祝福
広すぎず、狭すぎず、程よい広さの部屋。
光が射し込むこの部屋には、伝統模様が施された紺色の絨毯が敷かれており、見る者に落ち着いた印象を与えている。
家具や調度品も素朴な作りで、全体的にこざっぱりとした部屋だ。
だが、決して粗末なわけではない。全てにおいて品がいい。
リディの上にかけられている寝具もそうだ。軽くて柔らかい素材である。
事実リディが慌てる度に、彼の動きに合わせて布団が軽やかに動いている。
ただし、リディの動きが緩慢かつ大振りで、布団の動きもゆったりしたものだけれど。
「なんで泣くんだ」
「だって……」
リディが眉尻を下げて困った顔をする。
その原因である私の涙は、次から次へと溢れてきて一向に止まってくれない。
でも、思った程気分は悪くない。リディと真剣に向き合っている気がするから。
「もう過ぎた話だ」
「そんなはずがないわ。今も閣下との間に深い溝ができているもの。夫人ともそうなのでしょう?」
リディは自身の父親に対して他人行儀な呼び方をしていた。
加えて、侯爵の話になる度に顔を強張らせていた。どこが過ぎた話だろうか。
案の定、リディが視線を落として押し黙る。図星と言っているようなものだ。
……まったく、困った人ね。ご両親に愛されていることくらい、とっくに気が付いているでしょうに。
リディの話が悲しすぎてついつい泣いてしまったけれど、のんびり泣いている場合ではなさそうだ。
なんとか涙を引っ込めて、リディの目をじっと見る。だが目が合わない。
「リディ。こっちを向いて」
私が話しかけると、少し間を置いてリディがゆるゆるとこちらに顔を向けた。
相変わらず目は合わないけれど、話を聞く気はあるようだ。
今はそれで充分だ、と話を続ける。
「私と婚約した日のことを覚えている?」
「……え? あ、ああ」
意外な話題だったからか。リディが頑なに合わせなかった目を合わせてきた。
いい傾向だ。リディの気が変わらないうちに一気に畳みかける。
「あの時あなた、仕事があるからって先に帰ったでしょう? 実は私、あなたを見送ったあとに応接間に戻って、侯爵閣下とお話をしたのよ」
「話?」
「ええ。あなた勘違いしているわ。クラウス様の代わりにあなたが死ぬなんて、閣下も夫人も望んでいないのよ。お二人は、あなたが例の話を聞いていたことに薄々気付いていらしたわ。でもあなたがご両親を避けるから、話をすることができなかった。だから閣下は『あなたには知っていてほしい』と、私に話をしてくださったの」
私が真実を口にするにつれて、リディの目が徐々に見開かれていく。
三年越しの侯爵夫妻の本音だ。リディにはしっかりと受け止めてもらいたい。
「お二人は、あなたたち兄弟を同等に愛しておられるわ。その思いは今も変わらない。お二人はあなたたちの得意、不得意をしっかりと把握していた。だからこその『エリオットならよかったのに』だったのよ。ねえ、よく聞いて、リディ? あなたはクラウス様よりも武芸に秀でていた。閣下はそれを正しく理解していたから、あなたがダンジョンに赴いていれば誰一人として死ぬことはなかった、と考えていたの。それであの言葉を言ったのよ。夫人も、閣下の言葉の意味を正しく理解していたそうよ」
リディの目は、これ以上は無理ではないかと思われる程に見開かれた。
微かに彼の体が震えている。
「……嘘、だろ? それじゃ、俺がしたことって……」
「長い、遠回りだったわね。でも、きっと必要だったのかもしれないわ。あなたにとってクラウス様の存在はとても大きかったのでしょうから。それこそ、ルディをクラウス様と重ね合わせるくらいにはね」
「そ、れは……」
急にリディが狼狽えだした。
当然だ。普通に考えても失礼な話だもの。
けれど、リディを責める気は毛頭ない。
いまだにまごついているリディに、私の気持ちを伝える。
「大丈夫よ。身代わりについては怒っていないから。そうしなければあなたの心が持たなかったのでしょう? でもね、クラウス様にできなかったことを私にするのはやめてほしいわ。あれは、本当につらかったから……」
思い出しただけで胸が痛い。怖くて、怖くて堪らない。
止まっていたはずの涙が再び目からこぼれ落ちた。
「……すまない、自己満足だった。今ならわかる。だがあの時は大切な人を護れて漸く肩の荷が下りた気がしたんだ。でもすぐに、それじゃダメだって気付いた。お前の背中を護るだけじゃダメだって。護りきったのにお前の顔を見たら『こんな顔をしてほしかったんじゃない』って……」
「それは私を護る前に気付いてほしかったわ。さっきも言ったけれど、あの時私は風を纏っていたのよ?」
「だが、確実とは言えないだろう? 俺はもう、大切な人を失いたくなかった。お前がいなくなると思ったら自然と体が動いてたんだ」
リディの言葉を聞いた途端、はぁ、と大きなため息が出た。
本当に困った人だ。呆れて涙が引っ込んでしまったわ。
