夏島004
「なに、探してるの?」
再度、念を押すように尋ねてくる。
関わったらダメだ。
悠の言葉が頭を巡る。
「……ねえ、なに探してるの?」
一歩、詰め寄って来る。
このまま無視をしていていいのか?
悠は関わるなと言ったけど、話しかけられている以上関わっているようなものだろう。
だとすると無視は怒りを買うんじゃないだろうか。
そう思い直して女の子をちらりと確認する。
この子はどうしてこんなところにいるんだろう?
……いやいや、そんな疑問を持ってどうするんだ。
考え直すように目を閉じてふと思う。
そうだ! 少しだけでも時間を稼げれば悠が来てくれる筈。
沈黙を決め込もうとした口を開いた。
少しだけなら、俺にも時間稼ぎは出来る。
「えっ……と。俺は、別にー、何も、探してないよ」
少しでも時間を延ばそうと何度か言葉を区切る。
「そうなんだ。わたしは探してるの」
「探し、てる?」
「うん、でも見つからないの。ネェ一緒ニ、サガしてくれない?」
女の子の声が一瞬歪んだ気がした。
水中を通したような声にゾクリとする。
もう顔を見ることすら恐ろしく感じた。
「こっち」
手を取られて思わず息を呑む。
その手は信じられないほど冷たかった。
まるで氷のような冷たさが、この子の体温として手に伝わってくる。
そして、抵抗を許さない強い力。
無理矢理引っ張られて転ばないように前のめりになりながらなんとか着いていく。
この小さい体のどこにこれほどの力があるんだろうか。
引っ張られた先は女の子が座っていたテトラポッドの間だった。
「ここにあるはずなんだよ、でもないの。いくら探しても見つからないの」
砂を掻き分け始める女の子。
けれどいくら掘っても後からあとから白い砂があるだけ。
そこに何かが埋まっているような形跡すら見られない。
「ねぇ……どうして見つからないの?」
揺れる瞳は今にも泣き出しそうにも見えた。
その表情に心が揺らぐ。
「何を――……」
聞いてはいけない気がした。
これ以上関わることは命すら危ういことだと全身が警笛を鳴らしている。
だけど、聞かずには居られなかった。
俺の中の何がそうさせたのかは分からない。
知らないことを知りたがる人間の本能だろうか? それとも俺の単なる好奇心だろうか?
それとも俺の意思ではなく、或いはこの子の力なのかもしれない。
恐怖に支配され、質問を強要されてるのかもしれなかった。
分からない、何も分からない。
ただ理由が例え何だったとしても、それは救いようのない愚かな行為だった。
「何を…………探してるんだ?」
喉に引っかかっていた言葉がズルリと口から出てきた。
いや、引っかかっていた訳ではなく、最後に残っていた理性が引っ掛けていたのかもしれない。
もう、それも分からないことだ。
俺の問いかけに女の子はピタリと固まる。
一瞬の静寂の後、ぐるりとこちらに顔を向けた。
そして、見開いた目でこちらを見据えた。
猫のような細い瞳孔。
鮮血のような赤い瞳。
揺れていた瞳が今度は真っ直ぐに俺を捉えている。
まるでその言葉が全てを動かす鍵だったかのように女の子は体を揺らして不安定に立ち上がった。
「ワタシ」
ポツリと告げた。
声が歪みノイズが走る。
「っ…………」
ある程度予想はしていたとはいえ、女の子の形相に思わず一歩後ずさった。
その様子を見てかどうかは分からないが、女の子は俺の方に歩いてくる。
「ワタシだよ……あそこにいるハズなの」
後ずさる俺に段々と距離を詰めてくる女の子。
まるで語るようにポツポツと言葉を溢しながら詰め寄って来る。
「ぜっタイにあそこナンだよ」
声にところどころノイズが走り、ひどい頭痛がした。
声を聞くたびにそれが酷くなる。
「マチガイなくあそこでシんだノ。でもいないんだよ。ワタシいないの。イないの。ドウシテ?」
やめてくれ……!
