっかしいな。
「リサーチしておけよ。転移だか転生だかなんだか知らないし、信じていないけど、それは俺で適任なのか? 大丈夫なのか?」
「だ、大丈夫に決まっているじゃない! 適任よ、適任! なんせ私が選んだんだから!」
その人選のセンスを疑っているのだ。適任だという根拠を提示してほしい。
「……」
「……」
「……」
「……」
しばしの沈黙。
「じゃ、転移を開始しまーす」
「お、おい! 気まずくなったからって急に始めるなよ!」
「はいはい。じゃあ行ってらっしゃーい」
「おい! だからまだ状況がよくわかっていない……」
幸助はだんだんと気が遠くなるような、眠たくなるような感覚に襲われる。
盲腸で手術をする際に受けた全身麻酔を思い出した。強制的に意識を飛ばされる感覚。
目の前がだんだん暗くなる。
「ばいばーい」
遠くでスタイルのいいサイコな自称女神の声が聞こえた気がした。