でも彼のそんなところも好きなのだから、私が一番困った人だ。
苦笑しながらリディを見る。
「馬鹿ね。前に言ったじゃない。『僕は強いから負けたりしないからね』って」
聖騎士団に所属することになった日に、私がリディに言った言葉。
なんとなくリディが私とクラウス様を重ねて見ている気がしたから、きちんと知らせておいたのだ。自分の身は自分で護れる、と。結局無駄だったけれど。
「……そうだったな。お前は強い。十分わかってたはずなのに、しょせん『つもり』だった。本当にすまなかった。……ルティナ?」
頭を下げてリディが謝る。
けれど私はリディが頭を上げてもなお、無言のままじっと彼を見つめ続けた。
すると異変に気付いたのだろう。リディが首を傾げて、私の様子を窺ってきた。その表情はやや不安そうだ。
おそらくリディは、心のどこかで許してもらえると思っているのだろう。
甘いわ。私の根底にある気持ちは、先程からずっと変わっていないのよ。
「許さないわ」
「は?」
「許さない、と言っているの。だいたい、自分の命を粗末にして誰が喜ぶのよ。無理だとわかっていても、私はあなたのあとを追いたかった。そのくらい絶望したのよ?」
「ダメだ!!」
私の言葉に被せて、リディが強い口調で異を唱える。
だめだとわかっていて、何故この人は自分の命を蔑ろにしたのかしら。本当に解せないわ。
「私も同じ気持ちだったのだけれど?」
「す、すまない……。本当に申し訳なかった」
「……謝っても無駄よ。暫く許すつもりはないから。でも……」
話の途中で腰を浮かせて、身を乗り出す。そして――
「っ!?」
瞬きもせずに目を見張るリディを見ながら、静かに椅子に座り直した。
わずかに鼻と鼻がぶつかったけれど、自分からは初めてだったから仕方がない。
素知らぬ振りをして口を開く。
「約束は守るわ。これでいいでしょう?」
「……約束?」
茫然とした様子でリディが尋ね返してきた。
その返答に、思わず眉を顰める。
「いやだ、忘れたの? 帰還したら『祝福』をしてほしい、ってあなたが言ったのではないの。まったく、あなたって人は。…………おかえりなさい。生きていてくれて、本当にありがとう……きゃあ!?」
言い終えた瞬間、手を引っ張られ、肩を押された。
そうして気付いたらベッドの上に仰向けになっていた。逆にリディは起き上がっている。
「え? あ……リディ?」
私の視界にはこちらを覗き込んでいるリディがいる。心なしか、彼の目は熱っぽい。
「ルティナ……」
「! ま、待って。近い、近い!」
リディの顔が近づいてくるにつれて、鼓動が速くなる。顔も熱くて堪らない。
無理よ。たった今祝福したばかりだというのに、恥ずかしくてならない。さっと両手で顔を覆う。
すると、くつくつと笑い声が聞こえてきた。
「さっきはあんなに大胆だったのにな?」
「……か、からかったわねっ!?」
手を離して、間近にいるリディをじろりと睨む。動じない彼が少しだけ憎い。
「からかってないさ。ただ、自制が利かなくなることは結婚するまでしないと決めているだけだ。だからこれが、今の俺の精一杯だ」
リディが私の髪を一房掬い取り、こちらを見ながら口づけを落とす。
その視線がやけに色っぽくて、鼓動が一瞬だけ強く波打った。
ああ、だめだ。この状況は非常に危険だ。
私の中で警鐘が鳴り響く。
「ああ、もう、離れて! 私、怒っているのよ!?」
ぐいっとリディを押しやると、身を捩ってベッドから起き上がる。
すかさずリディから距離をとった。
「残念だ」
「何が『残念』よ。ふざけるのも大概にして。だいたいあなた、瀕死の重傷を負って生死の境をさまよっていたばかりなのよ? 少しはおとなしくしていなさい」
「今起きたばかりで眠れそうにないんだが……」
「それでも、横になっていなさい!」
目が冴えていたって、調子がいいとは限らない。十中八九休息を欲しているはずだ。
強い口調で言えば、リディはぶつくさ言いながらもベッドに横になった。まったく、油断も隙もない。
「明日もその調子で安静にしていてね? ちょくちょく様子を見てくれるように、イルマやここに残る騎士たちにお願いするから」
「は? どこか行くのか?」
きょとんとした顔でリディが尋ねてくる。
そういえばまだ話をしていなかったっけ。
「ええ。明日は陛下たちとスヴェンデラに行ってくるわ」
「な、なら俺も!」
リディが勢いよく起き上がる。
しかし、たった今『寝ていなさい』と命じたばかりだ。
すぐさまリディの肩に手を添えて、再び彼を寝かせる。
「さっきまで意識不明だった人が何を言っているのかしら。あなたはお留守番に決まっているでしょう? ただでさえ今夜は忙しくなるのだから、今は休んでいてちょうだい」
「……え? どうい……」
リディの中では数々の疑問が湧いているのだろう。困惑気味の顔でこちらを見てくる。
だが、リディが疑問を口にするよりも早く。アマーリエが呼んだ医師がやってきて、私たちの会話は終了した。