これ以上何も言わないでくれ……!
俺に何も問いかけるな……!
「ぐっ……ぅ……ぁ……」
「オカシイでしょ? オカシイよね? オカシインダヨ」
捲くし立てるように話し始める女の子。
頭痛とノイズによる耳鳴りで、今にも意識が飛びそうだった。
女の子との距離はもう一歩もない。
ふわりと、女の子の体が浮いた。
その白い腕がゆっくりと伸びてくる。
「どうして!? どうしてないの!?」
「っ!?……ぐぁっ」
胸倉を掴まれてそのまま砂浜に押し倒される。
俺に馬乗りになった女の子はグルリと目を向きヒステリックに叫びながら掴んでいる腕を押しつけてくる。
胸を圧迫されるような感覚。
けれどそんなことをされずとも、呼吸なんて忘れていた。
もう一言も喋れそうにない。
思考もままならなかったが、女の子の力が急に緩んだと同時に嘘のように頭痛が消えて、飛びそうだった意識が急速に戻ってくる。
「ねぇ……どうしてだか分かる……?」
急に大人しくなった女の子がポツリと疑問の言葉を口にした。
他の誰でもない俺に向けて。
少しだけまともになった思考を働かせて考える。
この返答に俺の命がかかっているだろうという予想にきっと間違いはない。
慎重に答えを探す。
もはや時間稼ぎではなく生き残るための返答を探した。
いや、探すまでもなく結論は出ている。
テトラポッドの間。
この女の子がいつ死んだのかは分からないけれど、それでも昨日今日の話じゃないだろう。
そしてあの場所は潮が満ちれば海に沈む。
そこから結論を導き出せば答えは一つしか出てこない。
けれど、それをこの子に告げていいものか。
それが俺には分からなかった。
「分からない……?」
女の子の顔が翳る。
悲しそうに目を伏せて、ギュッと唇を引き結んだ。
「きっと――……」
そんな表情を見て、俺の口は自然と動いていた。
真実を伝えようと。
そうすればきっと成仏してくれるだろうと、期待を抱いて。
「きっと、あなたの大切な人が見つけてくれたんじゃないかな?」
そんな俺の思考を打ち消すように頭上から声が聞こえた。
女の子がまたピタリと動きを止める。
驚いたように目を見開いて、口を半開きにした状態で固まった。
「そう……かな……?」
「うん、きっとそう。だから、貴女も早くお行き」
女の子の疑問に、悠は迷いなく優しい言葉を続ける。
それが有る筈のない幻想と分かっているはずなのに。
その幻想を女の子に押しつけようとしている。
「そっか…………」
言葉を聞いて、女の子は破顔した。
嬉しそうな年相応の笑顔を見せる。
「そっかぁ……嬉しいなぁ……よかったぁ」
スウと、女の子の体が透き通っていく。
消える間際にありがとうと小さく溢し、女の子の姿は完全に消え去った。
残るのは静寂。
そして、何とも言えない脱力感。
両手を砂の上に広げて大の字の状態。
背中が砂だらけになっていることは分かっていたけど、起き上がる気力が湧かず目を閉じた。
風が、心地いい……。
「えいっ」
「おぐぁっ!」
悠の声と共にお腹にドスンと重みを感じる。
何事かと考えるまでもない。
俺のお腹の上に座ってやがる。
「お前な…………」
文句を言おうと顔を起こして悠の表情を見る。
悠も文句を言いたそうな顔でこっちを見ていた。
更に俺に思い当たることがあるので逃げるように視線を反らし、上げた顔を砂の上に落として空を見た。
空が、青い……。
「えいっ」
「おぶふぉっ!」
再度、今度はさっきより強くのしかかってくる。
肺の空気が抜けそうだった。
いや、全部抜けた。
「お……ま……えな……」
掠れる声を絞り出す。
そこまでしても悠の不機嫌な様子は変わらない。
当たり前だ、関わるなと言われていたのに関わってしまったんだから。
