夏島008
「酷いじゃないか真ちゃん!!」
店に入るなり受けた第一声。
いらっしゃいませ、より先に言う言葉がそれか。
いや、俺は客じゃないんだけど。
昔からよくつるんで遊んでいた悪友、榊原隼人は俺の前に立ち塞がり入り口を塞いだ。
隼人と知り合った時も色々とあったけど詳しくは割愛。
「酷いって、何の話だよ」
「昨日! 悠と! 二人で! 企画!」
「カタコトな日本語を喋る外国人かお前は」
「くぁwせdrftgyふじこlp!!」
「いや、怒ってるのは分かった悪かった。ただ日本語を喋ってくれ」
何を言ってるのか全く把握できない。
悠と一緒に企画を手伝ってくれているのはコイツだ。
ただまともな企画を一度として出してきた記憶がない。
コイツのAVみたいな企画の件で悠にネタにされるし散々だったな。
……あれ? 俺の回りまともな奴いなくない?
なんか涙出て来た……。
「うわっ! 急に泣き出してどうしたんだ真ちゃん!」
「なんか、悲しくなってな」
「大丈夫? おっぱい揉む?」
「揉む胸がねぇだろ」
そもそもお前のせいだよ。
「残念だぜー、筋肉ならもっこり付いてるのにー」
「そんなもんいらん」
「ひっでぇのー。んで、結局何か決まったの?」
「ちょっとだけ進展した。後で話すよ」
入口を塞いでいる隼人を退かして中に入る。
お店の中にマスターの姿がない。
暫く見回してみるがカウンターの影から出てくる様子もなかった。
「マスター、今日はいないのか?」
「いんや、ちょっと出かけてくるとさ。暫くしたら帰ってくると思うよ」
俺のバイト先はマスターである宮野国康さんが趣味で始めた喫茶店だ。
コーヒーと料理が好きで、始めたのが切っ掛けで島では顔なじみの溜まり場みたいになっている。
夏休みに入ってからは毎年ここでバイトをさせて貰っている。
結構自由なところもあるので気楽に働けるいい職場だ。
そもそもマスター自体結構な自由人である。
「着替えてくるわ」
「いってらっしゃーい」
「へぇ~、それでこの間は霊に話しかけられて5分31秒も遅刻しちまったんだ」
「なんだよその秒単位までの正確な数値は」
「愛ゆえに成せる業さ」
「なにそれきもい、二度と口にするな。あの時はマジでヤバかったんだよ」
「くくっ、首絞められて気絶しかけるなんて鍛え方がなってないな。見よこの筋肉!」
腕の力こぶを見せてくる。
いや、首を絞められたと言っているのに腕の筋肉を見せびらかされてもな。
幽霊相手に腕力でどうにかなるとも思えない。
「どぉだぁ! この筋肉! 鍛えてるんだぜ?」
「はいはい、すごいすごい」
「惚れたか?」
「惚れるかあほ」
隼人といい悠といい俺はつくづく変態に好かれるタイプらしい。
「おれは変態じゃないぞ真ちゃん!」
「なんでお前らサラッと人の心読むわけ?」
超能力者かよ。
「おれの愛は友情の情だぜ?」
「ややこしいんだよ」
だったら最初から友情の成せる業だと言ってくれ。
友情だか愛情だか言葉がごちゃごちゃする。
……いや、友情だろうが成されるのは嫌だ。
「友情は愛情に勝るかもしれないだろ?」
「どうだかな」
友情より愛情を欲してる奴もいるみたいだし。
悠の顔を思い浮かべる。
にへらぁと笑いキスを求めて突っ込んできたのでハリセンで張り倒しておいた。
妄想の中の悠が、ひどぉいっ! と言って消えていく。
「そんなことよりさ―」
「なんだ?」
「あの子、可愛くない? だよな―、可愛いよな―」
