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 女の話はまさに荒唐無稽だった。

 女は立川たてかわと名乗った。年齢は三十八で独身。くだらない身の上話がだらだら続きその部分はどうでもいいと思いあまり真剣に聞かなかったが、ある日自分の腹が急に大きくなり出したと言う。最初は食べ過ぎで太ったのかとでも思ったが、明らかに自分の腹に何かがいるという感覚があった。

 男性と事に及んだなんて事もないので、妊娠なんてするはずもない。ひどく混乱し色々自分でも調べてみた。一番可能性として考えられるのが想像妊娠だった。実際に子供を宿していなくてもまるで妊婦のように腹が膨らむ事は現実にあり得るという。子供を切望していたわけではないが、どこかでそういう思いがあったのだろうか。想いが歪み脳が誤った信号を身体に送ってしまった。そういう事なのかもしれない。

 だが腹は膨らみ続けた。いよいよどうしていいか分からず産婦人科に駆け込んだ。しかしそこで下された診断は、実際に妊娠しているという結果だった。


 立川はひどく混乱した。腹の中に何がいるのか。調べてみるとそこには人間らしきものが宿っていた。この人間らしきという表現は彼女が通っていた産婦人科の医師の言葉だと言う。


『極めて形状は人間に近いが、人間と断定する事は出来ない』


 それが三田みたという医師が口にした結果だった。

 立川は悩んだ。今すぐに腹を掻っ捌いてでも摘出してもらうべきかとも思った。不安と恐怖に苛まれながら自分が出すべき答えも分からず悩んでいる矢先に陣痛が来た。

 そして、彼女は卵を産んだ。 


『どうする? 私はあなたの選択を尊重する』


 三田の言葉は患者を思いやるほどの温かさはなかった。ただ、何があっても肯定も否定しもしないという姿勢だった。

 率直に立川は思った。


“いらない”


 自分の身体から出てきた膜に覆われた何かの命が宿った卵。そんなものの面倒を見れる気がしなかった。


 そして彼女は卵を捨てた。

 

 そう、その卵こそ俺が拾ったものだったのだ。

 これは今目の前にいるこの女が産み落としたものなのだ。


「頭がおかしくなりそうだ」


 とんだ妄想話だと一蹴したかった。だが実際に今ここに卵はある。彼女の話がもし妄想だったとしても、卵は実際にここにあるのだ。彼女がそんな嘘をつく必要性も感じられない。この女が言っている事はおそらく本当なのだ。


「本当に偶然でした。橋の上からあなたが何かを拾い上げるのを見た時、私はすぐにそれがあの卵だと分かりました。失礼なのは承知していますが、それから卵の事が気になって、度々見に来ていました。本当にすみません」

「不法侵入だが、ホームレス相手じゃ罪には出来ねえだろうな」

「あなたは、どうしてそれを捨てずに育てているのですか?」

「それは……」


 愛着が湧いたから、なんて正直に答えられるはずもなかった。自分だけの事だったから良かった答えだが、人に言うにはあまりに恥ずかしく気持ちの悪い答えだ。


「あの、今更ですが、私も一緒に見守ってもいいですか?」

「……はあ?」


 立川の申し出に私は思わず間抜けな声をあげてしまった。


「勝手な事を言っているとは思います。ですが、ここまで大きくなったそれを見て、やはりその子は産まれてくるべき命なんだと思うようになったんです。一度は捨ててしまった命ですが、あなたにまで迷惑をかけてしまった。これは私の罪滅ぼしのようなものです。どうか、認めてもらえませんでしょうか?」


 立川は深々とお辞儀をした。


「見守るっつっても……」


 そんな大層な事をしてきたわけではない。ただ傍に置いて温めて置いているだけだ。別にこいつに何かしてもらう必要もない。

 だが、深くお辞儀をしたまま顔をあげない立川の姿は、認めてもらえるまでここを離れる気はないと言った気持ちが感じられた。もし今断って一旦帰ったとしても、またこいつはここに来るだろう。本当に面倒な事になった。


「……分かったよ」


 そう言うと立川はばっと顔をあげた。


「あ、ありがとうございます」


 そしてまた勢いよくお辞儀をした。


 ――さて、どうしたもんかね。


 こうして俺は立川と卵を見守る事になった。


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