教え
「本当になんだったんだろうね」
あれから一週間が過ぎた。卵のなくなった今関係性を続ける理由はなくなったはずだが、相変わらず立川は俺のもとへ毎日訪れていたし、俺自身もそれを不快には思わなかった。
一体あれは何だったのか。今となっては分からない。
『オカアザン』
だが確かに彼は立川を母と呼んだ。母と認識していた。説明のつかない存在ではあったが、確かな事実だけは残り続けていた。
「分からん」
そうとしか言えなかった。
「……なんか、外騒がしくない?」
「ん? そうか?」
耳を澄ませた。すると確かに人の騒ぎ声がする。静かな場所であまり普段そういった声がする場所ではないのだが、確かに騒がしい。
俺と立川は家の外に出た。声のする方に向かおうと思った時、異変に気が付いた。
「……おい、あれ見えるか?」
立川に尋ねた。立川はじっと立ち尽くし空を見て頷いた。
「なにが、起きてるの……」
空を何かが大量に羽ばたいていた。それは鳥よりも遥かに大きかった。そしてそのシルエットは翼を生やした人間の姿をしていた。そしてそいつらは地上に一斉に降り注ぎ、そこから阿鼻叫喚が響き渡っていた。
遠くからしていた悲鳴はどんどんと大きくなっていた。逃げなければ。俺は立川と走り出した。
当てもなく走り出した。しかし走っても走っても四方から悲鳴が轟いていた。空からは奴らがとめどなく降り続けていた。
あの姿を知っている。
あれは、卵から出たあいつだ。
あいつが、あいつがきっと全てを引き起こしている。
「ひっ」
地上でやつらは人間を襲っていた。手にした刃で無感情に作業的に人間を殺めていた。泣けど喚けど、女子供老人関係なく無残に命を壊し尽くしていた。
へたりと横で立川が崩れ落ちた。
「おい、しっかりしろ!」
しかし彼女は立てなかった。まずいこのままでは自分達も殺される。
ばさっ。
そう思った矢先、目の前にそれが降り立った。
「お前……」
いや、違う。こいつは、あの子だ。
「お母さん」
彼は言葉を発した。あの時とは違う。明瞭な発音と透き通った声だった。
ゆっくりと近づいてくる。手には鋭利に光る銀色のナイフのようなものを持っている。
殺される。
「立て! 早く!」
しかし立川は立ち上がれなかった。彼女をなんとか起こそうと必死になったが、その時自分の肩の上に彼の手が乗った。
「どいて」
ぐっとそのまま後ろに引かれた。凄まじい力で俺は後ろに飛ばされた。
「がっ……」
身体を起こすと、立川と彼の距離はもう腕を伸ばせば届く距離だった。彼は立川の前に屈んだ。
「お母さん」
再び立川を母と呼んだ。その表情は無のままだ。
「いらないものは、捨てていいんだよね」
無感情な声。そして次の瞬間、彼は手にした刃を立川に何の遠慮もなく振るった。
何度も何度も。彼女が悲鳴をあげる事も許さぬほど、無残に残酷に切り裂き、滅多刺しにした。
いらないものは、捨てていい。
立川は、あいつを捨てた。いらなかったから、捨てた。
産まれ落ちた段階で、あいつは意識を持っていたのだ。母の言葉を、想いを知っていた。
そしてそれを、教えと捉え学習したのだ。
あいつは、教えに従ったのだ。
あいつにとってこの世は必要のない、捨てていいものだと。
「はは」
乾いた笑いが漏れた。ただ立川が惨殺される姿を見ている事しか出来なかった。
やがて事を終えた彼は俺の方に向かって歩き始めた。
俺も終わるのか。もともと終わっているような人生だ。終わりなら、もうそれでいい。
彼が俺の前に屈んだ。
まるで人間だった。天使のように美しく整っていた顔が目の前にあった。
「いらないもの、壊して捨てたよ」
そう言って、彼は俺を抱きしめた。
そこで俺ははっとした。
違う。立川じゃない。
俺だ。俺の教えだ。
自分は社会に、世界に殺された。
壊され、ボロ布のように捨てられた。
『いらねえ奴は、簡単に壊して捨てられるんだよ』
おそらく独り言のように俺は何度も呟いていた。それをこいつは聞いていたんだ。
これは、俺のせいだ。
「いらない。いらない。いらない」
「……はは。はははは」
そうだ。いらない。こんな世界いらない。
壊れろ。壊して捨ててしまえ。
「はははははははは! ははははははははは!」
世界が終わる音を聞きながら、俺はいつまでも笑い続けた。