「まだ何も言ってねえよ」
まぁ、否定はしないけど。
真一の指差した先にコーヒーを注文し、窓際で本を読んでいる女の子がいた。
口元に指を当て何かを考えながら読んでいるのか、その仕草が妙にしっくりくる。
初めて見るお客だ。
あんなに可愛い子が店に来ていたらさすがに覚えているだろう。
恥ずかし気もなくそう褒められるほどに可愛い子だった。
さすがに言葉に出すのは躊躇われるけど。
「あの子には高貴なイメ―ジがしっくりくる、お嬢様という言葉が似つかわしいよな」
「お前、その言葉何度目だよ」
それを隼人は恥ずかしげも無く口にする。
ある意味羨ましい性格だ。
見習いたいとは思わないけど。
「おれ、ちょっとあの子を口説いてくるよ」
「聞いちゃいねぇ」
隼人が嬉々としてその女の子に近づいていく。
ちなみにナンパをするのはあの子で三人目だ。
何故だろう。
敗戦の匂いしかしない。
「ねぇ、君、なに読んでるの?」
声を掛けられたその子は一瞬だけ隼人に視線を向けて、また読書に戻った。
全身から私に話しかけないで、というオーラが感じられる。
しかしその程度では隼人はめげない。
アイツにしてみれば越える山がでかいほど燃え上がるんだそうな。
なかなかチャレンジャーな奴だ。
「………あれ?」
何だ今の?
女の子の体が一瞬ポウッと光ったような……気のせいか?
目を擦って確かめてみるがそんなものは見えない。
やっぱり気のせいだったようだ。
日差しの加減でそういう風に見えたのかもしれない。
それとも昨日の夜更かしの影響がここにきて出て来たか。
なんにしても見間違いだろう。
「おれも最近読書にはまってんだけどさ、何かオススメの本とかないかな」
無論、嘘だろう。
ついほんの数十分前までコイツは釣りにはまってると言ってたし、その数十分前にはサボテン大好きとか言っていた。
口説く女の子に合わせて話題を変えているんだろう。
結局前の二人は話は盛り上がったものの両方とも彼氏持ちだったようだけど。
あの子はどうなんだろうか。
なんとなく事の成り行きが気になり見守る。
いつもならここまで気になることは無いんだけど、なんでだろうか。
「うるさい」
「え? あぁ、ごめんね。確かに読書中に話しかけられたらうるさいよね、でも君可愛いからつい話したくなっちゃうんだよおれ。この気持ち、分かってほしいな」
「話すことなんて何もないんだけど、うるさいから消えて」
うわー、バッサリだな。
話しかけただけであそこまで言われてる隼人は始めてみた気がする。
一蹴されて肩を落として帰ってきた。
「祝、惨敗ってとこだなっ」
「祝うなよ!」
「乾杯しようぜ!」
「しないよ! あ~あ……こんなに手応えがないのは初めてだ」
「これに懲りたらもうアルバイト中にナンパはすんなよ?」
「それは出来ない相談――……って、え……?」
急に割って入ってきた第三者の声。
「出来ない相談みたいですよ、マスタ―」
「そうか、残念だ」
「マ、マスタ―!? いつから来てたんすか!?」
「ついほんの今しがただ。お前があの子にルパンダイブしてた辺りからかな」
「してないだろ!」
マスターは、はっはっはと爽快に笑って隼人の背中を叩いた。
「まぁ、いいけどよ榊原、アイツを落とすならそれなりの覚悟が必要だぜ?」
マスターはさっきの女の子を親指でくいっと指して笑う。
「どういうことですか?」
「アイツはオレの娘だ。名前は翠ってんだけどな」