それは悠にとって許せないことだろう。
勿論、邪魔をしただとかそんな理由じゃない。
悠は俺の身を心配してくれていたからこそ怒っているんだ。
悪いのは全面的に俺。
弁解の余地などどこにもなかった。
「…………ごめん」
空を見上げたまま悠に謝る。
返事はない。
「ちょっとだけなら大丈夫だと思った。反省してる」
続く言葉にも返事はない。
だけど、溜め息が聞こえた。
呆れた風なものではなく安堵するような、そんな溜め息だった。
「本当に反省してる?」
「してる。すごく」
「一応聞いておくけど、真くん何を言おうとしてたの?」
「え?」
「あの子に。何を言おうとしてたの?」
「あー……」
俺があの女の子に言おうとしていた言葉。
それは、悲しい妄想。
今にして思えば、どれだけ真実味を帯びていても真実が分からない限り俺の考えは妄想だ。
そして、女の子にとって受け入れたくないであろう言葉。
「君の体は、海の中だって言おうとしてた」
「やっぱり…………」
悠は呆れたようにポツリと言った後。
思いっきり息を吸い込んで。
「バカ!!!!」
そして叫んだ。
俺に向けて、この至近距離での怒声。
耳を付くような声を俺は甘んじて受ける。
受けざるを得なかった。
「もう、バカ! ばかばか、ホントにバカ!! そんなこと言ってたら真くん今頃あの女の子と一緒に海の底だよ!」
「……あ」
そんなこと考えもしなかったが言われて気付く。
そうだ、あの子は自分を探していたんだ。
成仏出来ないほどの執念を持って。
そんな相手に海の中にあるなんて伝えたらどうなるか、考えればすぐに分かりそうなものだった。
きっと俺もつれて探しに行こうとするだろう。
「どうしてこんな危険なことするのっ? 真くんの身に何かあったら……っ! あったら……っ……」
悠の声が震える。
俺の胸元に顔を埋めてその肩を震わせた。
宗玄さんのことを思い出させてしまったんだろうか。
だとしたら最悪だ。
俺が泣かせてしまった。
そう考えると、さらに最悪な気分になった。
「ごめん……悠」
悠の頭に手を置いて撫でる。
「もうしない」
口から出たのはまるで真実味のない言葉だった。
その上、現状では説得力もあるかどうかさえ怪しい。
だけど、俺はそれ以外の言葉は浮かばなかった。
言い訳を並べ立てたところで所詮は言い訳に過ぎない。
相手に信じられても、根本的な解決にはならないからだ。
だから俺は悠の言葉を待った。
「……………すん」
鼻を啜る音。
やっぱり泣かせてしまっている。
「…………すんすん、くんくん」
…………ん?
今、泣いてるにしてはあり得ない擬音が混じったような気が……。
いや、気のせいだ。あり得ない。
こんな状況だ。
俺の耳がおかしくなったのかもしれない。
さっきまでノイズが聞こえていたくらいだ。
そんな幻聴が聞こえてもおかしくはない。
「すんすんすん、くんかくんか……すぅぅう……はふぅぅぅ……」
俺の胸に顔を押し当てて思いっきり深呼吸をしている変態が一名。
すりすりと頬を寄せるその顔は恍惚に満ちていた。
「この匂いをもう感じられないなんて、そんなことっ……そんなことぉんぅぅぅ……」
俺は天高く拳を突き上げる。
目標は真下、捕捉完了。
「悠」
「うゆううぅぅぅぅ…………う?」
名前を呼ばれてトリップ状態から戻ってきたのか、胸から顔を上げた悠の表情が凍りついた。
俺は無言でにっこりと微笑む。
「ニコッ」
悠もこれ以上にないくらいの笑顔を見せてくれる。
最期に相応しい可愛い笑顔だ。
その顔から汗が滝のように流れ落ちていることなんて気にさせないほどに、いい笑顔である。
そう、別れる時はいつでも笑顔でいよう。
俺はその最高の笑顔を見て。
容赦なく頭部に握った拳を振り下ろすのだった。