「ええええええええええ!?」
隼人が目を向いて驚く。
俺も同じくらいに驚いていた。
マスターはどうみてもダンディという言葉が似合う男だ。
髭とタバコが妙に似合うオジサンだと思う。
そのくせに何故かエプロンも似合っていた。
しかしどう見てもあの女の子には似ていない。
はっきり言ってあの子がもし本当にマスターの娘なら、外見の遺伝子は何一つとして受け継いではいないんじゃないかと言っていいレベルだ。
というかマスターって既婚者だったんだな。
そもそもマスターの奥さんってどんな人なんだろう。
あんな可愛い娘さんが生まれてるってことは相当な美人なんだろうな。
「マスターの奥さんってどんな人なんすか?」
今まさに考えていたことが隼人の口から発せられて少し驚く。
けれど、そんなことよりも俺の意識はマスターの返答に向いていた。
確かに気になることだ。
マスターはバツが悪そうに頬を掻くと、視線を女の子の方に目を向ける。
「そりゃもう大層なべっぴんさんだったな」
ニッと笑って少し自慢げに話すマスター。
けれど、その言葉に少し引っ掛かりを覚えた。
「だったってことはもしかして……」
「亡くなったよ、3年前にな」
「すみません。悪いこと聞いてしまって」
「なぁに、気にすんな、人間生きてりゃ死ぬさ。早いか遅いか人それぞれってだけだ」
煙草を取り出して咥えた。
その姿は思ったとおり似合っている。
火を着けかけたマスターの腕を止めた。
「んぁ? なんだ羽柴」
「マスター、煙草やめるんじゃなかったんですか?」
「あー、そういやそうだったな」
ポリポリと頭を掻いてタバコをポケットにしまった。
その視線が一瞬翠ちゃんの方に向けられる。
俺も見てみると睨むようにジッとこっちを見ていた。
マスターは逃げるように視線を逸らしている。
なるほど、止められてるわけね。
その一幕だけでマスターが娘の尻に敷かれているだろうことを理解出来た。
「二人とも、オレ今日はちょっと出掛けるから頼むぞ。何かあったら携帯に電話してくれ」
「戻りますか?」
「いや、戻らねえ、店は閉めといてくれ」
「分かりました」
頷いて投げてきた鍵をキャッチした。
きっとコーヒー好きの仲間と何か約束があるんだろう。
マスターが店を俺達に任せて出掛けるときは大抵がそうだ。
「いってらっしゃい、マスター」
マスターが店を出て入れ替わりにお客が入ってくる。
「お前はいつまで凹んでるんだよ」
隼人の背中を叩くと、はぁ、と溜め息をついた。
「いや、だってよぉ。明らかに聞いちゃいけない部類の質問だっただろ?」
「お前が聞かなきゃ俺が聞いてたよ。とにかく客だ、対応してこい」
「りょうかぁい……。いらっしゃいませー」
気を切り替えさせて応対に向かわせる。
放っておくといつまでも凹んでるからな。
体型に似合わず意外にセンチメンタリズムな奴だ。
俺はとりあえず洗いの処理を始めるか。
「おっ、君可愛いね~」
スポンジを掴みかけたところで聞こえた声の方に目を向ける。
そこはさっき隼人が声をかけていた翠ちゃんの席だ。
まだ会計をすませていないのできっとまだそこにいるだろう。
青年がナンパしていた。
翠ちゃんは見るからに迷惑そうにしている。
度が過ぎるなら止めないといけないな。
一応警戒しておくか。
「…………うるさい」
「そんなこと言わずにさ~」
暫くしてまた様子を見ると人数が三人に増えていた。
あれじゃナンパじゃなくて脅しに近いんじゃないか?
やはり警戒していて正解だったようだ。
「真ちゃん」
「分かってるよ隼人。よく我慢したな、成長してるじゃないか、偉いえらい」
昔の隼人なら初っ端に出ていって正当性も何もなくボコボコにして叩き出してたからな。
ナンパをするなとは言えないので、要はその限度を弁えて貰うという形が取れればいいわけだ。
注意をして、それでも聞かないようであるならば、その時また考えよう。
「よし、いってこい、隼人」
「よっしゃあ!」
無い袖を捲り上げて隼人は意気揚々と出陣していった。
「お客さん、お嬢さんが嫌がってますのでその辺にしない?」
「ああ? もうすぐオッケー出るから引っ込んでろよ」
三人の中の一人。長身の青年が隼人の前に立ちはだかる。
「これ以上続けられると他のお客さんにも迷惑だからさ」
「だからもう少しだっつってんだろ」
今度は小太りの男が並び立った。
「まぁ待てお前ら、要は他の客に迷惑が掛かんなきゃいいんだろ? だったら話は簡単だ、外に出ればいい」
そう提案したのは細目の青年だ。
三人の中ではリーダー的存在なんだろう。
ここにズッコケ三青年組と名付けよう。
いや、名付けてる場合じゃない。
結構やばい状況だぞアレ。
「じゃあ行こうぜ」
細目の青年が翠ちゃんの腕を引っ張る。
「痛っ……は、放してっ……」
「あ? なんだって?」
「ひっ……」
マズいな……精神的にかなりやられてる。
凄まれて黙り込んでしまい少し青い顔で視線を落としていた。
あのままだと連れていかれてしまう。
店の外に出られて手が出せなくなるのはまずい。
……賭けるか。
幸い俺はアイツらに見られていない。
エプロンを外してそっと死角から入口に回る。
そして、少し大きめに入口のベルを鳴らした。
「おい、客だぜ店員さんよ」
これ幸いと青年たちがこっちを示してくる。
その様子から見るにどうやら俺が店員だとは気付かれていないみたいだ。
店内の視線がこっちに向けられるが、幸いにもいま店内にいるのは知り合いが多い。
俺のすることにわざわざ口を出してきたりはしないだろう。
そして、周囲を見回して探している風を装った。
グルリと見回すと、隼人が俺のしようとしていることを理解したのか他のお客にするように応対に来た。
「いらっしゃいませー。お一人様ですか?」
「いや、待ち合わせを……」
言いかけて、男たちの方に視線を向けてわざとらしく叫ぶ。
「おっ、いたいたっ、おーい、翠っ」
呼ばれた翠ちゃんが驚いてこっちに振り替える。
そのまま何かを話しだす前に近くまで寄って話し始める。
とりあえず今は周りはスルーだ。
「悪い、待たせたな、本当に遅くなってごめん。じゃあ行こうぜ」
俺は男たちから死角になるように立ち、翠ちゃんに店の名札を見せ店員であることを知らせる。
それで悟ってくれることを願った。
ここで話を合わせて貰えなければ全て無駄だ。
「……遅い」
ふいっと視線を反らして本に目を落とした。
その一言にとりあえずホッとする。
どうやら上手くいったみたいだ。
青年たちが視界から消えて落ち着いたのか顔色も良くなっている。
「悪かったってっ、何か奢るから、機嫌直してくれってっ、な!」
「お兄さんお兄さん、ちょっとちょっと」
声をかけてきたか。
彼氏持ちであることをアピールすれば諦めるかとも思ったがどうやら一筋縄ではいかないらしい。
後ろから肩を叩かれて振り返る。
「……何か?」
「お兄さん、その子の何?」
「彼氏ですけど」
「あーそー、じゃあちょっと彼女さん貸してくれない?」
「はぁ?」
貸す? 何言ってんだコイツ。
「ちょっと何言ってるか分かんないです」
「ああ? じゃあ分かりやすくしてやるよ!」
振るわれた小太りな青年の拳を間一髪で避ける。
「あ、危ないじゃないですか!」
「よく避けたな。だが次は無いぜ」
「何するんですか、急に!」
今度は長身の青年が前に出る。
「お前にこの子は合わないの。だから俺たちが遊んでやるの。オーケー?」
遊ぶ……コイツら……。
「…………はぁ」
大げさに溜め息をついて翠ちゃんの手を掴む。
「出よう」
気が変わった。
こいつらにはキチンと考えさせる必要がある。
「え、あ……」
戸惑っている翠ちゃんの手を引っ張ってそのまま出入り口に向かった。
「待てよ! なに逃げてんだテメェ!」
「まぁまぁ落ち着いてお客さん」
隼人がワザとらしく宥めるように邪魔に入ってくれる。
どうやら考えていることは俺と同じようだ。
「店員さん、また来る。付けといてくれ」
「はい、かしこまりましたー、よろしくどうぞー」
その一言を店を任せることへの了承と受け取ってその場を立ち去った。